第9話 七罪聖典
この日のお店は、休日であった。
店内の証明は全て消え、テーブルの真ん中に設置された網の下で炭の仄かな光が、そのテーブルを囲むように座っている少女達を微かに照らしていた。
椅子に座る少女は全部で七人。
その内の一人、茶髪の団子頭の高塚雅が口を開いた。
「皆に集まってもらったのは他でもないわ────」
「明日の夕飯について何だけど」
突然、雅の隣に座っている朱髪のツインテール少女────入衛未美が、雅の言葉を遮るように話を脱線させた。
「おいっ」
雅が彼女を止めるが、未美が脱線させた話はどんどん違う方向へと進んでいく。
「私は、お肉なら何でも」
その問いにいち早く答えたのが、未美の二つ隣に座る活発そうな翠色の短髪少女────エスカ・リィードだった。
「それなら、私は牛肉がメインが良いな」
未美とエスカの間に座る金髪碧眼の少女────パスタ・クローバーが、話に乗っかる。
「貴女達、少しは人の話というものを聞きなさいよ」
雅の制止も空しく、話は更に脱線の一途を辿っていった。
「えぇ~~、私は豚肉メインが良いな?」
「あ、じゃあ私は、鶏肉押しで」
活発そうな黒髪の少女────トトロ・グリリンスハートの言葉に、碧髪の少女────アウラ・テスターが続いた。
「リリはどうする?」
トトロが問うと、彼女の膝の上にちょこんと座っていた熊のような着ぐるみを着た幼女────リグレット・ヴァーミリオンは、ビクビクした様子で周りを見渡した。
「あう………、わ、ワタシ……は、トトロと、同じで………」
「えぇ~~。せっかく、自由に選べるんなら、選べる時に選んどこうよ」
「で、でも………」
「いい加減にしなさいよ………?」
その時、店内の空気が震え始めた。
その震動は地鳴りのように感じられ、少女達は一斉に我に還った。
「あ、あれ?…………雅?」
しかし、それは既に遅く、五人は一斉に冷や汗をかき始めた。
「ちょ、ちょっと落ち着こ……ね?」
五人は、雅の鬼のような形相にビクつき、途端に後ずさった。
「いつも言ってるわよね?人の話はちゃんと聞こう、って………」
五人は体を密着させ、店の隅でガタガタと震えていた。
雅の身体から溢れでた邪気のような真っ黒なオーラ。
その雰囲気は、店内全体に伝わり、店内で奇妙な怪奇現象を起こしていた。
「ごめんなさいッ!」
雅の背後から聞こえた不意の言葉。
その次に、ボゴッ!というこの世のものとは思えない衝撃波が放たれ、雅はその場に倒れた。
「あうあう…………」
雅が倒れた事で、その背後にいた少女、リグレットの姿が現れた。
リグレットは申し訳なさそうに激しく頭を下げていた。
「よ、良くやったよ。リリ!」
五人は、まるでピンチから救ってくれたヒーローを見るような瞳でリグレットに近付き、その歓喜の声を上げた。
しかし、その喜ぶもつかの間、少女達は意識を取り戻した雅に激しい説教を延々と受けさせられる羽目となった。
翌日。
ワタシは、衰えた身体を取り戻すように、日課の修練に励んでいた。
「ハッ!ハァア、ハァァァ!!」
朝方に発生する朝霧を相手の一つとして捉え、その相手に斬撃を与える。
無論、そんなことをしたからといって、その相手が倒れる訳ではない。あくまで、剣術の鍛練の代用として使用しているだけだ。
その感覚は、様々なスポーツに取り入れられているシャドートレーニングに類似する。
「フゥ~~~」
一息入れ、改めて竹刀を構える。
「ハッ!」
鍛練を再開し、今度は試験段階の『型』を試す。
その後、二十分程鍛練を続けた。
鍛練を終え、軽く汗を流して、ようやく朝食の準備に取り掛かった。
三十分から一時間が経った頃、他の人達がぞろぞろと居間に現れ、順当に朝食が終了し、この日の予定を確認した。
ワタシと咲良さん、最中さんは学校へ。シルヴィアさんは街の探索。セレナさんはそんなシルヴィアさんに同行。という方針となった。
本来であれば、森の探索に出掛け、現状を把握するのが最優先であろうが、今のところその感じは感じられなかったので、少し平穏に過ごす事にした。
しかし、一度おかしなことに首を突っ込むと、なかなか『普通』というものには戻れないものだ。
それは、何時しかと同じ昼休みになった時の事だ。
その時同様、その場に最中さんの姿は無く、咲良さんと二人、活発そうな女子生徒とその付き添いの人達に連れられて理事長室にいた。
しかし、そんな今回は、前回とは違う点が一つだけあった。
「おっ。やっと来たみたいだね?」
「最中さん…………」
そう。今回は、最中さんが先にソファに座っていたのだ。
最中さんは高級そうなソファに堂々と座り、茶請けであろう四角い塊を頬張っていた。
何しに来たのか分からない最中さんと咲良さんをよそに、ワタシは理事長の長ったらしい話を聞き、A4サイズくらいの大きな封筒を受け取った。
「はぁあぁぁぁぁ………………」
当然の如く、ため息が漏れた。
当然だ。
『普通』に過ごそうと思った矢先に、然程大きくもない依頼を受けたのだ。
しかも、その依頼書に書かれた内容の場所が、先日行った場所とほとんど変わらない場所だったのだ。
「で、次の依頼は討伐、だっけ?」
まるで、ピクニックをしているかのように楽しげに先頭を歩く最中さんと、
「これ。今日中にこなすのですか?」
何処で嗅ぎ付けたのか分からない、いつの間にか同伴しているシルヴィアさん。
そのシルヴィアさんが買ったであろう土産屋の包装紙に包まれていた高級そうな和菓子を次々と、その小さな口に放り込んでいく咲良さんとセレナさん。
そんな一切の統率の取れていないパーティーで、ワタシは森の中を歩いていた。
「そうですね。なるべくそうしたいとは思いますが……………」
こんな面子では、さすがに気分が乗る訳が無いが、依頼は着実とこなさなければならない。
そう思い、いざ現場に向かうが────
「うわぁ……………」
「さすがに、これは…………」
事件は、唐突に訪れた。
鉱山地帯に見える広大で開放的な場所で、ワタシ達は呆気に取られていた。
依頼書によると、その内容は『大量発生した獣の駆除』とされている。
その為、その『獣』が何なのか、詳しくは明記されていないのだ。
駆除する獣の数は、遠目で約四十から五十程度。個々の大きさは、おそらく中型と思われる。
ここまでの情報であれば、今のワタシ達の実力と戦力で何とかなるだろう。
しかし、問題はそんな事ではない。
「手、明らかに届かないな?」
空を見上げたままの最中さんがポツリと呟いた。
最中さんだけではない。ワタシ達全員が、空を見上げていた。
その理由は当然、その空の上に『討伐対象』が存在しているからだ。
「どうしますの?」
シルヴィアさんの問いに、ワタシは思考を廻らせた。
いちいち手持ちの武器を投げる訳にもいかない。
仮に投げたとして、遥か上空を飛び回る獣に届くとも限らない。
しかも、その獣は、今もその上空を優雅に、暢気に飛び回っている。
だいたい、弓や銃のように長距離攻撃が可能な武器を保持していれば、こんな事態には陥らなかっただろう。
ワタシは視線を他の人達に移した。
全員の装備は、大小種類様々な刀剣類の武器を所持している。
往々にして実力は高いものの、現状では全くの無価値で役立たず状態だ。
「えと、とりあえず出直しましょう。対象の確認が出来ただけでも良しという事で…………」
少し腑に落ちないが、これが最良の判断だ。
ガァ、ガァガァァアァァァ!!!
と。踵を返した途端、カラスに似た鳴き声が聞こえた。
ワタシ達は慌てて振り向き、空を見上げた。
そこには、先程まで優雅に飛び回っていた獣が、恐怖に奮え暴れまわる姿があった。
先程聞こえた鳴き声はカラスのような鳴き声であったが、今見た感じでは、獣の姿は鷲か鷹のように見える。
《秦》ではそんな鳴き声をする鳥なのか、あるいは、以前のような『異変』の影響なのか、それは、今は分からない。
けれど、現状、獣達は何かを警戒しているのか、疎らに飛び回っている。
ヒュヒュッ!ヒュッ!
その時、ワタシ達のいる場所から遥か離れた遠方から、小さく細長い物体が飛来し、見事に獣の喉を貫いていった。
「ほぇ~~、矢か………」
最中さんの言葉に、ワタシは次々と落とされていく獣の山に向かって歩き出した。
「すごい…………」
思わず、そんな言葉が漏れた。
残飯の上を飛び回るハエの如く上空を飛び回っていた鳥達は、まるで、強力な殺虫剤に射たれたかのように、ボトボトと地面に墜落していった。
しかし、本当に驚いたのは、そんな当たり前のような光景ではなかった。
無尽蔵に飛び回る獣達を正確に捉え、一矢も外すことなく全て喉元を射ぬいているその射撃能力だった。
獣の群れが数羽程度に減ったとこでようやく射撃が止まり、獣達はその場から飛び去った。
「一応、依頼は完了、だよね?」
最中の問いに、ワタシは軽く頷いた。
「気配、感じなかった」
皆が踵を返した途端、セレナさんがそんなことを呟いた。
「はい……」
特に気にすることでは無いのだが、何となく気になり、ワタシは矢が飛んで来た方角を見つめた。
遊殻亭。
「たっだいまぁ~~」
暢気な声が店のホールに響き渡った。
「お帰り~」
同じく暢気な声で返す、その店の従業員パスタ・クローバー。
「あれ、パスタとエスカだけ?」
アウラは、奥で小休憩を取っていた雅に訪ねた。
「トトロには、『例のブツ』の受け取りと買い出し、リリにはその手伝い」
「ミミは?」
「……………。あああ………………まぁ、いつも通り……かな?」
雅は、その問いにだけ曖昧に答えた。
「そっか……………。ちなみに、その『ブツ』は私じゃないとダメなの?未美の方が良いんじゃ………」
「どうでしょうね………」
雅達は、その『例のブツ』とやらの正体を知らない。
しかし、彼女達の中で、唯一未美のみがそれの存在を知っている。
「あの未美、そういうの嫌いますからね」
幼少期からの古い幼馴染みである雅は、その未美の性格を理解している。
故に、雅は未美の考えていることが予測できているのだ。
「ところで、その『ブツ』はどんな代物なの?」
アウラの問いに、雅は首を傾げた。
「知らないわ」
「え?」
「未美の話では、『魔導遺産』…………《魔導遺失物》の一種らしいということしか…………」
「う~~ん。じゃあ、その『魔導遺産』のことは未美にしか分からないのか…………。あれ?だったら、その受け取りは未美がした方が良いんじゃ…………?」
その問いに、雅は苦悶の表情を浮かべた。
その反応の理由はただ一つ。
雅はその『ブツ』の受け取りに受港してくる人物に苦手意識がある。
それは未美も同じだ。
しかし、そんな人物にはリグレットが適任だと、未美の提案である。
その点は雅も賛成なのだが、唯一の不安要素が雅の心を激しく動揺させていた。
だが、未美が大丈夫だと言っていた。ならば、大丈夫なのだろう。
それは、長年の付き合いである雅が一番熟知している。
「何か、不安だね?」
雅の感情の変化を察したアウラが、そう呟いた。
その後、アウラは制服に着替え、仕事に戻った。
いつの間にか、お金の減りが早くなった。
その原因は十分に理解している。
しかし、その原因を注意する程、ワタシは大きな人間ではない。
その辺は廻りの人達が何かと理解しているのだろう。
「柚希~。これ、何ですか?」
ワタシの数メートル先を歩いていた咲良さんが、目をキラキラと輝かせ、とある店の前で立ち止まった。
咲良さんの側へ近付き、指差した先を見ると、焦げ目の付いた小さな物体が、鉄製の網の上に乗っている。
そちらに近付くと、仄かに香ばしく甘ったるい匂いを鼻腔の奥をくすぐる。
初めて見るソレをいくつか購入し、買い出し途中の商店街を歩き始めた。
そんな出来事でこの展開が終わるはずまもなく、その出来事は帰路の先にあった。
街から少し離れた林道。
身体のゴツそうな男達が何かを囲んでいるのが目に付いた。
訝しげな顔でその光景を見ていると、男達に囲まれていたのは、なんと、小さな女の子であった。
その子は小さくうずくまっており、腕の中の大きなぬいぐるみをギュ~~と力強く抱き締めていた。
その子の酷く怯えた表情とその光景が、ワタシの中の感情を逆流させた。
「えと………、柚希?」
咲良さんの言葉を無視し、ワタシはその男達の下へと足早に向かった。
「スミマセン」
「あ゛?」
正面の男は、ワタシの姿を認識するまでに多少の時間を掛けたが、ワタシに気付くと厳つい形相でワタシの顔を睨み付けた。
「何々?」
「あ゛?何、このチビ」
それに気付いた他の男達も、ぞろぞろとワタシの周囲を囲み始める。
目の前の幼女、後ろの咲良さんのハラハラとした感情が、ワタシの心に余計な感情を与えた。
そのせいか────、
「……ッ!!!」
「ひっ!!」
「な、何だコイツ!」
「お、おい。コイツ、ヤバいんじゃないか!?」
ワタシの顔を見た途端、男達は一斉に怯えだし、青ざめた表情でその場から逃げ出すように退散していった。
「……………」
男達の姿が見えなくなるまで、ワタシはその場に立ち止まっていた。
「柚希………?」
我に帰ったのは、咲良さんの声を聞いてからだった。
ワタシは、一度辺りを見渡し、再度状況を確認してから、幼女の下へ向かった。
「あの、大丈夫ですか?」
「…ッ!………(ビクビクッ)」
ワタシが近付くと、幼女は余計に怯えてしまった。
その時の表情がどんな感じだったのか、正直ワタシ自身は覚えていない。
しかし、今の幼女の表情を見る限り、とてつもなく尋常ではない顔をしていたのだろう。
その要因は、おそらくワタシの『眼』にあるのだうということは、おおよその察しがついている。
ワタシが、その幼女に近付こうと一歩を踏み出すと───、
「こら~~!!」
強い怒声が聞こえ───、
「リリに、手を出すなぁ~~~!!!」
少女が、ワタシに向かって飛び掛かって来た。
「ふぇ!?」
少女は戦闘体勢に入っていたので、ワタシは咄嗟に防御体勢に入った。
「ッ!!」
少女の蹴りを受け流し、少女との距離を離す。
「ちょ、ちょっと待って下さい!!」
ワタシの制止をきかず、少女は地を蹴ってワタシに向かって接近して来た。
…………仕方ないッ!!
ワタシが戦闘体勢に入り、《ark follche》の『根』に回路を接続しようとした刹那───、
「ダメッ!!!」
小さな陰がワタシ達の間に入り、
「グホッ!!」
少女の身体が大きく後方へ弾き飛ばされた。
ワタシは、一瞬何が起こったのか分からなかったが、どうやら、先程の幼女が持っていたぬいぐるみで少女を殴ったようだ。
その後数分が経ち、落ち着きを取り戻した少女は、誤解であったことを謝罪した。
「それにしても、何かこの感じ前にもあったような………」
少女がそんなことを呟くと、
「オジサン…………の、ときに……あった………」
少女の後ろに隠れていた幼女が答えた。
「あぁあ、そうそう。オジサンと初めて会ったときが、こんな感じだったね」
オジサン………?
一瞬、アブナイ状況が目に浮かんだ。
そんな邪念を取り払い、ワタシは少女の長話に付き合った。
別れた時には、既に空は茜色に染まっていた。
遊殻亭。夜。
「あ、やっと帰って来たのね」
未美の帰宅に気付いた雅が、椅子から立ち上がった。
「まだ起きてたんだ」
未美は、テーブルの上に置かれた小さな黒い箱に気付き、ソレを手に取った。
そして、懐から小さなガラス瓶を取り出すと、その中に入っている青い液体を二本指に付け、黒い箱の頭上──空中に絵を描くようにして指を走らせた。
鍵のような形状をしたその絵は、黒い箱に真上から刺さり、ガシャンという音を鳴らせた。
絵は虚空へと消え、黒い箱は更に小さな結晶体のような形に姿を変えた。
「それが、《魔導遺産》?」
「うん……………」
雅の問うと、未美は力無く答えた。
未美が手に持っているソレは、綺麗な緑玉色の結晶体で、反対側が見えそうな程に透き通っている。
「《エメラルド・グラス》…………」
「え?」
未美が続けて呟くが、雅はその言葉を聞き返してしまった。
「和名では、《緑呉水晶》っていうらしいけど…………」
「その……………エメラルド・グラス?には、どんな効能があるの?」
「んん~~。何だったかな?………たしか、『響奏』じゃなかったかな?」
「『響奏』?」
「まぁ、持ち主の真実を暴いたりだとか、正体を晒したり、みたいな感じのこと」
「へぇ~。ところで、ソレの使用はアウラに任せるとして、彼女を止めるのは私と、エスカとパスタだけで十分なの?」
「そうだね……………。アッチには『お友達』が何人かあるみたいだし、その協力が得られればなんとかなるんじゃない?」
「そうかな…………?」
「ま、頑張ってよ。《聖皇教会》序列八位の高塚雅さん」
冗談半分な台詞を残し、未美は自室に向かった。
そんな未美の後ろ姿を見つめながら、雅はポツリと呟いた。
「そういう貴女は、序列三位のくせに…………」




