第70話 「課題の終わり」
「ユイ君、以前出した課題ですが、忘れてくれてもいいですよ」
朝食の最中、アニスさんが思い出すように言った。
「課題、ですか?」
「ええ、アル・クール、アイラ・シィル、両名を倒すように言ったことは、もういいです」
「い、いいんですか?」
「はい、もちろんこの屋敷から追い出すことなんてしませんし、今後も課題を出すことはありません。ユイ君は普通に生活してていいですよ」
「あ、ありがとうございます」
唐突なことだったけども、僕にとっては非常にうれしい話だ。
人に対しての恐怖を必要以上に感じる今の僕は、たとえ勝つ算段をつけているとしても誰にも勝てるビジョンが浮かばない。
……そもそも、勝ちたいなんて微塵も思わない。
関りを持たないアイラさんにもそうだし、何よりアルちゃんを、こんな僕を友達と呼んでくれた彼を傷つけるなんて苦痛でしかない。
だからこれは僕にとっては朗報以外の何物でもなかった。
ただこれはアニスさんの独断であったようで、エイジン様は眉間にしわを寄せていた。
「アニス、少しユイを甘やかしすぎじゃないか? 一度決めた課題を取り下げるなどと」
「そもそもこの課題だって私が勝手に課したものです。エイジン様にとやかく言われる筋合いはないのですが?」
「それはそうかもしれんな。なら、俺が個人的にユイに課題を課すのも自由だよな?」
「構いませんが、それならユイ君が課題をクリアするために全面的にバックアップするだけです」
「……それに何の意味がある?」
「何もありませんね。ですが、もうそれでいいと判断したんです」
「……この先を見据えての判断か?」
「はい。なのでもう終わりです」
それで、話は打ち切られた。
アニスさんとエイジン様の間に何か物々しい雰囲気を感じたが、結果的には僕はもう戦わなくてもいいということだ。
普通に屋敷で仕事をして、学園生活を無難に過ごす。
「ユイ、今日は学園に行くの?」
「……行ってみようとは、思います」
普通にとは思ったが、今の僕にはそれすらも簡単ではない。
人と関わることに尋常でない恐怖を感じるのだ。
屋敷での仕事は何とかこなせるだろうが、学園での生活を送ることは難しい。
それでも、学園に行ってみようとは思う。
人は怖い。
できるなら関わらないほうがいいのはわかっている。
でも僕は、自覚してしまったから。
幸せになりたいと。
そのためには、人との関りを怖くてもするのが、近道だと思うから。
「そう、何かあったらすぐに呼ぶのよ」
「はい、ありがとうございます」
朝食を食べ終えた僕は片づけを済まし、学園へと向かう準備をする。
とりあえずは工房に向かおう。
できるなら男に戻りたいし、ロイド先生の進捗を見ておきたい。
*
そこは、異様な雰囲気を漂わせていた。
手に鞭を持ったライムさんと、今にも死にそうな様子のロイド先生がいる。
特殊なプレイをしているように見えなくもない。
「あ、あの……」
恐る恐る声をかけると、ライムさんが笑顔で振り向く。
「ユイ様! もう平気ですの? 気分はどうですの? 何か欲しいものがありましたらすぐに買ってきますので、何なりとお申し付けください!」
その笑顔は見ていて清々しい。
ただ、ロイド先生を踏みつけにしていることと、手の鞭が気になってしょうがない。
「僕は大丈夫なんで、ロイド先生から足をどけてあげたらどうですか?」
「ん? ああ、そうですわね。クソ爺、ちゃんと作業を進めるんですのよ」
「わかっているよ。そこまでせずとも。この装置を作ることだけはやり遂げる。まったく、ロクに進捗も確認せずに足蹴にしおって」
2人のやり取りである程度の状況がわかった。
どうやらライムさんは僕の望む、性転換装置の完成を促していたようだ。
やり方は少々荒っぽいが、その気持ちは素直にうれしい。
「ユイ様、本日は何をなさいますか? また闘技場で試合観戦でも致します? それとも何もせずに静かにお過ごします? それとも、私と一緒に熱い夜を過ごすという選択肢もございますけれども……」
「あ、えっと、最後のはちょっと……」
圧がすごくて、断りにくい雰囲気だ。
ライムさんのことは嫌いじゃないけど、女性としてみると特殊な性癖がマイナスだし、捲し立てるように話されると少し怖い。
もう少し穏やかになってくれたら話しやすいんだけどな。
と批評しながら、ライムさんへの返答を考える。
特にやることもないけど、何もないと言うとライムさんの好きなように動かされそうだし、かといって僕都合で動いてもらうのも申し訳ない。
そんな思考を繰り返していると、工房の扉が開く音が聞こえた。
振り向くとそこには、
「やっほー、ユイちゃんいる?」
ハツラツとした口調で、アルちゃんが入ってきた。
「あ、アルちゃん……」
ほんの数日会わなかっただけなのに、すごい久しぶりな気がする。
僕が初めて友達になった、その人を見ていると、なぜだろう、
安心する。
「ユイちゃん、今ヒマ? よかったらまたスイーツ食べに行かない? 女の子になったからかな? 最近甘いものがすごく食べたくなるんだよね」
屈託のない笑顔、アルちゃんには裏表がないんだと思わせる謎の空気がある。
そのせいなのだろうか?
お嬢様やアニスさん、ライムさんやロイド先生など様々な人に恐怖を感じていたのに、アルちゃんだけには恐怖を感じない。
それどころか、安心感まで感じるなんて。
「あ、その……」
僕はライムさんの方を見ながら口ごもる。
先ほど何をするか問われているのだから、アルちゃんに何といったらいいものか?
正直な話、アルちゃんと一緒に行動したいと思う。
そんな気持ちを察してくれたのか、ライムさんが、
「いいですわね。私もご一緒して構いませんかしら?」
僕よりも先にアルちゃんの問いに賛同した。
「もちろんだよ。ライムちゃんも一緒に行こ! ユイちゃんも大丈夫ってことでいい?」
2人に挟まれながら、僕もアルちゃんに対して頷きを見せて賛同を示す。
そうして、3人で出かけることになった。




