第27話 虚幻の黄園郷
暦は、六月に入った。
それでも、大雨は続いている。
そんなある日。ワタシは、神代さんに呼ばれて、理事長室に来ていた。
「すまないね、わざわざ呼び立てたりして」
「い──」
「ホントだよ。私が抑えてなかったらこの國はどうなってたか………」
ワタシの社交辞令の言葉を遮り、最中さんが余計な事を口走る。
「──ッ!そ、それはやはり本当の事なのかね!?」
動揺を隠せないでいる理事長は、咄嗟にワタシを見た。
「…………」
この場合の判断として、どうして良いか分からず、不意に真顔で返してしまった。
「───なッ!!」
それが間違いであったことは、瞬時に理解できた。
「ま、そんな冗談は置いといて」
「こ、こうしては居れ───は?え?じょ、冗談………?」
「お祖父様。お気になり過ぎです」
「あ、ああ。そうなのか?」
神代さんの言葉に気分を落ち着けた理事長は、再びワタシに視線を向けた。
「………」
ワタシは何も言えず、黙ったままの態度を取った。
「それで、柚希に用件って?」
場を戻すように、最中さんが話の流れを促す。
「あ、ああ。すまない。それで、呼び立てた理由だが………」
気を落ち着けて、理事長はゆっくりと話し始めた。
「率直に言うて、神成神社についてなのだが………」
「神成、神社………?」
聞き慣れないその名に、ワタシは目の前に座る神代さん達に視線を向けた。
「………」
「??」
神代さん達は目を反らした。
それが何を意味するのか、ワタシは悟れなかった。
「その神成神社なのだが、少し……調査に行って来てほしいのだ」
正直ワタシには、理事長が言ってる意味が分からなかった。
少し悩み、その理由を訊ねた。
「えと、その神社には何かあるのですか?」
「いや。無いはずだが………」
余計に訳が分からなくなった。
「……………」
「どうだろうか?」
再度、理事長が念を推すように訊ねてくる。
「ダメ、という訳ではありませんが………」
「ほぉう。では、行ってくれるか!?」
「は、あ、はい………」
ワタシは、この時思った。
きっと、神代家と神成神社との間に、何か不穏な『裏』が隠れていると。
そうして、ワタシはその日の午後に、神成神社へと向かった。
神社への道のりは、長かった。
いや。正確には、その神社の石段が異常に高いのだ。
「コレ。大瀬橋の比じゃないね?」
息を切らしながら、最中さんがぼやく。
神成神社は、神成市の端に設置されており、この石段がある場所以外は、大きな森と広大な海によって覆われている高台にある神社だ。
唯一の通り道なのでどうしようも無いが、こうも長いと時々気が折れそうになる。
「あ、ダメ。足が疲れた………」
それは、既に何度も気を折り、その度に座り込む伊織さんが、その証人のようなものだった。
「柚希。おんぶして」
無茶な要望だ。
「ワタシ、伊織さんよりも体格は小さいはずですが………?」
「良いじゃない。少しくらいお姉ちゃんが甘えても」
ワタシが貴女に甘えたことは一度も無いはずだが……。
伊織さんに聞こえないようにため息を吐き、ワタシは伊織さんの目の前にしゃがみこんだ。
「ありがとう」
伊織さんは偉くご機嫌のようだ。
しかし………その伊織さんといい、以前の最中さんといい、どうしてこう、いつの間にか側にいるのかなぁ………?
悩んで解決する疑問でないことは理解している。しかし、その理由がよく分からなかった。
一千段近い石段を登り、ワタシ達は神社本堂のある境内に到着した。
神社というモノは此処《東方》にしか無い建造物で、ワタシは此処に来るまでその存在を知りもしなかった。
「……………」
到着して早々、ワタシは目の前に立つ高く薄っぺらい門のような紅いソレを唖然として見上げた。
「ソレ、鳥居って言うの」
立ち止まっていたワタシに気付いた伊織さんが、そう説明してくれた。
トリイ…………。どう字を書くのか知らないが、ワタシはこの建造物が何か強大なモノを放っている事だけは理解した。
「あれ?この辺は雨が降ってない………」
先行する最中さんが、天を見上げてそう言う。
「本当ですね。………ですが、空は真っ黒な曇り空のままのようですね」
連れて、咲良さんが呟く。
「ホントだ、止んでる………」
ようやく辿り着いた伊織さんと供に、ワタシは空を見上げ呟く。
石段を登る前まで使っていた和傘は既にボロボロで、帰宅が困難だと悟っていた。
なので、この微妙な天候でも、服だけは乾かせるだろうと思考していた。
「いらっしゃいませ」
「うおっ!」
突如現れた少女に、最中さんは突拍子もなく驚く。
「ひゃっ!な、何ですか……?」
「い、いや。突然現れたからビックリして………」
「あ、そうでしたか。それは、失礼致しました。それで、今回はどのような御用件でしょうか?」
その問いに、咲良さんと最中さんが後ろにいたワタシの方を見るので、その三人のいる場所へ小走りで向かい、伊織さんを最中さんに預けた。
そして、この神社の管理者の関係者と思われる少女に、事情を説明した。
「そうですか。神代家の者が……」
少女は、手を顎に添えて考える。
事情はそこまで複雑では無いはずなのだが、少女は怪訝そうな表情を向けると、ゆっくりと口を開いた。
「では、その者達にお伝え下さい。私共神宮寺家は、貴女方神代家に一切の関係を持たないと」
「わ、分かりました」
それがどういう意味なのか理解出来なかったが、ワタシはそれを承諾し、一旦学園に戻ることとした。
その後、その報告はほぼ徒労に終わった。
「そうか。じゃあ、やっぱり…………」
理事長は、大きく肩を落とす。
「関係無いみたいだね?」
それに連れ、神代さん達も肩を落とす。
「それで。その巫女はどのような人物だった?」
不意に、理事長が問う。
「どのような、と言われましても、ワタシは神社というモノは初めてですのであまり上手くは説明出来ませんが………」
「いや、構わん。君の見た感じで」
「…………」
ワタシは、しばし考え、ゆっくりと話した。
「十三歳くらいの少女、か………」
ワタシの説明に、理事長は頭を悩ませる。
体格から見て、おそらくそのくらいだと判断しただけで、実際にあの巫女?なる者がいくつなのから知りもしない。
しかし、一つ言えるのは、おそらく彼女は理事長達が思っている人物とは全くの別人ということだけだ。
「実際に神社へ行ってみたいが、ワシ達神代の人間にはそれが許されておらんしな……」
理事長が、ポツリと呟く。
これ以上、何の用も無いならと、ワタシは席から立ち上がり部屋を出ようとした。
「ま、待って!」
それは、ドアノブに手を掛けた、その刹那だった。神代さんに呼び止められた。
既に扉は開かれ、解放された部屋の空気が廊下へと雪崩れ込むと同時に、神代さんの次の言葉が聞こえた。
「もうしばらく、神社の事を気に掛けて?」
「分かりました」
その言葉の意味は分からない。
とりあえず、了承して部屋を出た。
「ねぇ、柚希?」
その帰り道、最中さんに訊ねられる。
「神社の事、どうする気?」
その質問が何を意味するのか、ワタシには見当も付かず、考えるのも馬鹿らしく思えた。
ただ思うのは、この降り続ける大雨と、その雨が降っていない神成神社の関係性だった。
「そうですね。とりあえず、神社には通ってみようと思います」
なので、最中さんの問いには、そう答えた。
神社というのは珍しい建造物だ。
《北欧》の神殿や、《西欧》の教会に類似するモノを感じる。
そういう意味でも、通ってみる価値はあるだろう。
その翌日。ワタシは、神成神社へ向かった。
丸い形状の石段は、この大雨で摩擦を余計に減らし滑りやすくなっていた。
「おわっ、あぁあぁぁぁぁぁぁぁ~~~~…………!!?」
「姉さ~~ん。何処まで行くの~~?」
「ど、何処までって、知らないわよ~~~~!!」
少し下で、小薙姉妹がアホな事をしている。
千段近い石段で、二人はそんなコントじみた事を幾度も繰り返していた。
その為、小薙姉妹の到着は、十分近く遅くなっていた。
「ああぁ、もうダメ。帰ってお風呂入りたい」
ようやく到着した伊織さんは、最中さんに背負われて泣き言を言っていた。
そんな伊織さんの姿は、ワタシ達の中で一人だけ、泥まみれのような状態となっていた。
その伊織さん達と合流したワタシと咲良さんは、境内を進み本堂のある方へと向かった。
「本日も来られたのですか?」
本堂を目前にして、この神社の責任者たる巫女さんに訊ねられた。
「えと、お風呂を貸して頂けないでしょうか?」
無理を承知で訊ねてみる。
「そのような用件で、此処まで来られたのてすか?」
トウゼンの如く訊ね返される。
「いえ。用件は違いますが、急にそのような用件が出てきてしまいまして」
「…………そうですか。分かりました。御風呂でしたら、入って左側の突き当たりです」
「分かりました、ありがとうございます」
そうお礼を述べて、伊織さんを背負っている最中さんを室内へと通した。
その間、ワタシと咲良さんは、巫女さんから話を聞く為、茶の間へ案内され粗茶を頂いた。
「それで、ワタシに用件があるんですよね?」
巫女さんに訊ねられ、気を引き締めて問う。
「あ、はい。実は……」
訊ねたい事は至って単純で、けれども難解な問題だった。
「この《セカイ》について、ですか………」
巫女さんは、復唱し思考する。
その対応から、知らないということも無いことは察しが付いた。
それに、どの世界でも神殿や教会を守護する者は、それ相応の知識を有している。
ならば、《東方》の神社という場所を守護している人物である以上、それなりの知識を有していると踏んだのだ。
「その《セカイ》というモノに関して、どのような事を伺いたいのですか?」
具体的な内容を問われ、ワタシは躊躇無く答えた。
「ひとまず、この《セカイ》の存在についてです」
「存在について…………」
巫女さんは、再び思考する。
以前から不思議に思っていた。
何故、《虚幻計画》が成立するのか。何故、《神桜樹》が関係しているのか。何故、《最終戦争》は引き起こされ、《神威兵器》は存在するのか………。
その疑問に答えは無かった。
それが、この《セカイ》の起源となる存在だからか、それとも、全てが偽りの情報と産物なのか。それを知り得る手段は、もう目の前の巫女さんしかアテにできなかった。
「そうですね。まず、この《セカイ》は、本来存在しているはずの無い存在なのです」
ようやく話出した巫女さんの口から出た言葉は、ワタシの予想の少し上を往く言葉だった。
「存在しない《セカイ》………」
それは瞬時に理解できた。
そういう《セカイ》だからこそ、《虚幻計画》は行い易いことも。
しかし………、
「この《セカイ》の名は、《虚界》」
「キョカイ………」
「他の《セカイ》からは、そう呼ばれています」
「『他の』ということは、《虚界》以外にも《セカイ》が?」
「はい、ございます。およそ、十の《セカイ》が」
「そんなに……」
正直、そこは予想打にしていなかった。
ワタシの中の仮定では、一つ二つ程度の事だと誤認していた。
「ですが、実際に十も存在しているかどうかは、定かではありません」
「どうしてですか?」
《虚幻計画》のような書き換えられている《セカイ》では無く、複製されている《セカイ》も存在しているからだろうか?
「互いの《セカイ》を、安易に行き来する事が出来ないからです」
予想打に無い解答が続いた。
「そもそも、《虚界》以外の《セカイ》は元々一つの《セカイ》だったそうです」
「え?」
「遠い遠い昔。とある事件を期に、その《セカイ》は十の《セカイ》に断裂されたと聞いています」
断裂された………《セカイ》。
ならば、この《セカイ》は、いったい………。
「この《セカイ》は、《虚界》。つまり、『虚ろなる世界』。意図的に創造された擬似世界なのです」
真実は、直球で突き付けられた。
「擬似世界………」
それならば、《虚幻計画》の事も理解できる。
「ですが。何故、そんな《セカイ》を?それに、いったい誰が?」
ふと湧いた疑問を、立て続けに訊ねた。
「目的は解りません。しかし、この《セカイ》を創造した人物には心当りかございます」
ワタシはその人物に心当りがある。しかし、他人から改めて聞いた方が、その確信が確実なモノとなることを期待し、巫女さんの次の言葉を待った。
「この《虚界》を創造した人物。それは、十三人の《皇》と伺っています」
「───エッ!?」
今、何と………?
十三人の、《皇》………?
「どうかしましたか?」
「あ、いえ。えと、その………」
「???」
ワタシの戸惑いに疑問を感じたのか、巫女さんは首を傾げた。
「その《皇》というのは、十三人もいるのですか?」
ワタシは、おずおずと訊ねる。
「いえ。正確な人数までは。しかし、この《セカイ》の創造時はそうだった、というだけの話です」
「……そうですか…………」
《セカイ》の創造に携わった十三人の《皇》達。
ワタシは、その全員と戦う羽目になるのか。あるいは、その内の一人とで済むのか。
それが、畏怖という謎めいたとなって、ワタシの精神を大きく揺さぶる要因となった。
「あの………。ちなみに、現在《皇》達はどちらに?」
《皇》に関する情報は、今だワタシの中に無い。
できれば、その情報は少量なりとも得たい。
「現在は、ほとんど所在不明です。なにしろ、他の《セカイ》への渡航は出来ませんので、確認のする術はありません」
「ほとんどということは、大まかな所在は知っているということですか?」
「そうですね。大抵の《皇》は、各世界に点在しているそうですが………」
各世界に………。
「確かな確証の無い《セカイ》としましては、《霊界》と《無界》の二つの《セカイ》にのみ《皇》は存在しないそうですが……。それも確認のしようはありません」
「そうですか………」
「その確認できない点についての補足ですが。およそ二千年ほど前に《霊界》に新たな《皇》が出現したという噂もあります」
「《霊界》に、新たな《皇》…………」
それが何を意味するのかなんとなく解った。
しかし、それはどうすることもできない、単なる〈噂〉に過ぎなかった。
ワタシは、巫女さんから他の《セカイ》の情報をできるだけ引き出し、神社を出た。
神社を出る頃には、最中さんと伊織さんの入浴も終わり官舎の前で二人と合流した。
「どうかしましたか?」
二人の表情を目にした時、ワタシはふと訊ねていた。
伊織さんは、入浴前より窶れたような顔色をしているが、最中さんは、その逆で満喫しきったような表情をしている。
「もう、疲れた。アタシ、この子とはもう一緒にいたくない………」
伊織さんは、酷く弱気だった。
「え、何で?良いじゃん。もっと辛抱を広めようよ」
そう言って、最中さんは伊織さんの小さな身体を後ろから覆い被さるように抱き着いた。
先程の最中さんの最後の方の言葉、『親睦を深めよう』だろうか。
「は、離して~~」
愉しそうな姉妹。
これが逆であれば、微笑ましい絵面なのだが………。見た目と性格が真逆のせいで、理不尽に見える。
そんな二人を他所に、ワタシは先程の巫女さん───神宮寺阿莉子の話を思い返した。
十の世界へと分断された《セカイ》───《黄園郷》。
身勝手な《皇》達の判断で、それぞれの《セカイ》は各世界ごとに切り分けられているらしく、それらは………、
神々の住まう世界……《神界》。
仙人の住まう世界……《仙界》。
星獣の住まう世界……《星界》。
天使の住まう世界……《天界》。
悪魔の住まう世界……《魔界》。
妖怪の住まう世界……《妖界》。
冥将の住まう世界……《冥界》。
獄衆の住まう世界……《獄界》。
死霊の住まう世界……《霊界》。
そして、何も無い世界………《無界》。
それらとこの《虚界》は、《界橋》と呼ばれる〈境界の門〉によって繋がれており、それが唯一の渡航手段であり、決して利用出来ぬモノだという。
「…………」
何度考えても、何の答えも納得も出来なかった。
何故、《セカイ》を十に分けたのか。何故、《最終戦争》は起こり、この《虚界》を創造したのか。
《皇》達の目論みとは………?
そして、《夜天騎士団》の《皇》は、いったい何を考えているのか。
その答えが検討できぬまま、ワタシは帰路を歩き続けた。
神成神社。
神宮寺阿莉子は、本堂の祭壇の奥に設置された〈神晶〉の前に腰を降ろした。
その直後に、〈神晶〉から淡い光が放たれ、阿莉子はその〈神晶〉に向かって喋りだした。
「ご連絡、遅れました《皇》様」
「いや。別にってはおらん。それで、《虚界》の方はどうだ?」
「はい。特に問題はございません。ですが……」
「ですが、なんだ?」
「えと、まだ確認は取れておりませんが、先程《竜皇の叡智》とおぼしき者との接触がありましたので御報告します」
「…………」
「《皇》様……?」
突然の沈黙に、阿莉子は冷や汗と垂らす。
「………いや、なんでもない。それで、《虚皇》の姿は確認出来そうか?」
「申し訳ございません。おそらく、コチラの行動が事前に察知された模様で、確認できておりません」
「そうか…………」
「今後の方針に変更はございますか?」
「いや、そのままで頼む。おそらく、《皇》は『最期』まで姿を見せないだろう」
「そうなのですか?」
「分からん。現在の《虚皇》が誰か分からん以上、下手な行動は控えた方が良いだろう」
「分かりました」
阿莉子の返事を最後に、〈神晶〉の光は失われた。
「《竜皇の叡智》と《虚皇》。いったい、どんな関係が…………」
考えても無駄な事。
しかし、阿莉子はどうしても気に掛かっていた。
その《竜皇の叡智》は本物なのか。現在の《虚皇》は誰なのか。本当に《最終戦争》は再来するのか。
阿莉子は、その情報を、以前いた《セカイ》の《皇》から聞いていた。
そして、その情報が信か嘘か、確かめる意味でも、自身の出生地に帰還している。
だが、状況は聞き及んでいる以上に最悪だった。
天敵となる《勢力》は世界中に散らばっており、既存の《勢力》は未だ睨み合いを続けていた。
一時的にでも『同盟』を結んで貰わなくては、《虚皇》には勝てない。
いったい、どうなるのか。
その《三大勢力》。
《自衛局》《聖皇教会》《魔導協会》は、いったい、どのような行動をとるのか。《夜天騎士団》は、本当に《黄園郷》を滅ぼす〈鍵〉となるのか。
阿莉子は、その事がどうしても気になっていた。




