第27話 ジェラルドの署名
二通の招待状は、同じ大きさだった。
王太子宮で用いる厚手の紙。
青い封蝋。
第一長卓上座という、同じ席。
そして末尾に記された、ジェラルド・ハウゼンの名。
「こちらを承認したことは、覚えていますか」
クラウディアが、先に発行された招待状を示した。
「はい」
アーデン侯爵家へ送ったものだ。
前回の大夜会でも第一長卓に座った家であり、今回も同じ席を用意する。席次会議で決まった内容を確かめてから、ジェラルドは署名した。
「では、こちらは?」
フェルナー侯爵家への招待状が、その隣へ置かれる。
ジェラルドは発行日を見た。
三日前。
北方使節から届いた要望と、国内貴族から寄せられた面会の申し込みを整理していた日だった。
「草案を読んだ記憶はございます」
「第一長卓上座という部分も?」
答えるまでに、わずかな間が空いた。
「……読んだはずでございます」
「覚えてはいないのですね」
ジェラルドは否定できなかった。
フェルナー侯爵家が北方使節との挨拶を望んでいることは確認した。侯爵領の穀物を北方へ輸出していることも知っていた。
だから、使節と話せる位置を用意するという回答は妥当だと判断した。
卓の番号まで、最初の招待状と見比べなかった。
「別々の書記官が作成した書類です」
アルフレッドが言った。
「ジェラルドのもとへ届いたのも、六日と三日前で離れている。すべてを覚えているのは難しいでしょう」
「ええ。ですから、記憶だけに頼らないために発行記録と席次表があります」
クラウディアは声を強めなかった。
フェルナー侯爵家の草案に添付されていたのは、卓の番号がない出席者一覧だった。
その不足を指摘できる者が、承認欄に署名する者だった。
「書記官に、侯爵家へ約束する席を決める権限はありません。王太子宮の印を使わせたのは、あなたの署名です」
ジェラルドは二通の末尾を見た。
どちらの名も、同じように書かれている。
一通目へ署名したときは、席次表を確かめた。
二通目では、内容に不自然なところはないと思い、次の書類へ進んだ。
紙の上には、その違いは残らない。
「申し訳ございません」
頭を下げる。
「謝罪なさる相手が違います」
クラウディアの言葉に、ジェラルドは顔を上げた。
彼女は側近章を外すための小箱を、卓の端へ置いた。
「選びなさい」
金具の音を立て、小箱の蓋が開かれる。
「今ここで側近章を返し、王太子付きの職を辞するか。側近として両家を訪ね、ご自分の署名によって同じ席を二度約束したと説明するか」
会議室にいた誰も、口を挟まなかった。
「後者を選ぶなら、書記官の間違いとは申し上げないこと。先に訪ねた家へ、内々に譲るよう求めることも認めません。二家へ同じ記録を示し、同じ説明をなさい」
「どちらの家も、譲らなかった場合は」
「その返答を持ち帰りなさい。席次の変更は、王家が考えます」
ジェラルドが謝れば、椅子が増えるわけではない。
相手が許すとも限らない。
それでも、誰が誤った約束をしたのかを曖昧にはしないということだった。
ジェラルドは卓の端にある小箱を見た。
やがて二通の招待状を重ね、自分の前へ引き寄せる。
「両家へ、面会をお願いいたします」
◆◆◆
アーデン侯爵は、王都邸の書斎でジェラルドを迎えた。
灰色の髪を短く整えた老侯爵は、差し出された二通を最後まで読むと、眼鏡を外した。
「つまり、我が家へ約束した三日後に、同じ席をフェルナー侯爵家へ約束したと」
「そのとおりでございます」
「席を知らせる文を作ったのは?」
「別々の書記官です」
「署名したのは?」
「どちらも私です」
老侯爵は、二通目の末尾へ目を落とした。
「それで、私に譲れと?」
「そのお願いに参ったのではございません」
ジェラルドは、王太子宮の発行記録を机へ置いた。
「二つの約束が存在することをお伝えし、王家からの訂正方法についてご意見を伺うために参りました」
「都合の悪い一通を、なかったことにはしないのか」
「できません」
「できないのではなく、これまでは、誰かになかったことにしてもらっていたのでしょう」
ジェラルドは返事をしなかった。
老侯爵は、しばらく彼を見たあと、招待状を机へ戻した。
「我が家は、最初に示された席を変更する理由を持たない」
「承知いたしました」
「ただし、フェルナー侯爵家へ別の説明をしてはならない。私が強く求めたから動かせなかった、とは書くな。王太子宮が二重に約束し、先に発行した席を維持したと記しなさい」
「書面へ、そのまま記載いたします」
「大夜会の前に、訂正文の写しを我が家へ届けること」
「必ず」
許すという言葉はなかった。
面会の終わりに差し出されたのも、握手ではなく、二通の招待状だった。
◆◆◆
フェルナー侯爵家へ到着したころには、窓の外が夕暮れの色へ変わっていた。
フェルナー侯爵は、娘と領地の会計官を同席させていた。
「第一長卓へ座れば、北方使節と話せる。王太子宮からは、そう説明を受けております」
侯爵が言う。
「はい」
「それが、すでに別の家へ約束されていた席だった」
「私が確認せず、承認いたしました」
ジェラルドは、アーデン侯爵家で示したものと同じ発行記録を机へ置いた。
フェルナー侯爵は記録を読み、隣の会計官へ渡した。
「第一長卓でなければ、北方使節との話はできないのですか」
ジェラルドはすぐには答えなかった。
大夜会の進行表を開き、王族への挨拶、晩餐、舞踏の時刻を確かめる。
「晩餐前の王族挨拶では難しいでしょう。ですが晩餐後、北方使節の休憩室であれば、正式な面会の時間を設けられます」
「何分です」
「現状では、十分間です」
「穀物の輸送と関税について話すには足りない」
侯爵の娘が初めて口を開いた。
彼女の前には、北方へ輸出した穀物の一覧が置かれている。
「ご挨拶だけで終われば、次の協議を申し込むために、また何か月も待つことになります」
「どれほど必要でしょうか」
「少なくとも三十分。交易局の担当者にも同席していただきたいです」
ジェラルドは進行表の余白を見た。
北方使節は晩餐後、舞踏が始まるまで四十分の休憩を取る予定になっている。
「三十分を確保します。交易局の北方担当官にも出席を依頼いたします」
「今、あなたの判断だけで約束するのですか」
フェルナー侯爵の問いに、ジェラルドの手が止まった。
開きかけていた手帳を閉じる。
「いいえ。王妃陛下と儀典部へ持ち帰り、北方使節団にもご都合を伺います。すべての承認を得たうえで、今夜中に書面をお届けいたします」
同じことを、もう一度繰り返すところだった。
侯爵は椅子の背へ体を預けた。
「承認されたならば、我が家は第二長卓の上座へ戻りましょう」
「ありがとうございます」
「礼を言われることではありません。私たちが最初に求めたのは、上座ではなく、北方使節と話す機会です」
侯爵は、王太子宮から届いた招待状を指で押さえた。
「ただし、席の変更が我が家の辞退によるものではなく、王太子宮の二重発行を訂正した結果だと記してください」
「承知いたしました」
「その書面にも、あなたが署名を?」
ジェラルドは招待状にある自分の名を見た。
「はい。私が署名いたします」
◆◆◆
王宮へ戻ったジェラルドは、面会時間の確保を儀典部へ求めた。
北方使節の休憩を十分間短くし、舞踏の開始を十分間遅らせる。
交易局の担当官は、すでに大夜会へ出席する予定だったため、新たな招待は必要なかった。
使節団へは、王宮の北方担当官を通じて面会の目的と出席者を伝えた。穀物の輸送についてであれば話を聞きたいという返答が、ほどなく届いた。
使節団、クラウディア、儀典部長の承認がそろうと、二通の訂正文が作られた。
一通は、アーデン侯爵家へ。
一通は、フェルナー侯爵家へ。
宛名と変更後の予定を除き、冒頭の文は同じだった。
『王太子宮の確認不足により、第一長卓上座を二家へ重ねてご案内したことを、ここにお詫び申し上げます。』
末尾には、承認者の名を書く欄がある。
ジェラルドは一通目に署名した。
次に二通目を並べ、最初の書面と一行ずつ見比べる。
時刻。
卓の番号。
北方使節との面会時間。
交易局担当官の名。
すべてを確かめてから、二つ目の欄へペンを置いた。
朝と同じ名が、紙の上へ記された。




