第29話 「かつての過ち」
「……それで?」
父の人殺し発言、それはこの世界の人間にとっては些末なことにしか映らないのか。
「お父さんが人を殺したから、なんでユイがそのことに関して何か思うの? ユイには関係のないことじゃない」
単純な疑問の目を向けられる。
まあそれだけではないんだけど、大抵の人間ならこれだけでも、ああそうか、って考えると思うんだけどな。
実際問題、それがいじめられた原因でもあるのだから。
けどそれも、結局は僕の、僕だけの偏見かもしれない。
「あの、お嬢様、人を殺すことって、どれだけの罪なんですか?」
気になったので、質問に質問で返してみた。
すると意外にも、お嬢様は僕の質問にすんなりと答える。
「場合にもよるわね。戦場でならどれだけ殺しても罪にならないし、むしろ英雄扱いだけど、それとは関係のない日常で人ひとりを殺せば、3年くらいの懲役かしら。10人くらい殺したら、理由にもよるけど10年くらいの懲役ね」
……軽すぎでしょ。
1人なら3年、10人なら10年。
この世界の人間は、一体人の命をどれだけ軽く見積もっているのだろうか。
「で、ユイ、続きは?」
急かすように言うお嬢様は、どこかイラついているようだ。
「……お父さんは人を一人殺して、死刑になりました」
「たった一人殺しただけで死刑って……まあ、あなたの父親が大罪人だってことは分かったわ。けどさっきも言ったように、あなたには一切何も関係のない……」
「僕も、罪を犯しました」
お嬢様の言葉を遮りながら、僕は告白する。
自分がいかに薄汚れた、罪のある人間なのかを。
「お父さんだけじゃなくて、僕も罪を犯しているんです」
それはかつての過ち。
あの頃のことは、今でも脳裏に焼き付いている。
後悔してもしきれない、僕の人生における最大の汚点。
けどきっと僕は、あの時と同じ状況にあったとしたら、今も同じことをするだろう。
「ユイ、詳しく話しなさい」
いつになく神妙な顔つきで、お嬢様は続きを促す。
僕は一度呼吸を整え、頭に刻み込まれた忌むべき思い出を述べる。
「お父さんが捕まってからの生活は、地獄でした」
*
ある日、うちに警察の人がやってきた。
その頃の僕はまだ6歳、物心ついているとはいえ、自分で何かを考え行動するにはまだ幼すぎる年齢だ。
だけど確かに分かることは、警察は悪い人を捕まえる人だということ。
警察の対応はお母さんがしていた。
初めはだるそうに話を聞いていて、けど話が進んでいくうちに、見る見るうちに血の気が引いて行った。
子供ながらに僕は、悪いことが起きていることだけは理解していた。
そして聞こえてきたある言葉は、僕に衝撃を与えた。
父が人を殺した。
その事実を理解した瞬間、わけもわからず泣き出してしまった。
辛いとか、悲しいとか、苦しいとか、詳しく説明できないほどに自分で自分が分からなかった。
ただ何も考えず、溢れ出る涙とともに大声をあげることしか僕には出来なかった。
やがて警察の話は終わり、お母さんはその場に座り込んでしまった。
これは後で理解したのだが、お父さんが人を殺した理由は、度し難いほどに愚かだった。
お酒を飲んで酔っ払って、その場に居合わせた客と口論になって。
そして傍にあった一升瓶を、その客の頭めがけて思い切り振り抜いたと。
当時の僕はお父さんが好きだった。
世界で一番カッコよくて、父であるという理由だけで僕にとっては一番の存在だった。
けど大人になるにつれ、きちんとした考えが出来るようになればなるほど、僕はお父さんのことを愚か者だと認識し、その子供である自分自身すら嫌いになってくる。
けど、まだ自分を保つことは出来た。
自分の血が汚れていることはまだ耐えられる。
だってそれはしょうがないことで、僕自身ではどうしようもないことなんだ。
だから、それだけならば、僕は僕のことをまだ見限ることはなかっただろう。
事が起きたのは、小学2年生のころ。
このころの僕はすでにいじめられていて、殺人犯の子供と周りから言われ続けていた。
苦しくて悲しくて、理不尽な仕打ちだと嘆き苦しんでいた。
毎日毎日、泣いて泣いて泣きまくって、一日が早く終わるのを待つだけの生活だった。
きっと僕は、このままなら耐えきれなかった。
小2の夏……この理不尽に耐えられてしまう理由を、僕は得てしまった。
「あの店から肉を取ってきな」
お母さんから言われた、この言葉がきっかけだった。
お父さんが捕まってから、僕の家は金銭的に非常に困窮していた。
父方の祖父母はすでに他界しており、母方の祖父母に至っては、あんなクズ男を選んだ娘など知らん、と絶縁したほどだ。
他にも親戚はいたが、殺人犯の身内などと関係を持ちたくないと干渉する人はいない。
そして……お母さんは働いたことなど一度もない、家事も全然しない主婦だった。
結果として、実の息子に万引きを強要するところまで落ちぶれているのだ。
初めは葛藤した。
いくら親に命令され、そして自分が生きるためとはいえ、犯罪と分かっていることに手を染めることは躊躇してしまう。
結局命令された初日は物を盗ることは出来ず、家に帰ったらお母さんに思いっきり引っ叩かれた。
2日目……目の前に商品がある。
本来ならお金を払って手に入れるべき商品、それを僕は何の対価も払わずに得ようとしている。
体中の体温が急速に冷めていく。にもかかわらず汗が大量に流れて止まらない。
手が震え、何度も瞬きを繰り返す。
時間にして、ほんの数秒程度だったはずだ。
けどこの時の僕には、盗む瞬間が永遠に感じられて、この苦痛がずっと続くものなのだと思っていた。
……その瞬間は、すぐに訪れた。
商品を手に取り、手早く服の下に忍び込ませる。
僕は急いでこの場から離れて、走って走って、走りまくった。
全速力で走り抜けて家についた僕は……トイレに駆け込んだ。
「おっ……えぇ……!」
嗚咽を漏らし、口から胃液を吐き出す。
何度も何度も何度も何度も、あの瞬間を思い出して嗚咽を漏らす。
涙を流す。
頭を掻きむしる。
罪悪感に押しつぶされそうになり、どうしようもないほどの感情が湧きあがる。
……この罪悪感があるから、僕は理不尽に耐えられるようになってしまった。
こんな僕は、理不尽な目にあって当然なのだと。
それからは、幾度となく万引きを繰り返した。
何度も繰り返して日々の生活を繰り返していき、もはや数え切れないほどの万引きを犯した。何度か捕まったことがあったけれども、小学生ということもあり厳重注意で済まされるだけに留まっている。
生きるために僕は、小学校を卒業するまで続けていた。
*
「だから僕は……勝っちゃいけない人間なんです。罪を犯した僕は幸せになっちゃいけないんです」
説明を終えて、理由を述べる。
僕は誰よりも下等で愚かでどうしようもない人間だから。
勝負事において、勝ちたいと思わない、思っちゃいけない。
負けたくないなんて思わない、思っちゃいけない。
僕は負けなきゃいけない人間なんだ。
「と、いうわけなんですけど……」
恐る恐る、セウルお嬢様の様子を窺う。
不幸になるべきとは思いつつも、自分の罪を告白することは心苦しい。
僕はきっと、この人に軽蔑されているんだろうと思った。
けど予想とは裏腹に、お嬢様は呆れていた。
「なによそれ」
不満げにも聞こえるし、どうでもいいようにも聞こえる。
なんにせよ、良い感情を抱いていないのは確かなようだ。
僕の説明に、絶対に納得がいってない。
「ユイ、聞いてくれる?」
「はい」
「あなたのしたことは、確かにいけないことよ。盗みなんて行為は、この世界でもちゃんと罪になる、立派な犯罪よ」
「……はい」
ズキリと胸が痛む。
慣れることのない罪悪感による痛みは、他者に自覚させられることによって威力を増す。
しでかした罪が脳裏で何度も再生され、死にたくなる。
僕は……何で生きてるんだろう?
「けれどね、それであなたが負けなきゃいけない人間ってのは、飛躍し過ぎよ」
諭すような、やさしい口調だ。
「あなたは……というか、この世界の全員が勝ってもいい人間なのよ」
きっとお嬢様は本当に、僕が勝ってもいいと思ってるんだろう。
「けど僕は……人を傷つけてもいるんですよ?」
「……え?」
さっきは言っていなかった、もう一つの罪が僕にはある。
そっちの方が僕にとっては重要で、罪悪感も膨大だ。
「盗みだけじゃないの?」
「盗みは盗みですね。けど……ひったくりってやつです」
「ひったくり?」
「人の持ち物を奪って走り去る……今考えれば、無策すぎる行為でしたね」
「ふーん……それで、どう人を傷つけるの?」
「僕が奪ったバッグの持ち主はお年寄りでして、盗んだ拍子におばあさんは転んで……骨の折れる音がしましたね」
あの時は、本当に頭の中が真っ白になった。
万引きをしていた時以上に動悸が激しくなって、わけが分からなくなって、怖くなって。
思い出せば思い出すほど、呼吸が荒くなってしまう。
「何の罪もない人を私欲のために傷つけて、僕は本当に最低な人間ですよ」
だから僕は、絶対に幸せになってはいけない。
不幸であり続けなければいけない。
多少の不幸の軽減ならしてもいいかもしれない。
けど総合的に幸せになってはいけない。
それが僕の考え方だ。
「ユイ……」
お嬢様はなんていうだろうか。
憤慨するだろうか。
悲しむだろうか。
呆れるだろうか。
どうあれ、良い反応はしないはず……
「次は勝ちなさい」
ただ、その一言だけだった。
つぶやきのような、気を抜けば聞き逃してしまうような声だ。
それだけ言って、お嬢様は自室に戻って行った。




