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周囲にある人物画と違う構図は、その絵の珍しさを物語っていた。
座って正面を向く、もしくは立って少し斜めのポーズを取る、という決められたわけではないけれど当たり前に思って疑問すら抱かなかった人物画の中で、その絵は今にも動き出しそうな躍動感を感じられた。
野原の中を走る少女に追いかける少年。背景に数本の木々とうっすらとした青が広がっている。花冠を握って笑顔の少女は右手と左足が上がっている。数秒後には大地を踏みしめてこちらに駆け寄ってきそうな勢いがある。背後にいる少年は風に飛ばされた帽子を見上げ手を伸ばしている。もう少し頑張れば帽子に手が届きそうだ。
細い木炭を使い、布地の画面に輪郭が浮かび上がる。彩色は僅かで淡い色合いが線の内部をぼやかすように薄く彩る。素描に近い。
神話の題材や聖人、もしくは妙齢の女性をモデルにする画家が多いのは、パトロンに自分の腕を売り込むのに丁度いいからだ。
有名人をこんな風に表現できます、と宣伝しやすい。
また、無名であっても若く美しい女性の絵は需要がある。
こんなふうに子供を描いたものは珍しい。なによりただ座っているわけでもなく、有名な場面というわけでもなく、官能的なポーズを取っているわけでもない。
この絵にパトロンがつくわけがない、と素人でもわかる。
絵具が買えない新人の画家が、なんとか展示会に間に合わせたのだろうか、とソフィアは思った。
絵画というのはとにかく金がかかる。絵具一つにしても、画布にしても、筆や油にしても同じだが、発色の良い長持ちするものほど貴族の需要が高まると言われている。
そのどれも無視した素描に近い絵は、異彩を放っていた。
「なんだ、この手抜きは」と、文句を言って通り過ぎた男性がいた。
確かに、全面に絵具を重ね塗りした油絵の中、ただの木炭素描は手抜きに見えるだろう。
近くで見なければ重厚な色彩の油絵に埋没した白い布は、色さえも無視されるほどに薄い。
「ソフィアはその絵が気に入ったのかい?」
展示会の主催として参加していた婚約者の声に振りかえる。
「そう、ですね。私、この絵、好きですわ」
彼に言われなければ自分がこの絵を好んでいることにすら気付かなかった。ただ、足を止めてしまっただけ、だと思っていた。
「おや、随分と質素だね。ほぼ白黒じゃないか」
たくさんの絵具を使っている絵ほど価値が高い、と思っている貴族は多い。
絵具の厚塗りは財力の証だ。
「そうなのですけれど、この絵には薄い色で丁度いいと思いませんか?」
見て欲しい、けれど目立ちたくない。
描き手のそんな微妙な感性を絵が伝えている。
「珍しいな、女性か」
言われて気付く。アリシア、と記載されたその絵は、名だけが隅っこにある。
「平民、な、わけはないな。貴族の手習いか」
平民の女性は絵を描かない。描く人間がいたとしても、画布や木炭を使って展示会に出すほどゆとりのある生活をする層は限られているし、大人になってから絵を始める女性はほぼいない。平民でも参加するのなら刺繍のほうが金になる。
金銭面に余裕がある平民がまず子女に教育するのなら、音楽だ。
演奏会のほうが目立つし需要がある。楽器はそれだけで財力を誇示するものだ。
芸術の造形を深めるのなら、まず絵画は選ばれない。
「ところでソフィア。ここに最後の小さな花が残っているのだけれど、君に贈呈しよう」
婚約者が差し出したのは小さな造花だった。
展示会なので審査員は専門家を揃えている。そこかしこで絵を見ながら難しい顔で話をしつつ移動する集団は、すでにこの絵の前を通り過ぎたあとなのだろう。奥のほうにある神話の英雄を描いた絵の前で議論している最中だ。
権威が選ぶものと違い、資金提供をした、もしくは名を貸した貴族にも小さな造花を与える権利がある。
素人だけれどあなたの絵が気に入ったよ、頑張って、という程度の小さな受賞枠だ。
少しの金銭と名誉が与えられる。
権威が選ぶものと違い、スポンサーに直結する可能性があるため馬鹿にできない。無名の新人は特に、この小さな花から育つ画家も多い。
「まあ、ありがとうございます。私が選んでつけてもよろしいの?」
「良いんじゃないか? 好きなものにつけて良いと言われているのだから」
権威が選ぶ絵画は箔付けであり、貴族が選ぶのは資金となる。
参加した全ての貴族が展示会に興味を示すわけはなく、絵を見に来るわけもない。
審査員に丸投げしている貴族も多い。
なので、審査員が代理でもつ造花は受賞者にそのまま送られることもよく聞く話だ。
ソフィアと婚約者も、たまたま都合がついたので会場に足を運ぶことになった。
そして、資金と名を出したのはソフィアの家ではなく、婚約者のほうだ。
「ありがとうございます。では」
造花を受け取ったソフィアは画布の木枠にそっと刺した。
白い画布に赤い小さな花が映える。
素描に近いとはいえ、画力はある。躍動感もある。
貴族に好まれるとは言えないが、ソフィアはこの絵が好きだと改めて思う。
「何がそんなに気に入ったんだい?」
「そうですね、動き出しそうなところ、でしょうか」
「確かに、このくらいの年齢の子供はじっとしていないだろうね。ソフィアが子供好きとは知らなかったよ」
そういう意味ではないのだけれど。
ソフィアは言葉を呑みこみながら笑顔で無言を貫く。
気取らず気品と無縁で自然な表情。笑い声が聞こえてきそうな当たり前の風景を切り取った、優しい視点が好きだと思う。
「頑張ってほしいと思います」
「そうか。なら、私も応援するとしよう」
婚約者の言葉に頷き、ソフィアは彼と共に会場を後にした。
この小さな造花のことは、すぐに記憶の片隅に追いやりながら。




