閑話 たどりびと
『お祖父ちゃんなんか、本当に血が繋がってるかもわからないくせに決めつけないで!』
久しぶりに、孫娘の奏音の声を聞いた気がして、久我山源はふと目を覚ました。
――――曾孫というものができた。それも随分と大きい。
友人達にそう告げたなら、それぞれどんな顔をするだろうかと思って、ふっと息を漏らす。
自分では微笑んでいるつもりでも、どうやら他人から見るとそうではないというのを自覚するまでは、そう時間はかからなかった。
『よく笑う人』
そんなことを言ってくれたのは、生涯でただ一人だけだったが、随分と早くに先に逝ってしまった。
外はまだ薄暗い。時計を見るとまだ四時にもなっていなかった。
楽は寝入るとそうそう起きないため気も使わないが、あのくらいの歳の子供はよく目を覚ましていたような気がする。
そう思った源はしばらく横になったままでいることに決めた。
一人では寂しいかもしれないからと、楽が客間の一つである和室で布団を並べて敷いてねているはずだが、初めて来た家で、知らない人間たちに囲まれて生活するのは随分とストレスだろうと思う。
(どうやら、母親に似た気質というわけでも無さそうだしな)
恐る恐る、しかしとても丁寧に挨拶をした詩音を思い浮かべると、そんなことが自然と連想されて、再び源は口元を歪めた。
「それにしても……強い思念がわかる左手か。千代も左手であったのは、そういうものなのか、それとも偶然か」
楽が、一緒に住むならば祖父さんも知っておくべきだろうと言って告げた内容に、源自身はそこまでの驚きはなかった。
あぁ、なるほどな、と思っただけだ。
そうか。とだけ告げた源に、少しだけ怪訝そうな様子を見せていた楽だったが、話すならば少し詩音が落ち着いてからが良いだろうと源は思っていた。
たどりびと。
稀に生まれる不思議な能力を持った人のことを、うちの家系ではそういうのだと教えてくれたのは、亡き妻の千代だった。
そこに宿った想いに触れて、辿る人。
戦後で、まだ"あやかし"も"怪異"も今よりもう少しだけ近くて、生活の中で感じることが多かった頃のことだ。
今であれば、超能力者だとか、サイコメトラーだとか、胡散臭い言葉と共に語られるようなもの。
だが、自身の生涯の連れ合いとして生きてくれて、そして、祖父がそうだったからと"そういうもの"として受け入れていた彼女は、そんなふわふわとしたものではなかった。
時折なにもないところで悲しそうにしたり、失せ物を探し当てたり、こじれた友人達を繋ぎ止めたり。
源もそれを少し手伝って、探偵紛いのことをしたこともある。
そして、必要な時以外は、その能力を使うことも明かすこともなかった。
『うふふ、でも、あなたがムスッとしているように見える時にはついつい使いたくなってしまうけれどね』
そんなことをいう、茶目っ気もある女性だった。
しかし、そんな彼女だが、悔やんでいたこともある。
一人息子の剛が出奔をしたときだ。元々、外に出たいという欲があった息子だった。だが、同時に臆病なところもあった。
源も千代も、初めての子供で、それでいて二人目は授かることがなかったから、剛に愛情を注いでいた。今でも、どうするのが正解だったのかはわからない。
当時、就職は非常に厳しい時期で、剛は不機嫌な日が多かった。塞ぎ込むこともあった。
だからだろう、千代がふとした時に左手で触れてしまった時に、剛は言い放ったのだ。
『気持ち悪い! 人の心を覗こうとしてんじゃねぇよ!』
『剛! お前母さんに向かって何を! …………出ていけ、この親不孝もんが!』
『あぁ! 出てってやらぁこんな家! 都会に出て二度と戻ってこねぇからな!!』
売り言葉に買い言葉というやつだが、それでも源はその言葉が許せなかった。
わかっている。色々とうまく行かなくて不安な八つ当たりだったことも。本来優しいことも。
だが、時は戻ることはなく、そして、本当に出ていった息子はそれ以来帰ってこなかった。
心配しなかったわけではない。だが、どこかでどうせすぐ帰って来ると高をくくっていた部分もあった。それが間違いだったのだろう。随分と時間が経ってから千代と色んな伝手で探したものの、剛の行方はどうやら東京方面に向かったということ以外、足取りは途絶えてしまった後だった。
源は、今でも悔やんでいる。あの時すぐに探さなかったことを。
千代は結局、それを気に病んだまま、逝ってしまった。
そして、縁というのは不思議なもので。
千代がいなくなった後に、剛が子供を作って暮らしていたこと、そして事故で還らぬ人となった結果、奏音と楽という子どもたちが施設に入っているらしいことが、独りとなった源に知らされた。
すぐに会いに行って、剛の面影に引き取ったのは、もう13年も前のことになるのか。
(まぁ、結局奏音も家を飛び出した辺りで、子育てという才能がなかったのやもしれん)
奏音との揉め事は、剛のように売り言葉に買い言葉というわけではなかったが、結果としては同じことだ。
だが――――。
「お前の息子が、千代の家系であることをきちんと証明をしてくれたようだぞ、奏音」
考え事をして、そう呟いていると、二人が起き出してきた気配がする。
楽には伝えておらず源だけが知っていることもあるが、今はまずは、郷愁と悔恨を思い起こさせてくれた曾孫のために、いくつか手続きをしなければと、源は再び笑顔とは思われない口の動きをして、起き上がったのだった。