エピソード 6 : 数の法則
編み籠を手に、ハストゥルはバンのあとを追い、銀色に揺れる広大な野を歩いていた。
風が二人の名を囁くように、無限の海のような穂が波打っている。
「ねえ、バン」
ハストゥルはおそるおそる口を開いた。
「君はよく『四六九・五』という数字を口にするけど……それは、いったい何を意味しているんだ?」
バンは足を止めた。
沈黙が、鉛のように空気を重くする。
やがて、彼はゆっくりと顔を向けた。
「……ただの数字じゃない」
彼は低く呟いた。
「それは――呪いだ」
ハストゥルの眉がひそむ。
バンの視線は、虚空に溶けるように遠くを見つめていた。
「この数字は、ドラン師の誕生とともに生まれたと言われている。
彼は六月の第四日に生まれた。第九年――そして、その“半分”の年に」
「半年……? そんなの、ありえるのか?」
ハストゥルが息を呑む。
「この地では、時間さえもまともに流れないんだ」
バンの声は冷たく乾いていた。
「父が彼に遺した土地は四六九・五キロヘクタール。眠る時間も四六九・五分。
ある夜、彼は叫んだ――『この数字こそが、私の現実の中心だ!』と。
それ以来、誰もその数に逆らおうとはしなかった」
風が凍りついた。
草の一本一本が、自らの意思で震えた。
「だが、まだ終わりじゃない」
バンが囁く。
「この地を歩くとき、数を無視すれば……足は必ず出発点へと戻る。
――そして、四百七十歩目を踏み出した者は、生者の世界から消える」
ハストゥルの顔から血の気が引いた。
大地が低く唸りを上げる。
地面が脈打ち始めた。
遠くに影が立ち上がる――顔のない人影。
ひび割れた仮面の隙間から、黄の光が滲み出ていた。
その足取りに合わせ、草原全体がひれ伏すように歪む。
バンはハストゥルの腕をつかんだ。
「動くな……」
彼の声は、かすかに震えていた。
「もし数を乱せば……最初からやり直しになる」
影が一本の痩せた指を、ゆっくりと二人に向けた。
千の囁きが重なったような声が、野全体に響き渡る。
> ……よん……ひゃく……ろくじゅう……きゅう……
風と大地が同時に笑った。
その笑いは人ではない。
ハストゥルの心臓がねじれ、喉が締めつけられる。
世界の鼓動が、あの数と同調していた。
四六九・五。
すべてが、その拍に震えている。
「走れ!! 後ろを振り向くな!!!」
バンの叫びが夜を裂いた。
二人は狂ったように草原を駆け抜ける。
声は加速し、速く、速く――やがて耳を裂く金切り音に変わった。
そして――すべてが止まった。
彼らの前に、ひらけた円形の空き地。
その中央に、時間に蝕まれた石碑が立っていた。
風化した文字の中、ただ一語だけがかろうじて読める。
> 「帰還」
バンは石に手を置いた。
「……ここが“劇場”の境界だ。あと一歩進めば、舞台ごと消えていた」
ハストゥルが空を見上げる。
月が――裂けていた。
そして、どこからともなく吹いた風が、彼の耳に囁いた。
> ……よん……ひゃく……ろくじゅう……きゅう……そして……はんぶん……




