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盗賊ギルドの求婚 ~デュオンの場合~

 銀の箸亭の玄関に荷馬車が横付けされたのは、盗賊ギルドが王様の依頼を引き受けると決めた翌日の夕方でした。戦いに行く人には休みを取ってもらおうということで、急遽受付に座ってくれたログロ爺さんと交代して、あたしが戻ってきてしばらくした頃です。

 ちょうど夕食時、盗賊ギルドにいたギルド員達も何人かは、夕食をとりに一旦銀の箸亭に上がっているところでした。そのうちの誰かが帰って来たんだろうと思って、扉が開く音にあたしは満面の笑みを浮かべます。

 戦いが終わった後、こうして迎えてあげられるか、わかりませんから――。

 けれど思いもよらぬ姿に、あたしは思わず椅子から立ち上がっていました。

「ようこそ、盗賊ギルドへ! ……エレカおねえさん!?」

「はぁい、エレカよぉ」

 そう言ってぱたぱた手を振ってから、「ちょっとー荷物運ぶの手伝ってー」としなを作ってギルド員に声をかけるのは、確かにエレカおねえさんです。

 でも、何でよりによって出陣前に……?

「わぁ早いねー流石はエレカおねーさん。仕入れまでしてくれたのー?」

 部屋の片隅で立ち上がったギルド長の言葉からすると、何か連絡を取ってたみたいですけど……それにしても昨日の今日でってのは早すぎる気がします。

「だってぇギルド長さんが伝達魔法使ってまであたしを頼って来るなんて、そりゃぁ女として急いじゃうわよう」

 エレカさんの投げキッスに、ギルド長がにっこり笑って投げキッスを返します。そのエレカさんの言葉で合点がいきました。

 伝達魔法。魔術師ギルドに行けば、結構な料金は取られますが、どこにいる人にもメッセージを伝えることが出来ます。なかなか普通の人が使うものじゃないので、あたしもすっかり頭の中から抜けてましたけど、なるほどこんな時に役に立つんですね。

 それにしても、エレカおねえさんがこのタイミング盗賊ギルドを訪れた、ってことは……?

「エレカさん、ずいぶん荷物ありますね……!」

 足を器用に使って扉を開けたデュオンを先頭に、ギルド員達が次々に木箱を運びこんできます。どれも結構な大きさで、あっという間に盗賊ギルドのテーブルは木箱で埋まってしまいました。

「何なんですか、中身?」

「ふふ、今日ここに持ってきたってことは、用件は1つしかないでしょ?」

 エレカおねえさんが箱の1つの蓋を取ると、キン、と光が跳ねました。ランプの灯に反射して、輝くのは――。

「……武器?」

「へェ、こりゃァかなりいい奴じゃないかァ?」

 覗き込んだベルンちゃんがぱちりと目を瞬かせ、リュンスさんが顔を輝かせて手に取った短剣を抜き放ち光にかざします。いくつか順番に手に取って眺めていたハレスくんが、ごくりと息を呑みました。

「……まさかこれ、全部、魔法の武器……!?」

『…………えええええええええ!?』

 ギルド員達の声が響き渡る中、エレカおねえさんが誇らしげに胸を張って頷きます。

「流石に昨日連絡もらって、それからかき集めたからちょっとばかり苦労したけどね」

 エレカおねえさんが、もう1つ隣にあった箱を開けてみせます。その中には、鱗鎧のような革鎧のような、不思議な質感の鎧がぬらりと光を放っていました。

「……これは……風竜の革鎧? こんなものがよく手に入って……」

 ハレスくんが、そっと表面を指で撫でながら呟きます。その指先が震えているところを見ると、相当高価なものなんでしょう。

「そうそう、ちょうどドラゴニコンで竜騎士の乗竜に亡くなったのがいてね。鎧になって市場に出てたのを、なんとか手に入れたのよぉ」

「なんとか……そりゃ、なんとかでしょうね……風竜の革鎧は軽い上に風が攻撃を逸らすから、いくら高くてもあっという間に買い手が付きますよ……」

 はーっ、とハレスくんが息を吐き、エレカおねえさんに尊敬の目を向けます。今までも同じ商人として敬意を払ってましたけど、今回の仕入れはさらにハレスくんが感銘を受けるくらい凄かったってことなんでしょう。

 あたしにはこの武器や鎧の価値はよくわかりませんけど……それでも、魔法のかかった武器や竜の革鎧なんか、あたし達が一生働いても――それも、盗賊として――とても買えたもんじゃないことは、よくわかります。それを、1日でこんなに用意するなんて、流石としか言いようがありません。

 でも、こんな高い武具じゃ、ギルド員のみんなにはとても手が届かないんじゃ……そう思ったとき、エレカおねえさんはそれを読み取ったように、ルージュを引いた唇でにやりと笑ってみせました。

「ここにあるの全部、同じ型で普通の材質、魔法なしの武器や防具の相場で売るわ! 早い者勝ちよ!」

 一瞬の沈黙の後――わああああ、と声を上げながらギルド員達が一斉に木箱を開きます。その中にもぎっしりと武器が詰められ、丁寧に鎧が収められています。

「あぁ、料金については心配いらないよー」

 今まで手に取ったこともないような上等の武具を前に盛り上がるギルド員達に聞こえるように、ギルド長が声を張り上げます。振り向いたギルド員達に、「料金は全部ギルド持ちで払うからー」といつもの笑顔を見せれば、さらに大きな歓声が上がります。

「あらぁ、ギルドが払ってくれるなら、正規の値段で売り付けちゃおうかしら?」

「やめてー流石にギルド潰れちゃうよー」

 慌ててぱたぱた手を振るギルド長に、エレカおねえさんは「ふふ、冗談よ」と笑って。

「あたしねぇ、他に取引してるギルドも多いけど、やっぱりこの街の盗賊ギルドが一番好きなの。このギルドほど元気に迎えてくれて、みんなの仲が良くって、居心地のいいとこなかなかないわよ。そのギルドの一大事となったら、手伝いたくなるのが当たり前ってもんでしょう?」

 その言葉にあたしは、ぽっと胸の中があったかくなりました。あたしの出迎えで、エレカおねえさんが嬉しい思いをしてくれたなら。そのおかげで、みんながとてもいい武具を身に着けて、戦いに向かえるなら。それでみんな無事に帰って来てくれるなら……あたしもみんなと一緒に戦えるんだって、思うことができそうです。

 だから、戦いに行くみんながわいわい言いながら武器や防具を選ぶのを、あたしは嬉しい気持ちで眺めることが出来ました。

「さっきの風竜とやらの鎧なァ、ハレスゥ、お前があれ着てけェ」

「え、いや、僕はどうせ役に立てないでしょうから……」

「だから役に立つために着るんだろォ?」

 遠慮しようとするハレスくんに、リュンスさんが風竜の革鎧を押し付けます。「ん、ちゃんと大きさも合うなァ」と笑って、それから真剣な瞳をハレスくんと合わせて。

「今回の戦いじゃなァ、俺達はァ多分お前さんを守れねェ。だからこそォ、お前さんにはいい武器や防具を着けてもらいてェんだ。そうすればお前さんの心配なしに戦えっからなァ」

「……僕、やっぱり残った方がいいんでしょうか」

 自信なさげに視線を落とすハレスくんの肩を、リュンスさんが笑いながら強く叩きます。ばん、と音が響いて、「ふごっ」と息を吐いたハレスくんが顔をしかめて肩を撫でます。

「戦いじゃなァ、誰が一番戦えるかよりもォ、誰が一番信頼できるかが大事な時ってあるのさァ。お前さんは馬鹿正直だからなァ、信頼するには一番さァ」

 ハレスくんの顔が、ぱっと明るくなります。だから遠慮なくいい装備着ろ、と言ったリュンスさんに大きく頷いて、ハレスくんは風竜の革鎧を自分の傍に置いて、今度は慎重に武器を選び始めました。

 部屋の奥の方ではデュオンが、何人かのギルド員に武器を見立てています。振った時の姿勢とか、鞘から抜いた時の様子から、ちょうどいい長さや重さの武器を選ぶんです。デュオンはそういうのが得意らしくて、みんなもデュオンに相談してますし――そういえばあたしも、今太腿に差してる短剣を買うときに、デュオンに選んでもらったんでした。懐かしくなって、あたしはスカートの上からそっと短剣を撫でて、その感触を確かめます。

 だけど、よく見ると……なんとなく今日のデュオンは、それに没頭しようとしてる感じです。何か、他に考え事があるみたいに。その悩みが戦いのときに響いて、命を落とすようなことがありませんように、と思わずあたしが組み合わせた手の薬指には、太陽の復活祭のプレゼントにデュオンがくれた指輪。

 左手の薬指の指輪は、婚約の証。それをレオンディールから聞いても、あたしはなんとなく薬指から指輪を外して別の指に着ける気にはなりませんでした。もしかしたらそれが、デュオンが好きってことなのかもしれないけど……今のあたしに言えることは、ただデュオンに無事に帰って来てもらいたい、それだけです。

 あたしがもう一度紫水晶の嵌められた指輪を撫でた時、ばたんと勢いよくギルドの扉が開きました。

「ようこそ、盗賊ギルドへ……ナナリちゃん!」

 肩で息をしながらギルドの扉をくぐるのは、昨日は何か考え込んだままの顔で帰ったナナリちゃん。ギルド長が志願者を募ったときに手を挙げませんでしたけど、それは弟や妹を守らなきゃいけないからだって、きっと誰もが納得しているはず。なのに、今のナナリちゃんの瞳は、もっと深くて強い決意に燃えているんです。

「あのっ、私も……私も、往きます!」

 そうはっきりと言ったナナリちゃんに、驚きの声があちこちから上がります。杖を手に立ち上がったログロ爺さんが、「ナナリ、無茶するんじゃねえ!」と叱るような、焦ったような声を上げます。それでもナナリちゃんは、大きく横に首を振ってから、真っ直ぐにログロ爺さんを見て。

「無理してでも、往きたいんです。私、盗賊ギルドにも、みんなにも、そしてこの街にもすっごくお世話になってきたから……でも、アリカさんやログロ爺さんや、ココットおばあちゃんみたいに、私はここに残って役に立てる人じゃないんです。だから、せめて戦いで役に立ちたいんです!」

「役に立たないなんて、そんな……」

 ログロ爺さんが、ナナリちゃんの傍まで来てぎゅ、とその手を握ります。それ以上の言葉は語りませんでしたけど、ログロ爺さんがナナリちゃんを孫のように思っているのは誰もが知っていることでしょう。ナナリちゃんがもし戦場で死んだら、ログロ爺さんはどうなってしまうのか――。

 そんなログロ爺さんの手を握り返し、ナナリちゃんは小さく笑みを浮かべて言います。

「もし、もしですけど、私が死んだら……ギルド長には許可をもらって、すぐ下の弟と妹に、盗賊ギルドを訪れるように言ってあります。だから、弟と妹を、よろしくお願いします」

 ――声も、出ませんでした。ログロ爺さんも、あたしも。

 ナナリちゃんは、死ぬ覚悟をしてるんです。もちろん生きて帰りたいとは思ってるでしょうけど、盗賊ギルドとこの街のために、命を投げ出すことがあっても構わないと。

 その決意に満ちた瞳に、何か言おうとしたログロ爺さんが口元を震わせて、けれど何も言えずに俯きます。がくりと揺らいだ体を、ナナリちゃんが手伝って椅子に座らせます――去年の夏にここに来てから、ナナリちゃんは身長も伸び、体格もかなり育ちました。ちゃんと食事をして、さらにデュオン達から剣を習って。誓約書にサインしたときから強い意志を感じさせていたナナリちゃんですけど、確かな自信と実力が、その意志を裏付けようとしてるんです。

「……その頼みは聞けんぞ。絶対に……絶対に、生きて帰って来い」

「ありがとうございます、ログロ爺さん。……おじいちゃん」

 小さな、小さなログロ爺さんの声に、ナナリちゃんは深く頷きました。おじいちゃん、と小さくはにかんで言ってから、デュオンの元に駆け寄ります。

「デュオンさん、私にも小剣を選んでもらえますか」

「ああ、絶対無事で戻れるよなやつを選んでやるぜ。まずはこいつだ、抜いてみな」

 そうしてデュオンに武器を選んでもらうナナリちゃんを、羨ましいと思う心を、あたしは止めることができませんでした。

 ――デュオンと共に、戦いに赴けるということを。

 やがてナナリちゃんは守りの魔法がかかった小剣を腰に刺し、さらに油で煮て硬くした大海蛇の革に、素早さを高める魔法を込めた紫水晶をあしらった革鎧に身を包んで、立派な盗賊剣士の姿になっていました。戦いに赴けるのは羨ましいけれど、それとは別に「立派に成長したなぁ」なんて思わず親心みたいなものを感じてしまったり。年齢からすると、親よりは姉の方がふさわしいかしら。

「アリカ! ……アリカ!?」

 そううっとり眺めていたせいで、すっかり呼ばれているのに気づきませんでした。慌ててあたしが顔を上げると、ギルド長が何か頷く横でデュオンが手招きしています。

「なぁに、デュオン?」

「アリカも1本か2本選んどけって、ギルド長から許可もらったんだ。ほら、見立ててやるから抜いてみろよ」

「へっ!?」

 突然のことに、思わず間抜けな声が出ます。だってあたしは、戦いに行くわけじゃないのに?

「ギルドの留守番だって立派な職務なのにさー、アリカにだけ買ってあげないのは不公平でしょー?」

 ギルド長がのんびりと笑ってから、「それにー」と少しだけ真剣な声で付け加えます。

「もし暗殺に失敗してこの街が占領されたら、まず盗賊ギルドを探すだろう。そのときに、自分の身を守れなきゃいけない。もしかしたら、ギルドに残る他の人のことも」

 暗殺に失敗したら。その言葉に、ぞくりと背筋に寒気が走ります。

 失敗したら。戦いに赴いた人は、ほとんど帰って来ないでしょう。盗賊ギルドは簡単に見つかることもないでしょうけど、もし見つかってしまえば――兵隊を相手に、このギルドを守らなきゃいけない。そのことが重く、あたしの胸にのしかかります。

「だから、アリカにも出来る限りの武具を揃えてもらいたい。流石に、戦いに往く人優先にはなっちゃうけど……」

「わかりました」

 ギルド長の言葉に、あたしは深く頷きました。ちょっとばかり、声が上ずっていた気もしますけど。

「それじゃ、これ。まずは……」

 けれどそんな中でも、デュオンが武具の説明をしながらあたしに合うものを見繕ってくれるのが嬉しくて。

 デュオンが選んでくれた中から、あたしが最後に選んだのは、風の魔法がかかっていて振るうと人がよろめくくらいの轟風を起こす短剣と、魔力によく反応する輝煌鹿の革に守りと素早さの魔法をかけた軽いローブを選びました。ローブはちょうど膝丈くらいなので服の下に着ることもできますから、受付に座っていても違和感もないですし、戦いの準備をしてないと思わせといて、そこから不意を打つことだってできそうです。

「ありがと、デュオン。それに、ギルド長もありがとうございます!」

 個室を借りてローブを服の下に着込み、右の太腿に今買ってもらった短剣、左の太腿に元の短剣をベルトを巻いて差したあたしが頭を下げると、ギルド長はうん、と頷いて。

「お願いするね、ギルドのこと」

 いつもと同じ笑顔で言ってくれたのは、あたしのことを信頼してくれてるからなのでしょうか。

 そう信じて、あたしは「もちろんです」と大きく頷きました。その横でデュオンが、ほっとしたように笑みを浮かべて――その顔は、悩みを吹っ切ったように見えました。


 準備を整えたみんなにギルド長は、明日の朝に出発すると告げました。王城からようやく軍隊が出撃するのに紛れて、ウォーレンスの王様の首を狙いに行く、とのこと。クレドランスの騎士や兵士には支給の武具がなく、みんなそれぞれに武器や鎧を用意します。金属鎧を着る人が多いですけど、革鎧の騎士や兵士も少なくないですから、紛れ込むには最適でしょう。

 全員で固まって行ったら一網打尽にされるかもしれないからと、5人くらいの組を作ります。ギルド長はもちろんユメちゃんと、仕方ないなぁと笑ったベルンちゃんが一緒になりました。ナナリちゃんは冒険者をやっている手練れ4人と組むことになって、「ちゃんとついてこいよー」と頭を撫でられて「子どもじゃありませんっ」と頬を膨らませていました。ようやく14歳になったばかりなんだから、まだ子どもなんですけど、自分の意志で戦いに行くんだからもう一人前の戦士ですもんね。

 医者のセドラさんは戦場の後方に隠れて、怪我人の手当てに専念することになりました。今の盗賊ギルドにお医者さんはセドラさん1人しかいませんから、危ないことがあったら大変です。

 デュオンはリュンスさんやハレスくんと同じ組です。ハレスくんもしっかり装備を整えたし、リュンスさんがいるならきっと無事に帰って来てくれる、とあたしはほっと胸を撫でおろしました。もちろん全員に無事に帰って来て欲しいんですけど、せめてどうかデュオンだけは――そう心の中で呟いて、あたしは慌てて首を振ります。なんだかひどく、ずるい願いのような気がして。

 明日の朝は早いからと、ギルド長はちゃんと寝るようにとみんなを帰します。後に残ったのは、ログロ爺さんとココットおばあちゃん、それにそれぞれの理由でギルドに残る何人かだけ。

 けれど、それからしばらくして――ギルドの扉がそっと開かれました。

「ようこそ、盗賊ギルドへ! ……あ、デュオン、どうしたの?」

 顔だけひょこっと扉から出したデュオンが、いつになく緊張した様子でぺろりと上唇を舐めてから、「アリカ、ちょっと抜け出せるか?」と尋ねます。どくん、と心臓が鳴りました――出陣の前夜、戦に往く男が街に残る女を呼び出す――定番でしょう?

 だけどあたしは、自分がただ待っていればいい女の子じゃなくて、盗賊ギルドの受付だということを忘れられませんでした。

「あ、あの、あたし受付しなきゃだから……」

 そう言って目を伏せたあたしの背中が、ばんと音を立てて叩かれます。

「行って来なさいよアリカちゃん。勇気を出した男の顔は、立ててやるもんよ」

 振り向けばそこには、満面の笑みを浮かべたココットおばあちゃん。背中はまだ衝撃で疼いています。どうしてあの細い腕から、こんな力が出るんでしょう?

「でも……」

「受付だったら代わってあげるわ。これでも若い頃は、盗賊ギルドのモテモテ看板娘だったのよ」

 そう言ってあたしをデュオンの方に押しやり、ココットおばあちゃんはでんと受付の椅子に座ってしまいます。部屋の奥からは「おーついにかー」「頑張れよデュオンー」「若いっていいねぇ」とか聞こえて来て、デュオンだけでなくあたしまで頬が真っ赤に染まるのがわかりました。

 ナナリちゃんが心配なのかふさぎ込んでいたログロ爺さんまで、こっちを見てにやにや笑っています。

「い、行こっか、デュオン」

「あ、ああ……」

 背中からの応援の声に押されるように、あたし達は慌てて盗賊ギルドを後にしました。


 大きな袋を手に夜道を歩くデュオンの後ろを、あたしは付いていきます。だいたい同じ背の高さのあたし達はほとんど歩く速さも同じ、なのに並んで歩かないのは……お互いに、気恥ずかしかったからかもしれません。

 どの店も閉まっていて、街灯だけが照らす道、それも、火が消えても灯し直す人がいないのかところどころ暗がりができている道を、二人音もなく歩いていくと――ふわり、と風に吹かれた薄紅色の花びらが、頬を撫でて通り過ぎて行きました。数本の木に満開になったばかりの花は、あっという間に散ってしまいますけど、それからしばらくして生る赤い実は子ども達の楽しみでした。あたし達はよくここまで遊びに来て、お腹いっぱい赤い実を食べたものです。

「本当は、いい店なんかに連れてってやりたかったんだけど。どこもやってなくってな」

 言い訳するように振り向いたデュオンに、あたしは首を振ります。冴え渡る月の光、それに薄く照らされて薄紅にも白にも青にも見える、咲き誇る花。これ以上に美しい景色は数あるかもしれませんけど、これ以上にふさわしい場所をあたしは見つけることが出来ないでしょう。

 そして、この景色をさらに華やかにするように。

「それ……どうしたの? こんな時に手に入れるなんて……」

 がさり、と麻の袋が音を立て、デュオンが取り出したものにあたしは目を見張ります――それは、色とりどりの薔薇の花束でした。この木の名前すら知らないあたしでも知っている、花の王と呼ばれる高価で美しい花。

「エレカさんに、口利きしてもらったんだ。王城の薔薇園の薔薇も、こんな情勢じゃ誰も見にも切りにも来ないって、園丁が嘆いてたんだってさ」

 王城の薔薇園。貴族にすら王様自らが許さないと開放されないという薔薇園に咲く花。王様のプロポーズにも使うような薔薇を、あたしが受け取っちゃっていいのか……ちょっとだけ戸惑いましたけど、それ以上に胸がドキドキします。だって他ならぬデュオンから、あたしはその薔薇をもらえるんです。それが嬉しくて嬉しくて、だけどそのデュオンが明日には、帰って来られるかわからない戦場に出掛けてしまうのが苦しくて――あたしは、ようやくわかったんです。あたしにとってデュオンが、どれだけ大事な人なのか。そうすると女心って不思議なんですね、少し前まで親友としか思ってなかった人と、一生を共にしたいって思っちゃうんです。

 だから、あたしはデュオンの言葉を待ちました。胸を突き破るんじゃないかと思うほど跳ねる心臓に心を昂らせながら、深呼吸してぎゅっと花束を握るデュオンの言葉を待ちました。

 それは永遠に続いた気もしましたし、一瞬だった気もしました。最後に深く深く深呼吸したデュオンが、花束を差し出すまで。

 固くなった、けれどずっと慣れ親しんだ声が、あたしの耳に届くまで。

「明日の戦いが終わって、俺が帰ってきたら……結婚して、くれないか」

 あたしの伸ばした手と、デュオンの手が花束を中心に触れ合います。あたしの手は震えてないかしら。ちゃんと微笑んでいるかしら。この幸せを、あたしがすごくすごく幸せだってことが、デュオンに伝わってるでしょうか……? 鼓動が高鳴りすぎて、なにもわからなくなりそうで……でも確かに、薔薇の花束はあたしの腕の中にあって、あたしは頬を火照らせてこくんと頷いていました。薔薇の花の中に顔が埋まって、甘いのに凛とした香りが胸一杯に広がります。

 それを堪能しながらゆっくりと顔を上げると、デュオンがぱあっと顔を輝かせていて――次の瞬間、あたしは薔薇ごとデュオンに抱き締められていました。ありがとな、と囁くような声が、耳のすぐ近くで聞こえます。あたしは何度も何度も、頷くことしか出来なくて、そしてこんなに嬉しいのになぜだかわからないけど涙が込み上げてくるのを、どうしても止められませんでした。

 ――なのに。

「でも、もしも俺が帰ってこなかったら……俺のことは忘れて、いい男見つけろよ」

 そんなことをデュオンが言うものですから、涙も引っ込んじゃいました。

「あっ……のねえ…………」

 あたしを抱き締めたままのデュオンの脛に見当をつけて、軽く爪先を叩き込みます。「うごっ!?」と呻いてあたしを離したデュオンの耳を摘まんで、あたしは大きめの声で言ってやりました。

「今ここで一生を誰と過ごすか決めちゃった女に、他の男の話なんかしないのっ!」

「あでででっ……って、アリカ……」

 ちょっと耳を摘まむ力が強すぎたのか、顔をしかめていたデュオンが、あたしの言葉に瞬きしてからへらぁ、と幸せそうな笑みを浮かべます。なんともいえない情けない姿でしたけど、それもいいんじゃないかなんて思っちゃったのは惚れた弱味って言うんでしょう。

「いーい? 婚約者が待ってるんだから、絶対帰ってきてよ。デュオンが死ぬことなんて考えないから。待ってるから」

 そう言って、今度はあたしからデュオンに抱きつきます。花束を持った手をデュオンの後ろに回したから、さっきよりずっと距離が近くなって……自然に、あたしとデュオンの顔同士が近づきます。あ、と思った時には、あたしは目を閉じていました。ふわ、と唇をかすめるように、柔らかいものが触れます。一度治まっていた激しい鼓動が、またどきどきと高鳴ります。ふっと離れたかと思うと、またふわりと触れて――まるで小鳥みたいな、拙いキスを、あたしとデュオンは何度も、飽きることなく繰り返しました。それ以上のキスがあるとは知ってましたけど、あたしは十分心地良かったし、自分から先に進むのが恥ずかしくって……でもデュオンは、今思えば遠慮してたのかもしれません。あたしに、というよりは、もし自分が死んだときに、あたしが恋するかもしれない他の男に。――そんな義理いらないのに、変な所で義理堅い男、それがデュオンなんです。

 でも、幸せでした。触れるだけの唇が、そこから感じるぬくもりが、とっても幸せでした。


 薔薇の花束は、デュオンに盗賊ギルドまで送ってもらう途中で、自分のアパートに寄って活けておきました。花瓶なんて洒落たものはなかったので、大きめのボウルに何とか収めて。

 デュオンとは銀の箸亭の勝手口で別れましたけど、ギルドに戻った時のみんなのからかいっぷりったら。あたし、絶対忘れません。からかった人達に恋人が出来たら、今度はあたしがからかい倒してやります。

 ようやく手荒い祝福の嵐が収まって、あたしが受付を交代しようとすると、ココットおばあちゃんが「早かったね」と肩を竦めます。

「いいのかい、夜のうちに帰って来ちゃって」

 ココットおばあちゃんの言葉が意味するところは、何となくわかりました。きっと、別れの前に体を重ねてこなくていいのか、ってことなんでしょう。

 あたしもデュオンに誘われたら――その時は頷く、つもりでしたけど。

「いいのよココットおばあちゃん。だって……」

 でも、そうならなかったことに、後悔なんてありません。しないって決めたんです。

 だって。

「デュオンは、絶対に帰って来るもんね」

 ココットおばあちゃんは優しく笑って、交代で受付に座ったあたしの頭をぽんと叩いて奥へと戻って行きました。


 まだ明け方のうちから、ギルド員達がどんどん盗賊ギルドに集まって来ます。みんな新しい武器を持ち、鎧に身を包んで。あたしも服の下にローブを着て、短剣を2本両太腿に差した姿です。

 一度に全員が出ていくと街中で不審に思われるかもしれませんから、一緒に行動する5人ずつが、盗賊ギルドを後にします。デュオンがリュンスさんやハレスくん、他の2人のギルド員と一緒に出発したのは、外が明るくなる頃でした。

「それじゃ、行って来るぜ」

 そう言って笑ったデュオンに、あたしは「気を付けてね」と頷きます。リュンスさんが傍らで笑って「デュオンのことは任せろよォ」と言うので、あたしとデュオンは2人して真っ赤になってしまいました。

「ええっ!? いつの間に!?」

 ハレスくんが驚いている横で、「まぁいつかはって思ってたけどなー」「この色男めっ」と他の2人がデュオンを両脇からつつきます。戦いの前とは思えない和やかさですけど――緊張に硬くなるよりは、ずっといいんじゃないかなってあたしは心の中で胸を撫で下ろしました。

 朝の太陽が昇る中、歩いていく一行に――そしてデュオンに、あたしは呼び掛けます。

「行ってらっしゃい!」

 一斉に振り返ったみんなが、手を振ってくれます。あたしも手を振り返します。

(「どうか……みんな無事で。デュオンを、お願いします」)

 そう太陽に祈りながら、あたしはみんなの姿が見えなくなるまで、手を振り続けていました。

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