第8話 墜憶の再会
森の中、湖畔近辺。
「ねぇ、セレナ?本当に、この辺りで間違いないんですの?」
山歩きに不馴れな栗色の長髪の少女が、数メートル先を歩く碧髪の小柄な少女に訊ねた。
「………(コクッ)」
碧髪の小柄な少女は無言で頷き、止まることなく先を進み続けた。
「ハァハァ…………ハァハァハァ…………やっと、追い付きましたわ………ハァハァハァ………」
栗色の長髪の少女が、碧髪の小柄な少女の側まで近付くと、清らかな水の音が聞こえてきた。
「? 河?」
「いや、湖畔…………」
「す、少し……湖畔で休憩いたしましょう」
「じゃあ、ワタシは『アレ』を引き上げてくる」
碧髪の小柄な少女は、一人で湖畔の奥へと進んで行った。
「? 『アレ』?」
栗色の長髪の少女は、足が棒のようになってしまったかのように、その場に座り込んでしまった。
どのくらい寝ていたのだろうか?
意識が覚めた時には、耳元でパチパチという焚き火のような音が聞こえていた。
若干、朦朧とした意識で瞳を開いた。
「あ、起きた」
淡白な声が聞こえ辺りを見渡すと、背後に見覚えのある碧髪の少女、目の前の焚き火越しにこれまた見覚えのある栗色の髪の少女がいた。
空は暗く、微かな月明かりと仄かな焚き火の光が、辺り数メートル程を照している。
「えと……………」
どう言ったら良いのか分からず、言葉に詰まった。
「………(ん)」
「? ……………え、えと」
突然、碧髪の少女に微かに湯気の立ち込める木製のお椀を手渡された。
ワタシはそれを受け取り、冷や汗を掻きながら中の『異物』に目をやった。
ボコボコと嫌な泡を噴く、明らかに危なげな怪しい蒼黒いスープ。その中には、奇妙な物体も浮かんでいる。
「…………(んっ)」
その奇怪なスープに躊躇していると、碧髪の少女は無言で木製のスプーンを力強く差し出してきた。
「グッと」
「い、いえ、さすがに『コレ』は……………」
『コレ』を一気飲みするのは、明らかに命の危機を感じる。
「別に、食べなくてもいいわよ…………」
栗色の髪の少女は、怠そうにワタシの行動を制止した。
フリか、信実か、その表情からは推測しづらいが、ワタシはその毒々しいスープを一気に飲み干した。
「んくっ!…………………ぼぇぇえぇぇぇぇ~~~」
しかし、ワタシの胃は『ソレ』を受け入れず、お椀一杯分のスープが食道を逆流し、蒼黒い液体は若干の赤みを帯びて砂土の上に溢れ落ちた。
「だから言ったのに」
確かに…………。『人』の忠告は素直に受け止めて措くべきだった。
「だいじょうぶ…………?」
心配そうな表情で、碧髪の少女が背中をさすってくれる。
五分程で気分が落ち着き、改めて現状を訊ねた。
「えと………、それで、コレはどういった状況なのでしょうか?」
「……………」
「アナタを探して、森の中で迷子中。という感じですわ…………」
迷子で、機嫌が悪いのかな?てっきり、ワタシに対してだと思ってたけど。
ワタシは空を見上げて、耳を澄ませ、鼻を成らした。
それで気付いた。
「近くに、川か何かあるみたいですね」
「えぇ、あるにはあるわ」
「そこで釣った魚の煮物、だったんだけど」
「え゛っ?」
コレ、魚の煮物だったんだ………………。薬物まみれの毒汁だと思った。
「?」
「で、では、まずは、釣りに行きましょう」
「釣り、出来ますの?」
「はい」
改めて、ワタシ達は拠点を近くの泉に移した。
「また、釣れました」
「餌、取ってきた」
ワタシ達は役割を決めて作業をしていた。
碧髪の少女こと──セレナさんは釣り用の餌を、辺りの木の根元や岩の下から掘り出し、その餌を使ってワタシが良さげな木の幹と丈夫な蔓、鉄の鍵針で作った簡素な竿を用いて魚を釣っていく。
その間、栗色の髪の少女こと──シルヴィア・エーデルワイスさんは、釣り上げた魚を串に刺し、改めて点けた焚き火の火で、魚を焼いていく。
「ようやく、マトモな食事を頂けるのね」
シルヴィアさんが、ふとそんな事を呟いた。
いったい、どんな食事をして来たんだか……………いや、先程の『毒汁』を思えば大方の予想は付くか…………。
それから約一時間程が経ち、約三十匹程の魚を釣り上げたワタシ達は少し遅めの夕食にありついた。
「それで、この後はどうなさるおつもりですの?」
ふと、シルヴィアさんが訊ねてきた。
「そうですね。森の外に出たいですが…………、この時間では、さすがに無理そうですね」
ワタシは木々の葉の隙間から見える夜空を見上げて、そう答えた。
夜空に浮かぶ月の位置から、現在の時刻は九時過ぎか。
此処が、森のどの辺りか分からない以上、無闇に動けば野生動物の餌食となってしまうだろう。
なので、ここは現状を呑み込み素直に休んだほうが健全か…………。
そう思い、ワタシは軽い眠りの淵に浸いた。
森の西側、海岸部付近。
目尻がキツく吊り上がった狐目の男は、その場所で緋黒い塊の物体を眺めていた。
「コレでも、《権能》のほんの一端に過ぎない、ですか…………」
狐目の男は、その物体に近付きドス黒い液体と緋茶けた鉄の一部を採取していく。
「ヒドイですね。あまり原形を留めていないみたいですし……………」
取り外した鎧のような塊を眺め、そこに付けられた不自然な傷に首を傾げた。
「これは……………」
そこにこべり付いた小さな物体。
それは、その鎧の持ち主の肉片だと推測されるが、その肉片の状態が奇妙な程に異常だった。
「微かに焼けてますね。ですが、この焼け方は熱伝導による焼け方では無さそうですね」
その肉片は確かに焼けている。
しかし、その焼け具合は、まるで何百度にまで熱せられた鉄を当てたような状態になっている。
「まぁいいでしょう。この後も彼女と出会う機会はありそうですし……………それよりも、今は『クライアント』の要望に答えませんとね」
狐目の男は、その塊を残して、森の中へと姿を消した。
翌日。
ワタシは早朝から森の中を歩き続けた。
「あら、もう外ですの?」
シルヴィアさんが呟いたのを余所に、ワタシは首を傾げた。
先程までいた泉から、今いるまでの移動に掛かった時間は、およそ五分。
これならば、昨晩の内に動いても問題無いような気がしたが、どうも違和感を覚える。
その違和感の正体は此処に来るまでの濃い霧にあると思われる。
朝方ともなれば霧が出て当然だが、その霧には何か別の『存在』を感じた。
「……………(チョイチョイ)」
振り返ると、セレナさんがワタシの袖を軽く引っ張っていた。
「何ですか?」
「さっきの霧、水気を感じなかった」
「水気?」
思い出して見れば確かにそうだ。
霧というには不自然な程、その霧から全く水気を感じなかった。
ならば、煙だろうか?
しかし、それもおかしい。
煙ならば、微かな熱量とある程度の蒸気を感じるはずだ。
しかし、その霧からは定義すらも感じなかった。。
謎が深まるばかりの奇妙な霧。
はたして、その正体はいったい…………。
「ねぇ、これからどうなさるご予定ですの?」
ふと、シルヴィアさんが、論闘を壊すように口を開いた。
ワタシは、煮詰まった思考を取り置き、シルヴィアさんの質問に答えた。
「そうですね。ワタシは家に戻ろうと思います」
ワタシの記憶では、既に最中さん達が戻っているはずだ。
時間的にもまだ家にいるだろうし。
「そうですか。では、私達もご一緒しますわ」
「ふぇ!?」
ワタシが目を見開いて驚くと、シルヴィアさんはニッコリと微笑み、セレナさんは無言でコクコクと頷いた。
「………………」
ワタシは、しばし考えた。
ん~~~、良いんだろうか?
考えても埒が明かなさそうにないので、諦めて帰路を歩き始めた。
「此処が貴女のお家?」
家に到着し、家の正面を下から上まで見据えてシルヴィアさんが呟いた。
「はい。ですが、正確には風音さんのお家ですね」
「双葉総督の娘さん?」
「はい」
ん?そんな経歴だったかな?
普段の言動から、時々忘れがちになるだよなぁ。
「では、入りましょう」
家の前での立ち話も何なので、早急に中に入ることにする。
「ただいま帰りました」
玄関の扉を開き、そっと足下に目をやった。
最中さんと咲良さんの靴はあるけど、風音さんと修哉さんの靴は無いみたい。
「おっ、誰かと思ったら柚吉じゃないか」
ワタシの声に気付き、手前の部屋から最中さんが顔を出した。
てか、まだそんな呼び方を続けてたんだ…………。
「ゆ、柚希さ~~ん!」
「ふぇ!?」
ふと、何かが大声を上げてワタシに飛び掛かってきた。
「さ、咲良さん………?」
慌てて目を向けると、そのには顔をぐしゃぐしゃな泣き顔にした咲良さんの姿があった。
正直、その行動の原因に心当りはあるが、その原因によってここまでなる理由が解らなかった。
「いや~、ずっと心配したよ。作戦の提案者が自らの身を犠牲にして帰って来なくなっちゃうんだからね」
最中さんの言葉で、それまで思い出せていなかった記憶の一部が思い出された。
そうだ。ワタシ達は森の中で重厚な武装をした集団に襲われたんだ。
彼らとの戦闘は難航し、ワタシはイチかバチかの選択をした。
それが、部隊の逃走。それは、通常の逃走ではない。
戦力を二分し、その全てを自身が引き受けるというもの。
確かに、大きなリスクはあった。
しかし、あの時はそうするしか他に手は無かった。
その選択の要因は、考えること無く咲良さんにある。
ワタシと最中さんだけであれば、あの場をスムーズに回避することは出来た。
しかし、戦えない咲良さんのことを考慮すれば、負傷していた最中さんが咲良さんを連れて逃走するのが最良の判断だ。
「まぁ、まさか、無事で帰って来るとも思わなかったけど………」
最中さんは言葉を区切って、視線をワタシからずらした。
「まさか、知らない人を連れて帰って来るなんてね」
最中さんの言葉に、ワタシは後ろを振り返った。
そこにいるのは当然、シルヴィアさんとセレナさんだ。
二人は、ペコリと頭を下げて最中さんに軽い挨拶をした。
「で、あの後はどうなったの?」
軽い紹介を済ませ、ワタシは居間で先日の進境を伝えた。
正直、ワタシ自身が“ark follche“の影響で、発動後の記憶がほとんど無い。
なので、そのほとんどがワタシの憶測になってしまう。
「そっか…………」
簡潔に説明すると、最中さんは一人納得した。
それは、シルヴィアさんも同じだった。
「それで、これからどうする?」
「へ?」
最中さんの突然の問いに、ワタシは首を傾げた。
「柚希の話を聞いた限りでは、昨日の奴らは完全に倒した訳じゃないんでしょ?」
「…………………」
言われて考えた。
確かに、その辺の記憶が乏しい為、その点ははっきりとしない。
ならば、何かしらの対策を立てておくのが妥当だろう。
「そうですね。日々警戒しつつ、近い内にもう一度森に入って様子を確かめてみましょう」
「了解」
ワタシの言葉に、最中さんは軽く頷いた。
その様子を真似してか、シルヴィアさんとセレナさんも小さく頷いた。
その時、ワタシの脳裏に微かな疑問が出来た。
本当に、何も無ければいいが……………。
「それと、もう一つ訪ねたいんだけど」
しばしの沈黙を打ち破るように、最中さんが口を開いた。
その言葉の矛先はワタシに向けられていた。
「なんですか?」
「今日の夕飯、どうする?」
「へ?」
突然の話題に、ワタシは自分の耳を疑った。
その後、その話題の意味合いを知り、ワタシは何故か同行を志願してきた咲良さんとシルヴィアさん、セレナさんと共に、街へ買い出しに出掛けた。
「此処が、商店街……………」
シルヴィアさんの呟きを聞き、ワタシは彼女に習って辺りを見渡した。
そこで、ふと思った。
そういえば、こうして買い物するのは今日が初めてか………………。
「見て下さい!お店の前に色んなモノが並べられてますよ!?」
店頭に並べられた商品を見て、シルヴィアさんは歓喜の声を上げてお店を縦横無尽に回っていた。
その間、セレナさんはシルヴィアさんの後を着いて、シルヴィアさんが勝手に手に取り食べ始めた商品のお金を払っていく。
そんな光景を後方で眺めながら、ワタシと咲良さんは二人の後を追い順当に買い物を済ませた。
その後の帰宅途中、ワタシの頭にとある疑問が浮かんだ。
「…………」
それは、先程の商店街から少し離れた場所に忽然と建っている一軒の建物だった。
こんな場所に、お店なんてあったんだろうか?
その店の名前は【遊殻亭】。
そのお店の名前と建物の見た目から、遊び場なのか、飲食店なのか、旅館なのかさっぱり分からない。
けれど、その雰囲気からは、そのどれもを兼任したようなお店なのだろう。
「柚希さん?」
声が聞こえ、ワタシは先を歩いていたシルヴィアさん達の下に向かった。
その日も、何気なくドタバタして終わり、ワタシは中庭にポツンと設置された池の前に立った。
この日の夜空は、満天の星空にハッキリと満月の見える夜景だった。
それは、目の前の池にハッキリと映っており、とても綺麗に反射している。
「眠れない?」
声が聞こえ、後ろを振り向くと、そこにいたのは──、
「セレナさん?」
だった。
セレナさんは、ネグリジェに似た薄手のパジャマを着ており、その姿は一瞬の刻を忘れさせる程の可愛さを纏って見えた。
「えと、セレナさんこそ、眠れないのですか?」
ワタシの質問に、セレナさんは首を横に降って答えた。
「ううん。シルヴィアがようやく眠って、貴女の気配が此処にあったから来てみただけ」
「そうですか」
少し予想外というべきか……………。
しかし、用件は何だろう?
思考を巡らせていると、その答えはセレナさん自身が答えてくれた。
「もう、あの頃の貴女じゃないの?」
「………………」
その問いに、ワタシは沈黙を選んだ。
何も言えない。
その質問の意味も、その解答も、どちらもワタシ自身がまだちゃんとした答えを見つけていないことに比例するからだ。
「先日の事件がそう。貴女は自身の『力』を一割も出していない」
聞けば聞く程胸が痛くなる。
しかし、ワタシの中で、その答えの先に見える光景が、ワタシの行動に制限を掛ける。
その為、セレナさんの言葉に反論することが出来ない。
「どうして?」
繰り返すような問い掛けに、ワタシはようやく口を開いた。
「怖いんです」
「?」
セレナさんは首を傾げた。
当然だ。
あの頃のワタシ達は、そんな事など考える暇もなく人を殺してきた。
その名残は、今のセレナさんには当然の如く残っている。
そんな考えの違いが、今のワタシ達をすれ違いさせていた。
「どうして恐れるの?ワタシ達はすでに、何千、何万という数の人間を殺してきた。それは貴女も理解しているはず」
「それは理解しています。ですが、ワタシは、もうワタシがワタシでなくなることが怖いんです」
「《烙封印》の事?」
「はい」
「………………」
しばし、沈黙が流れた。
「じゃあ、そんな貴女を、ワタシが導いてあげる」
「え?」
「貴女は、ワタシよりも多くの《烙封印》をその身に刻んである。だから、ワタシがそれに呑まれないように支えてあげる」
「…………どうして、ですか?」
ワタシは首を傾げた。
その反応に、セレナさんも首を傾げた。
「以前、貴女はワタシ達を助ける為に、一人で戦ってくれた」
「……………」
それは、約二年前の話だ。
自衛局の軍隊が、以前ワタシ達がいた『試験所』を強襲してきた際、ワタシはそこの所長の命令で、一人自衛局の軍隊と対峙し、その大半の軍人を殺した。
「結局、あれは勘違いだったみたいですけど」
壊滅寸前まで追いやったワタシは、その後、修哉さんにアッサリと敗れ、風音さんが監視するという名目で、自衛局に捕らえられたのだ。
「それでも、貴女のした事を、ワタシ達は少なからず感謝はしている」
「セレナさん…………」
その反応を見たところ、少しはコチラ側に近付けているのかな?
「ありがとうございます」
しかし、ワタシの中で、一つ不明な点があった。
「あの、一つ聞いても良いですか?」
「何?」
「他の方々はあの後どうなったのでしょうか?」
それは、捕らえられた時から、ずっと気にいた事だ。
「分からない。ワタシ達は、それぞれの場所に収容されていたみたいだから」
「そうですか…………。因みに、それは誰から聞いた事ですか?」
「シルヴィアから」
「…………」
何と言って良いか分からず、ワタシはただ黙り込むことしかできなかった。
「そうですか………」
結局、そう答えることしかできなかった。
「じゃあ、ワタシはもう寝るから。貴女も早く寝なよ?明日のご飯も作らないとね」
「そうですね」
炊事や洗濯などの家事を担当していた修哉さんの戻りが分からない為、彼女達の中で唯一それらの出来るワタシが、修哉さんの代行をすることになったのだ。
セレナさんが自室に戻った後、ワタシは少し遅れて自室に戻り床に着いた。




