第42話 理の破壊者
――なかなかに手強かった……君の腕っぷしだけは、認めてあげようか。
濁流のように淀んだ空の下、冷淡なガープの言葉が響き渡った。
「ヂィ! イギヂィ!!」
「ヂニグヲ、ザザゲヨ!!」
「バヤグノマゼデッ!!」
飢えと喉の渇きに苦悶の声を上げる異形たちが見つめる先。
そこには――ボロボロになって磔にされた風狼の姿があった。
(……なんたる屈辱……これが、怨嗟の霊薬の力なのか……)
喉の奥から血がこみ上げてくるのを抑えながら、かろうじて呼吸を繋いでいる。いくら歴戦の猛者でも、狂気の人海戦術にはとても敵わなかった。
――けど、残念だったね。君はこれから、彼らの供物になるんだ。
パチンッ!
どこからともなく、指が鳴る。その直後、寂れた王国の風景が、瞬時に祭壇内へと移り変わった。
――せっかくだから、敗因を教えてあげよう。
(……)
風狼は歯を食いしばりながら、その隻眼で天を睨み据える。ガープの声色が、先ほどとは打って変わって愉快さを取り戻したからだ。
——それはね、理に重きを置きすぎたことさ。君は今まで、森の守護獣として、自然の摂理を重んじてきたんだろう。
その心理眼は、恐ろしいほど正確に、風狼の胸の内を全て見透かしていた。
——けどね、私の領域では話が別なんだよ。何度も言ってるだろ? 地獄から来た存在だと。君の言う“自然の摂理”なんてものを当てはめるのは、はなから間違いなのさ。
(……そう、なのかもしれんな)
理の破壊者に摂理をぶつけたところで、何の意味もなさない。悔しいが、ガープの言葉はこれ以上なく筋の通った、残酷な論理だった。
——さて。これでわかってくれたかな? 君と私とでは次元が違うんだ。とはいえ、よく持ち堪えたものだとも思う。
飄々としたガープの語りの傍らで、祭壇内に黒衣に身を包んだ術者たちが、ドロリと這い出てくる。
——そこで、だ。その強い信念に敬意を表し、私から最大限の贈り物を授けよう。
(贈り物……だと?)
磔になった風狼を中心に、魔法陣らしき刻印が淡い光りを放つ。直後、その周りを術者たちが取り囲み、一斉に呪いを唱え始めた。
「ワレラガラグエンエ……ムガエヨウ」
静かな狂気が熱を帯び、辺り一帯を包み込んでいく。
——その血肉は、彼らの供物としてもらう。その代わりに、老いず、朽ち果てることのない肉体に作り替えてあげよう。
(——ッ⁉︎)
身体中から血の気が引いた。
——そう不安がることはない。なんせ私は霊薬でもあるんだ。新たな君に相応しい、強大な力も与えようじゃないかっ!
風狼にとってはこれ以上ない侮辱に他ならない。きっと、その先に待っているのは——ガープに良いように操られる、傀儡と化すことだけだ。
「ヂノザガズギヲ……モダラザン!」
黒衣たちの魔術書から、ドクドクと脈打つ血管が飛び出す。生々しく枝分かれしたそれは、まるで注射針のように風狼の肉体へと刺し込まれていった。
(うぐっ……⁉︎)
鋭い痛みとともに、さらに全身から力が抜け落ちていく。もはや、魔法の発動はおろか、爪先一つすら動かすことは叶わなかった。
——さぁ! 我が力を受け入れよ! 永遠に忠犬として、私に仕えておくれ。ふははははははっ!
ぐらつく意識の中、高らかな嗤い声が鼓膜を震わせる。
(すまぬ……ルカ……)
己の無力さに打ちのめされながら、風狼は力なく目を閉じた。
彼は夢にも思わなかったことだろう。
——天の怒りが、味方をしてくれるとは。
ピシャァァァンッ!! バチバチィッ!!
——むぅッ⁉ この雷はッ……⁉
閉ざされた瞼の裏に、仄かな光が差し込む。耳に籠った不快な嗤い声は、一瞬にして雷光の嘶きに呑み込まれていった。
断末魔は上がらない。しかし、包囲していた術者たちの声は、既に途絶えていた。
(風向きが……変わった?)
それは、希望の風。
いったい誰が齎したのか。否、考えるまでもなかった。
——ふぅん……こりゃ驚いた。
「……ああ。這い上がってきたよ……」
手塩にかけて育ててきた、最高の愛弟子——ルーカスだ。
「おまえの……その邪悪な霊薬、ここで祓ってやるッ!!」




