第70話 星屑の残照
その空間は、どこまでも蒼く、そして広大であった。
何処までも続く何の変鉄も無いセカイ。
その中心にワタシはいて、これまで数々の夢という『過去』を見てきた。しかし、それはどれも神威柚希ではない別の誰かの夢。
だけど、今となっては、それもれっきとした過去のワタシの記憶であった。
「なに、あれ…………」
「あれじゃあまるで………、『化け物』、じゃない………」
その現実は、戦意を消失した者達を再び戦場へと駆り立てる虚幻であった。
その姿も叫声も、今や元の姿も声も解らないような状態。
「柚希っ~~~~!!」
それでも、ただ一人。小薙伊織だけは、その現実を受け入れることは出来ず、必死にその名を呼び続けていた。
「ユズキッ、柚希ッ!」
叫び続ける声には感情がこもり、どうしようもない事実が伊織の心を引き裂くように苦しめる。
「ちょ、ちょっと、危ないよッ」
「だって、柚希がッ…………」
なんとかして柚希を止めようと彼女に近付く伊織を、燈架李が必死に引き留める。
「あれが、《皇》たちが求めたモノ…………」
結果として、一人の少年が求めたモノは永き刻を経て、完成へと至る。
人智を越える神の領域。それは正しく、神智の宴劇であった。
「けど………。こんなモノの為に、多くの者を犠牲にしてきたっていうの………?」
それはなにも、霊皇や星皇、半数近くの皇を犠牲にしただけには留まっていなかった。
この《計画》の果て、それは、《華騎隊》も同じであり、《聖導図書館》も《機械天使》も《異形神》も、《竜》も同じ被害を受けていた。
それに、その犠牲による被害は、崩落した霊界や神界に獄界。さらには、妖界と星界にも及んでいる。
そして、星界も妖界も、まさに崩落寸前の状況にあった。
特に、星界の方は燈架李たちの介入が想定外の事態であり、それに加えて神威柚希の暴走まで追加されているのだ。そんな状況、誰に止められようはずもなかった。
「ねぇ、アズサ」
伊織とアズサが絶望に身を馳せていた時、燈架李が疑問に感じた事を口にする。
「《華騎隊》か知ってる《竜皇》って、どんな存在なの?」
アズサとて、組織の総てを知っているわけではない。
それでも、こんな状況になってしまっている以上。その質問に答える意味があると確信し、話し始める。
「そもそも、始めは自分達の国を維持する為に仕方なく手を出したという風に聞いてる」
「それって………」
燈架李の相槌に、アズサは小さく頷いて答える。
「理不尽な暴略によって国家存亡の危機に陥った大人達は、各国を敵に回してでもその暴略を止める手立てを模索した」
それは、子供たちに信じ込ませたあながち間違いではない実態。
おそらく、その嘘が原因で皇たちと彼女たちとの間で小さな亀裂が生じているのだろう。
「《竜皇》とは《竜》の皇。つまり、星界で言うジル・カストルと同じような存在」
「同じような……?」
アズサが引っ掛かるような言い方したことで、伊織と燈架李はほぼ同時に首を傾げる。
だが、アズサの表現はあながち間違いではない。
そもそも、『皇』というのは比喩的な表現。
彼らは『皇』という体制の中にはいるが、その役目や思想は疎らである。
それに、『皇』という表現は、彼らが勝手に用いているだけで、何の意味も意図もないのだ。
そして、そんな『皇』という表現が使われるようになったのは、《竜皇》が最初だったと謂われている。
「そもそも、《竜》というのは、祖国に伝わる伝書上の聖獣。あるいは、初代王妃が転生した姿。という風に伝わっている存在」
それは、嘘偽りの無い伝承。
だが、それもあくまで言い伝えに過ぎず、その存在の真意を知る者はもう存在しない。
ただ唯一、その存在を知る者が存在するとするならば、それはもう伝承に程近い存在となった者だけだろう。
「つまり、《竜》は《夜天二十八罫》にとっての始祖であり、原点となっま存在。その『皇』が《竜皇》で、私たちの知る《竜皇》とはあの娘ではなく、次代当主と謳われ、ワタシたちがその背を追って此処まで来るととなった原因を作った人物────」
その言葉に恨みなどは無い。そんなモノ、あろうはずも無かった。
ただ彼女達が求めたのは、もう一度『あの日々に戻りたい』その一心だけ。
その願いは、確かに星皇の言っていた『過去を取り戻したい』ということと争議無いだろう。
だが、彼女達は何も『刻を巻き戻したい』訳ではなかった。あくまで『もっと一緒に居たい』というだけ。
そして、そんな願いも叶わず、彼女達の目的はいつしか彼の消息を探すことのみに特化していった。
「ところで、アズサ達が探してるその人ってどんな人物なの?」
燈架李が、小さな疑問を訊ねる。
アズサの説明では、アズサ達や、アズサの祖国にとってとても重要な人物のように感じさせてしまっていた。
「…………。一言で言ってしまえば、子供達が幾ら束になっても敵わない程に強く、尊い方だね」
小さな間を空け、アズサは自慢話のように話す。
その言葉で、彼女達にとってどれほど大きな存在か理解させられるほどだった。
「ちなみに────、」
「その人の名は、ユウヤ」
燈架李の次なる問いを遮るように、アズサはその名を簡単に明かした。
「えっ?」
当然、その驚きは伊織のもの。
「だけど、それは仮の名だとも風の噂程度で聞いてる」
そして、アズサはすぐにその答えを否定する。
そもそも、アズサ達《夜天二十八罫》は、皇達の名すら知らなかった。
それを知ったのは、黄園郷へ来る直前の事。
そしてその名の人物は、全てが曖昧で、総てが謎な存在でもあった。
小薙悠哉────。
彼は確かに、組織の人間であり、アズサ達にとってはかけがえのない存在と言えるだろう。
しかし、彼は最期の最後で組織を裏切った。いや、敵対したのだ。
始めっからそうであったかのように、大人達は即座に対応していた。
今思えば、それは不可思議な判断であった。
その一件から数日後の事であっただろうか。
大人達は急に踵を反し、敵対していた国々といくつもの条約を結び、その数ヶ月後には、国は滅び大人達は全員行方を眩ませた。
それから数週間。アズサ達は途方に暮れつつも、唯一の居場所で最良の手を待った。
だが、それは誰しもが耳を疑うような一手だった。
「この次元の果てに、今は亡き者達の蔡苑がある。そこに行けば、何かの打開策が見付かるかもしれない」
そんな眉唾物の冗談、誰も信じるハズは無いと思っていたが、その選択しか残されていないことは事実であった。
ならば、そこへ誰が最初に向かうべきか。
そう悩んだ末、子供たちの管理者は、子供たちの中で最も被害を少く済ませられる《聖導図書館》を抜擢した。
この選択に、《聖導図書館》のメンバーは異論を唱えず早急に荷支度を済ませたが、彼女達の管理者だけはこの選択に疑念を感じていた。
「本当に、大丈夫でしょうか?」
「ああぁ、大丈夫大丈夫ッ」
「ですが、ワタシは心配ですよ………」
「そんな顔をされると、コチラまで不安になってしまいます」
「ははっ。ホント、ラプンツェルは心配性だなぁ~」
「貴女がお気楽過ぎるんです」
「そおかなぁ?」
「そうですよ」
「ま、オズのお気楽もラプンツェルの心配性も今に始まった事じゃないでしょう?」
「あ!アリス、酷ぉ~い!」
「どうでも良いけど、早くしない?もたもたしていると後ろが五月蝿そうだし………」
「そうですね。あまり時間を取りすぎますと、後が支えそうですしね」
「あれ?ハーメルン。何処かに行ってたの?」
「はい。諸事情で」
「そ」
それぞれの装備や主要内容を確認し、《聖導図書館》のメンバーは黄園郷へと旅立った。
その直後、案の定心配症を抑えきれなくなった《聖導図書館》の管理者は、幾度か彼女達と連絡を取ろうとするも、一度として安否を確認することはなかった。
先行した《聖導図書館》。その後を追う、その他の子供たち。
役目も役割も違えど、黄園郷に来ている理由は同じであった。
そして、その小さな時間差と、軽々しい選択が、彼女達の優先理念を曲げる環境を造り上げていた。でなければ、彼女達自身がこれほどまでに見事な対立をしてみせるだろうか。
だからこそ────、だからこそだった。
「でも、まさか…………」
それは、誰も予測できるはずの無い事態だった。
「伝承の聖獣《竜》の復元。それは、随分と前から研究されていたとは聞いていた」
それは、人間が求める上で、最も単純で究極の思想理念。
だからこそ、人類種は『愚か』だと謂われるのだろう。
だが、それが人類種というものであり、当然の在り方だった。
「───ところで」
アズサの話の途中、キリの良い場所で燈架李が話を止めた。
「柚希。全く動いてないみたいだけど…………?」
アズサの話を横流し程度で聞いていた燈架李は、話の内容よりも目の前の状況が気にかかっていた。
「ホントだ。どうしたんだろう?」
疑問ではあるが、その理由は全く解らない。
「もしかして、私達が敵意を向けない限り、攻撃はしてこない。って事?」
「……………ええ、そうですよ」
「────ッ!!」
突然聞こえた鈴鳴りのような声。
伊織、燈架李、アズサの三人は、同時にその声が鳴った方へと振り向く。
するとそこには、誰も見覚えの無い顔立ちに薄手の純白ワンピース姿の小柄な少女が立っていた。
「貴女は……?」
「ワタシですか?」
ワンピースの少女は、小首を傾げる。
そして───、
「ワタシの名前は、リッチ。リッチ・クラフトです」
霊皇リッチ・クラフトは、その正体を明かさず三人の前に現れた。
何処までも続く虚無の泉は、ワタシの存在そのものも薄れさせようとしていた。
───ダメッ!!
そう誰かが叫んでる。
けれど、ワタシはそのヒトの顔も名前も思い出せない。
きっと、それは遠い過去の記憶。
忘れてしまった方がいいと思ってしまっているから、思い出の棚にも入れず、フワフワとこの空間を漂ってしまっているのだろう。
───お願い、ワタシの手を取ってッ!
反射的に、ワタシは手を差し出そうするが、すぐさまその行動を諦めてしまう。
何故だろう。
一度取るだけでいいはずなのに、ワタシにはそれが一度として出来ることがなかった。
───だから、貴方はひとりぼっちなのです。
そうかもしれない。
けど、それで良いんだ。それで、良かったんだ。
ワタシは、何も要らない。
───本当に?
ワタシには、『何か』を手にする事なんて…………。
───本当に、そう思っているの?
思ってはいない。
それが当然だと、本能が理念がそうしていた。
ワタシには、そうすることしか出来ないから。
───けど、貴方は泣いている。
当然だ。
ワタシだって、『人間』なんだから。
───だったら、どうして?
怖いんだ。
ワタシの中にあるただ一つだけの悲哀の記憶。
ワタシはずっと、そこから逃げている。
眼を背け続け、ずっとその現実に蓋をし続け、一生思い出さないようにと、記憶の奥底へと埋めた。
『イヤだ。イヤだよ、おかあさん…………。助けて』
そんな悲しい言葉など誰に届こうはずもなく、ワタシはずっと叫び続けた。
けど結局、誰かの眼にさえ停まることなく、ワタシという儚い命は短すぎる刻を迎えた。
それでもまだ。ワタシは、未来へと歩くべきなのだろうか。
届かぬ願いなどに、意味なんて無いのに。
儚い望みには、絶望しか無いというのに。
それでもまだ。君たちは『夢』を見るのかい?
───………………………。
そう。それが、誰しもの答えだ。
絶望の先にある希望も。意味を見付けられる願い星も。総ては辛い事の後に控えていると知らないから。
だから誰も、苦難を乗り越えてなど望みや願いを叶えようと思わないのだ。
───貴方は、本当にそれで良いの?
諦めの悪い声。いや、ワタシの諦めが良すぎるのか。
ワタシはすでに、絶望をし、挫折をしていた。
もう、ここから立ち直る事なんて、一人では無理だ。
「じゃあ。今度は、ワタシが手を引いてあげます」
唐突に、本物の声が聞こえてきた。
「その奈落の深淵から、貴方を救い出してあげます。だから…………」
その声に、やはり聞き覚えはない。
「だから、もう一度だけ手を伸ばして下さい。まだ、諦めるには早すぎます。絶望するには、神威柚希はまだ、何も見ていないし、見えてもいない」
でも、今はそんな事どうでも良かった。
ただワタシは、前に進みたいだけだ。
今を今のまま、歩んでみたいだけなんだ。
だから─────。




