第43話 煌淵の娼女
国内での状勢は、その市町村によって大きく異なっていた。
特に、奈岐穂市と湯球市は、正反対なほどに違っている。
総てが凍て付き、何もかもが消滅したかのような湯球市に対し、総てが成功し、その国力も武力も他の二ヵ国を上回っているのが那岐穂市だ。
今、その那岐穂市が最も力を入れているのが、カジノであった。
それは、奈岐穂市内の中でも最も大きな敷地と財力を有していた。
だが、こうした場所では大小問わず、数多くの事件が発生するものだ。
そして今も、その事件はいくつか発生していた。
ワタシは、それらをただ素通りする。
この時のワタシは、別の用件で此処に来ていた。
「何だか、異様なほどに厳重だね?」
少し後ろで、咲良さんが口にする。
そんなワタシ達が今いる場所は、その奈岐穂市の中でも特に『アヤシイ』と思われる地区であった。
ちなみに、先程の伊織さんの言葉は、ワタシ達が此処に来るまでに幾度か見かけてきた怪しげな格好であったり、それなりの風貌をした人物などを目撃したからだ。
その路なりで、ワタシは不審感を感じていた。
その者達は、どこか張り詰めた様子で辺りを警戒するように歩き回っていた。
ワタシはこの人達の行動の意味に、多少の見当がついていた。
そして、ワタシと咲良さんは、奈岐穂市の中でも市街地のような場所から少し離れた所を歩いている。
目的は無論、奈岐穂市または、帆の『長』の捜索。
とは言っても、それは行方不明者の捜索ではない。
単なる、個人的な目的に過ぎない。
ワタシは、カジノ地区、スラム街、市街地、商業区画、保安特区と順番に廻る。
一通り廻った頃には、時刻は夕暮れ時に近づいていた。
市内を廻っている時、ワタシは不思議な感覚を感じていた。
幾度か吹いた風。それは、何処かで感じた事のあるニオイを感じさせた。
「柚希……?」
咲良さんが、心配そうな表情でワタシを見る。
「あ、いえ。何でもないです」
ワタシは、そう曖昧に答えた。
その違和感の正体は、その内解るだろうと、予想したからだ。
そして後日────。
ワタシは一人で、奈岐穂市を訪れていた。
何一つ変わらぬ場景。
同じ市でありながら、その活気も街並みも全く異なっている。
そんな中、ワタシはあまり悪目立ちしないように、カジノ地区を散策する。
の、はずだが…………。
「待てェッ!!!」
と。前方から男の叫び声が聞こえた。
見れば、だいぶ離れた所から数人の男達に追われているような少女の少女が目に付いた。
ワタシは、思考する。
この場合、考えられるのは一つだ。
あの少女が、後ろの男達の怒りに触れるような事をしたんだろう。
だが、その内容まで読めるはずもなく………。
「誰か、その娘を捕まえてくれッ!!」
と。続けて声が響く。
ワタシは、咄嗟にその少女を捕まえる態勢を取った。
が、しかし………、
「あっ……」
「?」
突如、感じ、聞こえたモノに、ワタシの手は緩まる。
そして────、ガシッ!と、その少女によってワタシの腕は捕まれ………、
「走って!」
「へ?………あ、ちょっ────!」
そのまま、その少女と同じ速度で走りだす。
奈岐穂市、はずれにある岬。
「はぁ~~~~!助かりました~~~ッ!」
岬の端に座り、鋭く尖った岩垣から脚を放り出してブラブラさせながら、そう一息吐くように呟いた。
ワタシも少し、息を整える。
その時ワタシは、気づいた。
ワタシから少し離れた場所にその少女の髪の色は朱毛で、その顔立ちも容姿も、誰かに似ていた。
「火乃華さん…………?」
知らぬ間に、ワタシはその名を呟いていた。
「それほど、似てますか?」
朱毛の少女は、振り向いてワタシの言葉に即座に反応した。
それで、その疑問が確信となる。
「火乃華さん、元気にしてますか?」
朱毛の少女から、そう訊ねられた。
「……………」
ワタシは少しの間、沈黙する。
それは、この少女が鳴滝火乃華の事を知っている事についてではなく、彼女自身からその人物の面影のようなものを感じたからだ。
「まぁ、あの娘の事は『このは』から伺ってるから別に良いんだけど」
じゃあ、何の為にワタシに訊ねたのだろう?
「それより、アナタは奈岐穂市へいらして、どのような事をお調べになられているのですか?神威柚希さん」
「───えっ?」
それには当然驚くだろう。
だって、この少女には、まだ名前を言ってないのだから。
だが、そこまで知っているなら話は早い。
「この国の権力者についてです」
ワタシは正直に答えた。
先程、この少女が言った『このは』が、ワタシの知る麻鶴木このはであるのなら、いくつかは合点がいくが、色々な面で謎を呼び、それらに近いモノは深まってしまう。
「それは、《秦》についてではないですよね?」
「………はい」
ワタシは、小さく頷く。
「そうですか………。では、あの娘の〈情報〉通りですね」
そう言って、少女は森の方へとゆっくりと歩き出した。その方角は、来た道と同じだった。
ワタシは、少女の行き先が気になり、その後を付いて行った。
「奈岐穂市を中心とした商業国家《帆》の権力は、鳴滝家です」
「………」
それは、火乃華さんの姓と同じであった。
であれば、鳴滝火乃華は鳴滝家の人間という事になる。
「あ、とは言いましても、火乃華さんは鳴滝の方ではありませんよ?」
少女から、また予想外な発言をされた。
「では………」
ワタシは、小さな『可能性』と『違和感』を覚えた。
「でなければ、二人共神代学園には通ってませんから」
それはおそらく、火乃華さんとこのはさんの事ではない。
「そう言えば、まだ自己紹介してませんでしたよね?」
そう。その答えは…………、
「ワタクシは、ホタル。鳴滝火垂」
これが、ワタシと彼女の出会い。
カジノ地区、課金所。
奈岐穂市内の中で、二番目に大きな街であるカジノ地区。
ワタシが火垂さんの後を追うと、火垂さんはその街の中で最も小さな建物の入っていった。
ワタシは少し躊躇い、ゆっくりと中へ入った。
入れば、入口のすぐ近くに真っ黒なタキシードに身を包んだ大柄な男性が四・五人ほど目にとまった。
その男達の怪しげな目を気に掛けながら、ワタシは火垂さんの傍まで駆け寄る。
火垂さんは換金の最中であった。
「ではっ、遊びましょうっ!」
と言って、火垂さんはカジノを廻り始めた。
カジノの会場は、その建物毎に異なっていた。
その街全体が賭博場と言っても過言ではない街。
だがこの街は、およそ六年ほど前までは隣接する市街地とほぼ同じ状態だったらしく、火垂さんは、今年の春頃からその原因を探る為、こうしてこの街を散策しているらしい。
そう語っていた火垂さんであったが、建物の中に入るやいなや、早々にテーブルに着き、他の客と同じようにゲームを没頭し始めた。
ワタシは、室内の隅に設置された長椅子に腰掛け、建物内を見渡す。
自販機のような形状をした箱がいくつも並べられた店内。
各々が、その箱の前に設置された小型の椅子に座り、熱心にガラス張りとなっている画面の向こうを凝視している。
人の出入りや小さな移動はあっても、それ以上にもそれ以下にも何も起こりはしない時間が幾分か続いた。
そのゲームに飽きたのか、火垂さんはその数分ほどで席を立ち、課金所に戻って別の物に交換してもらい、建物を移動した。
ワタシは、そんな火垂さんの後を着いていく。
そうしていく内に、気が付けば時刻は三時を過ぎていた。
ちょうどその時、カジノそのものに飽きたのか、火垂さんは店の外を彷徨いていた。
そんな火垂さんに、ワタシは解散を提案した。
火垂さんは、二つ返事で了承してくれた。
しかし、別れる直前に、火垂さんは明日市街地の入口で待つように指示した。
ワタシは何も言わず、小さく頷いた。
そして、後日───。
ワタシは昨日よりも早めに、奈岐穂市の市街地を訪れた。
もう既に、夏は始まっている。
早朝と言えど、その暑さには異常さを感じる。
そんな事を考えていると、火垂さんが到着した。
「ちぇっ、遅れてしまいましたね?」
火垂さんは、小さな舌打ちをし、来た道を戻るように歩き出した。
その行動の意図を探るべく思考を回したが何も出なかったので、何も言わず火垂さんの後を追った。
火垂さんの行く先は市街地ではなかった。
火垂さんは、市街地から遠ざかり、保安特区を通り過ぎ、カジノ地区を素通りして、スラム街というルートを行く。
それぞれの街を通る度に、チラホラと黒服の男達の姿が目にとまった。
「アナタをお連れしたかったのは、此処です」
言って、火垂さんはその建物の入口とおぼしき大きな門の前で足を止めた。
「えと、此処は…………?」
ワタシは、周りの黒服の男達の鋭い眼光を受けながら、火垂さんに訊ねた。
「ワタクシのお家。鳴滝家の御屋敷です」
火垂さんは、軽やかにそう答えた。
「…………」
ワタシは、しばし唖然としていた。
そんなワタシに、火垂さんは優しい微笑みを浮かべると、屋敷の中へと案内した。
およそ何百坪という単位は有ろうかという屋敷の中を、火垂さんは何の迷いも無くスルスルと進んで行く。ワタシは、その後を追うので精一杯だった。
あの大きな門を潜ってからおよそ数分。ワタシは、その屋敷の中でもややこじんまりとした部屋に招待された。
そこが火垂さんの自室である事を知ったのは、その部屋からだけ火垂さんのニオイを一番強く感じたからだ。
「少々待ち下さいね」
そう言われ、ワタシはこの部屋には不釣り合いと思える立派な長机の隅に座った。
「お待たせしました」
数分と掛からず、火垂さんは戻ってきた。
その手には、二人分の急須と湯飲みの載ったお盆がある。
火垂さんは、逆さまになっていた湯飲みをワタシの目の前に一つ置いて、既に芯まで温まっているのであろう急須を傾け、湯飲みの口八分目までに粗茶を注いだ。
「どうぞ、お召し上がりください」
その言葉に流されるように、ワタシは湯飲みに口をつけ、一口だけ中の粗茶を口に含んだ。
その粗茶の味は、ちょっとだけ苦かった。
「本日は、ワタクシの無茶なご用件にお付き合いいただきありがとうございます」
ワタシが二口目を飲もうかと迷っていた時、火垂さんはそう前置きを入れて、話始めた。
「それで、本日用件ですが………。柚希さんもお調べになられている帆についてです」
火垂さんの言葉の途中に出た『も』という部分が気になったが、あえてそこは詮索しなかった。
「ワタクシはワタクシなりに色々と調べてはいるのですが、やはりどうにも『限界』があるようで」
それが、先日のスラム街での逃亡劇や、カジノ地区での賭博三昧なのだろう。
「そこで、偶然にもこのはから伺っていた人物を発見いたしましたので、お声を掛けさせてもらいました。ですので、アナタの意見をお伺いしたいのです」
その用件はほぼ簡潔に、その熱意は熱く鬱陶しいくらいのモノでワタシに伝える。
「ワタクシの知る限りでは現在、帆は大きな問題を抱えています」
「問題………?」
「あ。とは言いましても、具体的な事はまだ何も解ってはいませんが」
そう言って、火垂さんは沈んだような顔をした。
「分かりました。コチラらで何か解りしだいすぐに伝えます」
ワタシは、早急に話を切り上げた。
目の当たりでは感じないが、ジリジリと何処からか突き刺すような視線を感じたからだ。
ワタシは鳴滝宅から足早に退散し、そのまま湯球市へと向かった。
先程、火垂さんが言っていた『気に掛けなっている事』について調べる為だ。
湯球市は相変わらす雪が降り続いていた。
しかし、その雪は地上に舞い降りれど、決して積もる事はない。
それは、奇妙な現象であった。
それから幾日か経ち、湯球市での大きな事件が発生する。
奈岐穂市に所属する自警団《紅の牙》が、湯球市に進行を開始し、その地の自警団《碧の翼》と交戦を始めたのだ。
ワタシは、傍観に徹するつもりだった。
しかし、状況はそうもいかなかった。
ワタシに同行していた者の内の一人が先走り、戦場の中へと身を消したのだ。
そして、それから状況は急展開を迎えた。
その日の夜。他人の記憶とおぼしき夢を見、そこに映っていた場所へと実際に足を踏み入れた。
少女が取り込んだ《響想珠》は〈再覚醒〉し、被害は拡大、状況は酷く悪化していく一方であった。
だが、その状況も一瞬の産物であった。
ワタシの中へと流れ込んできた〈情報〉をもとに、目の前の状況を解析、掌握する事で、湯球市で長年起こり続けていたその現象は難なく終わった。
そして、この事態をひとまず報告すべく、ワタシは咲良さんと共に、鳴滝家宅を訪問した。
しかし、その行動は門前払いに終わった。
仕方がないので、鳴滝邸以外の場所に足を運んだ。
「何だか、前来たときより厳重だね?」
その帰り道。咲良さんが、隣でそう呟いた。
ワタシ達が今通っているのは、帆の勢力下にある町の港。
此処では、神成港には流れないような珍しい物品が数多く運ばれてくる。
その中には、武器や弾薬だけでなく、一際奇妙な物も存在していた。
アレって……………。
その内の一つに、ワタシの眼は釘付けとなった。
それは、大きなカプセル状の箱。とは言っても、その大きさは七・八歳くらいの子どもが難なく収まる程度だろう。
───と、その刹那。
「…………ッ!!」
ワタシの脳裏に、二つの単語が浮かび上がる。
サイバー・チルドレン…………、マザー……………。
そのどちらもが、ワタシが既に持っている〈情報〉の中に無い単語。
「ウアッ、アアァッ!」
そして、ワタシは次第に激しい頭痛に襲われる。
「柚希ッ?」
今までの苦痛に比べれば然程のものでも無いが、それでもその痛みはそれなりにある。
「おや。このような所で再会するとは、珍しいですね?」
ふと。何処かで聞いた声が聴こえた。
霞む視界の中、ワタシは顔を上げた。
すると、そこには以前神成港で出会った狐目の男性が、ワタシの目の前に立っていたのだ。
「アナタ、は…………」
痛みに耐えながら、ワタシはそう訊ねた。
「……………。そう言えば、まだ自己紹介していませんでしたね?」
そう言って、男性は一歩下がった。
「この《ルヴァーチェ商会》会長を務めさせております、マルクト・ルヴァーチェと申します」
男性は、丁寧なお辞儀をして見せた。
「まだ痛むようでしたら、落ち着ける場所を提供しますが?」
「お願いします」
少し違和感のあった提案に感じたが、咲良さんは即座に賛同した。
その場所とは、ルヴァーチェ商会が独自で所持しているホテルであった。
「ウッ……………」
「目が醒めましたか」
「大丈夫?」
男性は少し離れた椅子から、咲良さんはすぐ傍で、それぞれ肩の荷を降ろした。
若干困惑したが、此処へ運ばれる途中に意識を失った事に気付いた。
「あ、はい…………」
ズキズキと、頭はまだ痛む。
それでも、ワタシはこの場の状況を整理した。
その中で、男性の意図だけは理解できなかった。
「それで、奈岐穂市へはどのような用件で?」
男性は、読んでいた本を閉じ、コチラに近付きながらそんな質問をする。
「もしかして、《競売会》目当てですか?」
それは、不意な質問だった。
「競売会………?」
隣で、咲良さんが首を傾げる。
《競売会》………。それは、何処かで聞き覚えのある単語だった。
「奈岐穂市であるのですか?」
ワタシは、男性にそう訊ねた。
「そうですよ?あれ、知りませんでしたか?しまったなぁ………、余計な事を口走ってしまいましたね」
その口動には、焦りのようなモノは見える。しかし、男性の〈脈〉は全く動じていないように感じた。
「あの〈荷物〉は、そこへ出展するために?」
「ええ、いくつかは」
「いくつか?」
「《ルヴァーチェ商会》は、此処だけが取引場所ではありませんので」
それが真実で、その以上の情報は、男性から得られなかった。
中途半端に癒えた身体で、ワタシは帰宅した。
「柚希、どうするの?」
その帰宅途中、咲良さんが訊ねる。
咲良さんの視線の先、ワタシの左手には、先程の男性から渡された競売会への入場券が握られている。
どうするも無い。今は、様子見だ。
その予定にするつもりだった。しかし、未来は違っていた。
「どういうつもりッ!?」
ワタシは、緋髪の少女によって固い壁に叩き付けられる。
痛みは無い。それを感じている余裕など無かったからだ。
「ほのちゃん…………」
少し離れた場所で、葵さんがこの状況を見ていた。
そう。今、ワタシの目の前にいるのは、あの鳴滝火垂によく似た人物───鳴滝火乃華なのだ。
火乃華さんは、火垂さんの事を知っていた。
それと同じくらい彼女達と一緒にいる麻鶴木このはも知っていた。知らないのは、葵さんくらいだった。
そして、今その火乃華さんが怒っている理由。それは当然、火垂さんについてのモノだとようやく理解した。
「どうして、いつも…………」
が。少しして、火乃華さんはその場に突っ伏した。
「貴方達は…………。これじゃぁ、あのお方との約束が果たせないじゃない…………」
見れば、火乃華さんの頬を半透明な液体が伝っていた。
「ほのちゃん…………?」
どうやら、火乃華さんは泣いているようだ。
そのような『感情』があるように思えなかったが、それはワタシの勘違いだったのだろうか。
「責任、取ってよ?」
火乃華さんは、涙を拭い、そう言った。
そして、ワタシと火乃華さんは、火垂さんの行方を探るべく、ポケットの奥に仕舞っていた競売会の入場を火乃華さんに一枚差し出した。




