第73話 星に願いを
早朝の訓練は、それこら一週間は続いた。
毎日のように行う無呼吸法も、日を重ね、時間を延ばしていくことで、その成果は眼にも見える程度に向上していた。
そして、今日も…………、
「それでは、始めますよ」
「はい」
鍛練は毎日のように続けており、《皇》としての訓練は日に日に厳しくなっていく。
そしてその日の討伐依頼で、その成果を試す。
そんな日々を続けて、気が付けば虚界に戻ってすでに十日が経っていた。
あれから一度も、虚界では何も起こっておらず、どちらかというと、平穏そのものと言えよう。
だが、虚界以外の全てのセカイで、『異変』は立て続けに起こっている。
今は、その異変に隠れるカタチで、自分達は『身仕度』を整える。
要は、伊織さんや燈架李さんは単なる贄。いや、人柱であった。
それだけではない。
おそらく、《夜天二十八罫》も『彼女達』と同じような扱いなのだろう。
それでも、ワタシはやらなくてはならない。
それが、唯一の希望だから。
そう結論付け、建前を厚めに用意した上で、ワタシは『日常』を再開する。
そして、『日常』は淡々と過ぎていく。
気が付けば、十一月も既に終盤。
特に気になる事ではないが、感慨しく考えてみるとなんとも不思議な気分だ。
その中で、ワタシには一つ『気掛かり』があった。
それは、数日前に雅さんから聞いた話。
トトロさんが何処かへ出掛けたまま、全く戻って来ないという。
不審に感じていた雅さんやリグレットさんであったが、未美さんの提案でこのまま泳がせてみるということになっているらしい。
その案には、正直ワタシは賛同したくなかった。
しかし、リッチさんには何か心当りがあるようで、未美さんの提案をひとまずは呑む方が良いだろうという説得を受けた。
リッチさんが、『心当り』があるというのだ。きっと、そこにはソチラの存在が少なからず関わっていると視ているのだろう。
ならば、ワタシ達が下手に動いて事態を悪化させない為にも、今は相手の情報を得るのが先決だという判断に至った。
とはいえ、ワタシ達はその『敵』のことを明確には知らない。
知っているのは、このセカイ以外の状況。
それ自体、雅さん達は一切知ることのない情報。
「そもそも、私達は何と戦っているのでしょうか?」
雅さんが、いきなり根本に踏み込む。
確かに、ワタシもそれは知らない。
解っているのは、その『敵』というのはおそらく、ワタシの記憶にある何度か敵対していた存在というだけ。今のワタシには、それすら謎である。
「…………」
雅さんに訊ねられたからか、リッチさんの視線がコチラに向けられた。
それはおそらく、ワタシの了承待ちということだろう。
ワタシはコクッと無言で頷き、ワタシ自身も知りたいと口にした。
「分かりました。では、お話しします。ですが、ワタシ自身もこれは憶測でしかありません。それだけはご了承下さい」
リッチさんは、そう静かに頭を下げた。
それに対し、必死に頭を上げるよう必死に説得する雅さんとリグレットさん。
ちなみに、ココには未美さんの姿はない。いつものように、何処かに出掛けているようだ。
それがトトロさん捜索なのかは全く分からないらしいが、帰ってくるのはいつも真夜中、それに疲れはてたように食事も摂らず自分の部屋へと消えるらしい。
「ちなみに、結羽灯さんは?」
ワタシは、ふと疑問におもったことを二人に訊ねた。
「ん?ああぁ、そういえばトトロが帰って来なくなったあたりから来なくなってるね」
雅さんは同意を求めるようにリグレットさんに視線を向け、リグレットの方は一瞬ビクッと反応したがすぐに頷き返した。
この場合、結羽灯さんも共犯と捉えるのが普通だが、リッチさんのこの後の話で、その可能性はゼロという結論に至った。
「柚希さんは既に承知の事と思いますが、今このセカイは危機に瀕しています」
そう語り口で話し出すリッチさん。
最初に始めたのは、他のセカイの存在とその現状。
初めは眼を丸くしていた二人であっが、すでに彼女達の周りでも似たような事態はいくつか発生している。
その為か、二人の理解はリッチさんの想定よりも断然早かった。
「とはいえ、すぐに《計画》を解凍することは、あまりにもリスクが大き過ぎるとの判断もあり、できるだけ入念な『建前』をとる予定でした」
予定………。つまり、その直前に何かの『問題』が発生したということだろう。
いや。それは既にワタシは知っているはずだ。
「ですが、義父様の『対処』は遅れ、その結果セカイは一つ『崩落』しました」
やはり、その時が、その事件だった。
だが、この話には一つだけ不可解な点がある。しかし、ワタシは『その為だけに』リッチさんの話を遮るようなことはしなかった。
「それから、沢山の研究と実験が行われました。あっ、と言っても、以前のモノとは全く異なる研究ですが…………」
あ、そうか………。
ワタシはその時ピンッときたが、二人は深く首を傾げていた。
そんな皆の反応に目を向けることなく、リッチさんは話を続けていく。
「その研究は永年と続きました」
この話は、前提に《虚幻計画》の概要を説明した上でのもの。
当然。その研究は、《虚幻計画》という隠れ蓑を用いることで、円滑に進められた。
だが、問題というのは、何処にでも付いてくるもの。
それは、その研究とやらも例外ではない。
「当初の推測通り、研究は上手くいかず、『新たな目論み』はどれも頓挫し、当初の《計画》をいくつか試しましたが、完遂されはしても大きな手懸かりになるような恩恵は得られませんでした」
んん~~~。
ワタシは、無言で一人唸っていた。
何故だか、リッチさんの話に、いくつかの違和感を感じた。
しかし、それでもワタシは、リッチさんの話を遮るようなことはしなかった。
それにしても、『当初の推測通り』…………か。
無論、ワタシが引っ掛かっているのはココだけではない。
だが、妙に違和感があるのは気のせいではないだろう。
かといって、リッチさんの話し方に何か問題があるわけではなさそうだ。
それは、単純にワタシが敏感になっているのか、本当にリッチさんの表現の誤りか。
まぁ、どちらにせよ今はほぼほぼ関係の無いことだ。
そう思考している間にも、リッチさんの話は続く。
「永年、義父様は考えました。自分達の手に余るのなら、いっそヒトに任せてみるのはどうなのかと」
しかし、それも結果は眼に見えている。
「それも当初の推測通り。その存在を掛け、争いが幾度も起きました」
当然、ヒトというものはそれほど愚かではない。
それは、その義父様とやらも理解はしていただろう。
「《聖皇教会》も《魔導協会》も、できたのはその頃です」
《神法》を崇める《聖皇教会》。
《文化》を護る《魔導協会》。
どちらも設立当初の目的はその為であった。
きっと、二大組織の軋轢は時間だけが問題だったのであろう。
思想は違えど、どちらもその存在意義は当初から何一つ変わっていない。
「どちらも、設立当初は平穏そのものでした」
それはまるで、見てきたかのような言葉。
それに、別に全くの平穏というわけではなかった。小さな小競り合いは何度も発生していた。
だが、そんな小競り合いは下等な者達の言い争いのようなもの。
逆に幹部クラスのような者達は落ち着いており、ヘタな襲撃などが無いうちは口を挟むようなことさえしなかった。
そんな彼らに変化が訪れたのは、きっとあの事件の少し後だったのかもしれない。
「ですが、それによりこのセカイは平穏を取り戻しました」
それは、ヘタないさかいを抑制されたからか。そうならざる事態が発生したか。
「それとほぼ同時に、各国で不穏な空気が漂い始めました」
それが、《竜》の創造。
《無》から《一》を造ることは可能ではないか、リスクもある。
そして、彼らは、そんな『リスク』を全く予期せず研究を始めた。
それは、復元では済まない。
なにせ、彼らは《竜》というモノの存在すら知らなかったのだから
「彼らの研究は、始めは『成功』と言えるほどに完璧でした」
しかし、現実はそう甘くない。
決して、努力が実を結ぶとは限らないのだ。
「《聖皇教会》は《人工生命体》を。《魔導協会》は《竜》の生成を造り出しました」
『ゼロ』から生物を造り出した《聖皇教会》。
核兵器ではない『兵器』を生み出した《魔導協会》。
その創造に、いったいどれだけの犠牲を支払ったのだろう。
きっと、彼らもとっくに気付いていたはずだ。
けれど、もうそれは誰にも止められない。
生み出された《人工生命体》はとても生物という概念にあてはまるものでなく、造り出された《竜》は兵器と呼べるほどちゃちな存在ではなかった。
《竜》と化した者の振るうチカラは研究者達の想像を超え、取り返しのつかない猛威を奮った。
彼らが体験した時には既に遅く、彼らはそれらの存在を過去と共に隠蔽し秘匿とした。
だが、それも誤りであった。
どのようなセカイでも、隠されていれば、謎に包まれていればいるほど、その真相を追い求める者はいるものだ。
それは、考古学者が過去の遺物を解明にするように。生物学者が生物の生涯を究明するように。
その『過ち』は、矛盾していった。
幾度も挑戦し、失敗する。
その度に隠蔽され、《虚幻》の狭間に閉ざされてきた。
いや。むしろ、《虚幻計画》はその為に存在し続けていたと言っても過言ではないかもしれない。
そうして、幾度もの失敗と隠蔽を繰り返し、両者はそれぞれをみごと完成させた。
だが、その完成に掛かった刻は、義父様とやらが危惧していた結果の通りになっていた。
もう、あまり猶予は無い。
これ以上引き延ばせば、『問題』はこの程度では済まなくなる。
何とかして、打開策だけでも見付ける必要があった。
そういった話を、リッチさんは二人にした。
トトロ・グリリンスハートを救うことは、不可能ではない。しかし、同時にリスクもある。
共に孤児院育ちであるという未美さんと雅さん。その三年後くらいに出会ったというリグレットさん。
双方の話を統合しても、トトロさんの過去には三年ほどの『空白』がある。
その空白すべてかは不明だが、リグレットさんの話では、トトロさんがリーシャ・ハーメルンと出会ったのはその頃らしい。
そして、同時の彼女は、その頃から今のような人物だったらしいが、雅さんの話ではそこまで『ひょうきん』ではなかったとのこと。
双方の間で食い違いはあれど、心当たりのある二人が何も説明しない以上、これ以上の討論はもはや不要であった。
これ以上は、『泳がせた』先の問題であるのだから。
結局。リッチさんは、肝心な事までは何一つ話さなかった。
それは、あくまで良心からの気遣いか、はたまた単なる邪険にしていただけなのか。
ワタシには、それを訊ねる意味も、そこに踏み込む必要も感じられなかった。
とは言え、多少の長ったらしい話を終え、ワタシとリッチさんは今晩の夕食を雅さんの料理で済ませることにした。
会計をしている最中に未美さんが帰ってきたが、短く訪ねた用件だけ伝えてワタシ達は帰路に着いた。
その晩。ワタシは『夢』を見た。
それは、今日の事が引き金となったかのように、とてもタイミングのとれた内容だった。
その昔。『竜』は、人々の手も眼にも届かぬ、高貴の存在とされてきた。
それはまさしく、神の叡智。人類種が踏み入れなれぬ、神秘の領域。
しかし、現実は実に残酷だった。
ヒトは、自らがチカラを得る為、神々との闘争に明け暮れた。
始めは、神々の劣勢であった。
しかし、ヒトはその環境に順応するように、画期的な『進化』を遂げた。
神という異形な存在を超える為、ヒトは神殺しの武装を創造した。
そして、戦局は大きく傾き始める。
ヒトが至った神々の叡智。
ヒトは、《神威兵器》という偽幻を造り出し、神々を圧倒していった。
それは、『蹂躙』に近いほどの愚行であった。
しかし、神々にはそんなヒトの愚行を止める術などすでになくなっていた。
神々ですら手に負えぬヒトの愚行。その過ちは、加勢した天使や悪魔でさえ、一たまりもなく消滅されてしまうほど。
だが、そんな愚行に一筋の希望────いや、奇跡が訪れる。
神々との闘争を始めたのは、神の叡智を手にする為。
ヒトは、その為に神の真似事をした。
神々の当身は、ヒトのそれとさほどかわりない。
けれど、それが何十倍も何百倍もあればどうだろう。
ヒトは、竜の存在を知らない。
ヒトは、天高く存在するソレには気付けても、すぐ側、足下にあるものの存在までは認識できていなかった。
それが、ヒトの大きな敗因だった。
竜の息吹きはヒトの魂を拐い、竜の足踏みはヒトに畏怖を植え付けた。
ヒトと神の戦いは竜の登場により、呆気ない幕引きとなった。
そんな黒歴史から数億年後。
セカイは再創造された。
もう二度と、同じ過ちを繰り返さないように。
誰の手にも届かぬ深淵の彼方に、神々は自らの存在と共に封じ込めた。
神の叡智は、この世に無かった。
ヒトの愚行は、間違いではなかった。
そう思いたかった神々は、後悔しながらも世俗を去った。
しかし、それから数年ほどで、事態は蒸し返された。
いくら再創造したとはいえ、ヒトとは油断ならぬ種族。
そう推察した神々は、ヒトを討伐した竜を十の柱に別け、それぞれの地を守護させた。
ヒトそのものには神を敬わせ、竜を鎮める儀を定期的に行わせた。
これにより、神はヒトに恩恵と加護を与え、万年の秩序と安寧をもたらした。
しかし、それは一部の者に与えられたものだけ。その加護を受けぬ者たちからは、強い反発を受けた。
そして、まるで定められていたかのように、ヒト同士の戦争が勃発した。
ワタシはまた、不可解な『夢』を見た。
どうしてワタシはこんな夢を見るのか。なぜ、ワタシは彼らと『同じ』なのか。
それは、いくら考えても答えなど見付からない悩み。
「また、眠れませんか?」
いつものように縁側から夜空を見上げていると、居間からリッチさんの声が聞えてくる。
ワタシは小さく頷き、台所に向かった。
「あ、ワタシがしますよ」
その言葉を素直に聞き入れ、ワタシは再び縁側に腰掛けた。
「はい、どうぞ」
ほどなくして、リッチさんが濃いめのミルクティーを持ってワタシの隣に腰掛けた。
ミルクティーを受け取り、夜風で熱を冷ましながら、コクコクと喉に通していく。
「もしかして、また『夢』ですか?」
リッチさんの問いに、ワタシは小さく頷いて答える。
リッチさんには、ワタシが見る『夢』の事はすでに話してある。だが、リッチさんはそのことを何か知っている風であったのに、その事について何も話してはくれなかった。
ワタシは、それには何か理由があるのだと考えて、深く訊ねるようなことを今だしていない。
それは、この『夢』同様、ワタシの存在意義と共に、ワタシ自身がソレを恐れているからだろう。
ワタシは何故生まれたのか。何の為に此処にいるのか。
『夢』を見る度に、どうしても感傷に浸ってしまう。
「大丈夫ですよ」
落ち込んだように俯いていると、リッチさんがそっと語りかけてくる。
「皆さん、そうして『過去』を乗り越えてこられたんですから」
それは、比喩ではない。
だが、その言葉もワタシにとっては、首を絞められるような発言でしかなかった。
〈光〉は『影』を造り、『影』は〈光〉を操る。
そうして、無限の怨嵯は続いていった。
総ては、虚無から始まった。
しかし、それは幻想に満たない現実。そして、秘匿された過去。
だが同時に、それを知る者など誰一人として存在しなかった。




