19
<チュリック>
イトゥースルト山脈を眺めつつ、ボクは一人、溜息を吐く。
……ひ、ひとまず、み、皆から、きょ、協力、してもらえるように、な、なりました、ね。
選挙活動の最前線に立ち、人間たちの憎悪を一心に向けられても活動を辞めなかったことを評価してもらえたのか、ボクらのグループの魔物を誰一人として見捨てない選択をしたことに共感してもらえたのか、今では人を襲う事に賛成していた魔物たちが率先して人間たちに頭を下げてくれている。
そうした変化は、今まで否定的だったグラブキンおじさんとリヴォックおばさんが、ボクがリーダーである事に賛成の立場を表明してくれた事がきっかけなのは、言うまでもないだろう。
しかし、これでようやく皆がまとまっただけだ。自分たちのしでかしてしまった事は変えようがない事実なので、これから地道に失った信頼を取り戻す道を探していくしかない。
それはとても険しく、進むのも難しい道なんだろうけれども、ようやくマイナスからゼロに向かってスタートできるというのは、ボクらのグループにとて、かなり大きな一歩を踏み出せたのは間違いない。間違い、ないのだが――
……せ、選挙日までに、ぜ、ゼロにするのすら、む、難しそう、です。
やはり、奪われたものの傷を癒すのは、難しい。
記憶は時間と共に変わっていく、とはイララさんの言葉だけれど、その記憶を変える程の時間は、どうやら残されていなさそうだった。
……と、投票日まで、の、残り、に、二週間、切っちゃいまし、た!
とはいえ、ここで諦めるわけにはいかない。グループが一致団結したが故に、何かを犠牲にして一部の魔物がゲルトドゥール州に残るという方法は、取れなくなっている。
この州から別の所へ行く当てもないし、自分が生まれ育った、おとうさんとおかあさんの思い出が残るこの場所を離れるというのは、ボクとしてもやはり受け入れがたいものがある。
……ぼ、ボクが、あ、諦めの姿勢を、み、見せたら、だ、駄目、です! み、皆を、鼓舞しない、とっ!
そうやって気を吐いていたものの、やっぱり幼馴染のキルキオールとクールオには、ボクの心中なんて筒抜けらしい。
選挙活動で立ち寄った村で少し時間が出来たので、軽く気部転換に歩いてきたらどうか? と提案された。
イララさんはどうにか抑えていてくれるという事で、それなら安心して、と、今は散歩に出かけている。
見上げるイトゥースルト山脈は、相変わらず雪で覆われていた。この村も、昔は多くの人が山から採掘していた石の加工を行って生計を立てていたという。
しかし、他国からの輸入や、高齢化によって働き手も少なくなり、徐々に衰退していったらしい。
……お、おとうさんと、おかあさんが生きてた頃は、潤ってたのか、な?
まだ領主がニグニンさんで、彼が若かった時なら、人間と魔物の宥和策を実施していたはずだ。
彼らの世代ならまだボクら魔物の話を聞いてくれるのは? と思い、そうした市町村を回っているのだけれど――
……そ、それでも、被害を受けた人の中に、お、おじいちゃん、おばあちゃん世代の人も、いる、から。
高齢化が進み、人口が少ない市町村なら、と望みをかけたのだが、その子供や孫が魔物、つまりボクらの被害にあっているケースもあり、州都程邪険にされないが、中々賛同者が増えていかない。
……ぼ、ボクが、も、もっと、頑張ってた、ら。も、もっと早くに、グラブキンおじさんたちに、い、意見を、言っていた、ら。
たらればになってしまうけれど、忸怩たる思いが溢れて止まらない。
まだ投票日まで時間があり、投票結果が出たわけでもないのに、一人になると、もう駄目なんじゃないか? という弱気な自分が出てきてしまう。
目が潤んできたので、無理にでも顔を上げる。
すると村の入口に、丁度馬車が到着したところだった。
馬車の装飾品からして、そこそこの位の人が乗っているのだとわかる。貴族までとは言わないが、普通の村人たちが乗るよりも、馬車の作りも頑丈だ。
護衛も二人付けているという事は、どこかの富裕層、商人の令嬢辺りが乗っているのではないだろうか? それとも、他の国で一財当てた人が帰って来た、とか?
そこまで考えて、ボクは苦笑いを浮かべた。
……ば、馬車を、襲うようになって、そ、そんな事、ばっかり、覚えたんですよね、ぼ、ボク。
まるで獲物を値踏みする猛獣の様な思考を頭を振って追い去ると、ボクは馬車の方へ近づいていく。もしこの村の村民であれば、当然選挙権を持っているはずだ。
ニグニンさんの施策時代にこの村に住んでいた人なのであれば、魔物共存に票を投じてくれるかもしれないと、そんな下心があった。
期待の眼差しで、ボクは馬車の扉が開くのを待つ。
中から出て来たのは、一人の少女だった。
……な、なんだ。残念、だな。
馬車から地面に降り立つ少女は、年は十五、六ぐらいだろうか?
着ている服の派手さはないが、布は厚手で、縫い目もほつれは見当たらず、しっかりとしたものを着込んでいる。
それでも品を感じるのは、どこか富裕層と付き合いがあったからだろうか? 外見のデザインよりも、雪山が近いこの村に合わせて暖かく、頑丈な服を着込んだ少女が、ボクの方へ視線を向ける。
彼女の青い瞳とボクの金眼がぶつかって、ボクは少し顔を伏せた。
……こ、この子たちの世代だと、ぼ、ボクら魔物は、排斥対象、だから。
また何か酷い言葉でも、イララさんが石を投げるような人には片っ端からブレインバスターをお見舞いしてからの回復をし続けた事で物理的に被害が出るような事はなくなっていた、投げかけられるのかと思っていると、ボクの視線に、少女が履いていた、小さく、それでいて暖かそうな黒い靴が目に入る。
驚いて視線を上げると、靴と同じく黒髪を短めにした少女と、再度目があった。
「あの、どうかされましたか?」
普通に話しかけられたので、逆にこちらが驚いてしまった。
「え、え? ぼ、ボクのこと、こ、怖く、ないんです、か?」
「え、え? ど、どうしてですか?」
互いに頭にクエスチョンマークを出し、一緒のタイミングで小首を傾げる。
どうやら、本当に魔物の事を怖がったりしていないみたいだ。
何も言えなくなったボクよりも先に、少女の方が先に口を開く。
「だ、だって昔は、人も魔物も、仲良くしていた、んですよね? あれ? 両親から、そう聞いてたんですけど。あ! わ、私、ちょっと他の国に留学してて、丁度今生まれ育った村に帰って来たばかりで、最近のこの国の事情に疎いんです! な、何か失礼があったら、すみませんっ!」
頭を下げる少女を見ながら、ボクは一人納得していた。
確かに別の国に留学し、両親から魔物と共存していた時の話を聞いているのであれば、ゲルトドゥール州の同世代と比べて、魔物に対して忌避感を持っていないというのは、頷ける。
「で、でも、凄いです、ね? お、お姉さんの、ご両親。ま、魔物と人間の関係が良好だったのって、ニグニンさんが、ま、まだ若い時に領主をされていた、時ぐらい、だったはず、なんで」
「あ、私の親は、結構高齢で私を授かったんで、年、離れてるんですよね。それでまぁ、結構可愛がってもらえて。あ、ここで立ってるのも何なんで、歩きながら話してもいいですか?」
「は、はい! だ、大丈夫、ですっ!」
久しぶりに友好的に話してもらえる少女と出会い、ボクは緊張しながら彼女の後ろに続いた。
「両親は、借金をしてまで私を留学させてくれたんです。けど、私、いまいちぱっとしなくって。就職もその国でしたんですけど、そこで私、破滅しそうな程の失敗をしてしまいまして……」
「え、えっ! だ、大丈夫、だったんです、か?」
「はい! 大丈夫だったから、私はここにいれるんです! でも、失敗した時、本当に駄目だ、人生終わってしまった、って、そう思ったんです。でも、そこで素晴らしい、本当に、素晴らしい出会いがあったんですよっ!」
そう言って少女は、この雪山に残る氷全てを溶かしてしまいそうな程の、本当に明るい、満面の笑みを浮かべた。
「その方のおかげで、私は窮地を脱出するだけでなく、大きく自分を変えるきっかけを頂けたんです! その方からお譲りいただけたもののおかげで、両親の借金も返済! 多少の投資も成功したんで、これを機に、実家に帰ろうかなって思って」
「そ、それで、今、お、お帰りになられたんです、ね」
「はい! 借金をしてまで留学させてくれた両親へお礼もしたかったですし、私も、自分を救ってくださった方みたいに、他の誰かの手助けになれれば、なーんて。あははっ。ほ、ほんの、ほんのちょっとですけどね? ほんの、ほんのちょっと。ちょっとだけでもいいから、誰かの助けに――」
「お、お願いです! た、助け、助けて、くだ、さいっ!」
「へ、へっ?」
疑問符を頭上に無数に展開する少女の手を取って、ボクは必死になって頭を下げる。
魔物へ排斥の意志がない若者。しかも聞けば、ご高齢の両親との関係は良好そうで、投資にも成功している。
もう、この人しかないと思った。この人に、ボクらの選挙を手伝ってもらう以外、この状況を脱出する事は出来ない。
しどろもどろになりながらも、ボクは現在、ボクら魔物のグループが陥っている状況について、必死になって説明した。
ニグニンさんの進退。後任の領主のジョウムさんの事。そのジョウムさんが留学先で負った傷。
そしてゲルトドゥール州の人間と魔物の関係性について、選挙へと発展したこと。
とりとめもなく、いきなりな話だったにもかかわらず、目の前の少女は、初対面の魔物のボクの話を、しっかりと聞いてくれていた。
そして彼女は、ボクの話を聞き終えた後、最初にこうつぶやいた。
「あなたの名前を、教えてもらえますか?」
「ぼ、ボクの名前は、チュリック・シュラー。誇り高き父ロク、母レームの息子、です」
「……わかりました。チュリックさん。私に何が出来るかわかりませんが、お手伝い、させて頂きます」
そう言われ、ボクの方から頼んだのにもかかわらず、思わず疑問が口から飛び出る。
「ほ、本当、本当、ですか? ぼ、ボクが言うのも、な、なんですけど、は、話、突然過ぎません、か?」
「はい、本当にお手伝いしますし、本当に突然ですね」
そう言った後、少女は何故だか、少しだけ誇らしげに口を開く。
「それに私、色んな意味で突然過ぎる方に救っていただいたんで、割とそういう事については、耐性あるんです。あ、私の自己紹介がまだでしたね」
そう言って少女は、いたずらっぽく笑った。
「私の名前は、イナ・キルジェクル。サグラール連邦国ゲルトドゥール州グラシス村出身で、前職はクルーリア王国のアーチデール城で、侍女をしておりましたっ!」