第4幕『残された三人』
村の中央に、ひときわ大きな家がある。
他より梁が太い。屋根も、最近葺き替えたばかりに見える。
壁際には干し草を積んだ荷車と、木桶がいくつも立てかけられていた。
畑と放牧を行き来する、小さな農村。
ここが、その“まとめ役”なんだろう
麦と根菜を育て、余った分を街道に流す。
その村の出入り口みたいな役割を担っている家だ。
だからだろう。
入口の扉は、他よりも厚く、金具も新しい。
……“守る必要がある“作りだ。
「……ここね」
セレスが足を止める。
声は低いが、迷いはない。
その間に、俺は周囲を一度見渡す。
納屋の戸は閉じられているが、隙間から干し草がこぼれている。
畑の畝は崩れていない。
柵の向こうでは、羊が二頭、何事もなかったように草を食っていた。
——生活は、止まってない。
けど確かに、人の気配は明らかに少ないような気がする。
村人の集団失踪……。
荒らされた様子もない。
まず浮かぶのは、人攫いか盗賊。
理由は単純だ。人は、売れるか、交渉材料になる。
夜のうちに家に忍び込む。
寝ている住人を、“声も動きも封じて”、そのまま連れ出す。
そう考えるのが、一番筋が通る。
でも、問題は…その方法……。
数人ならまだしも、十人近く。
それを、誰にも気づかれずにやる。
それに、盗難の様子はなく金も残ってたらしい。
セレスが軽く息を整え、制服の襟を直す。
さっきまでの砕けた空気は消えている。
背筋が、すっと伸びた。
コン、コン。
「王国軍監察局直属、セレス・ヴェルスタン監察官です。
村人の失踪事件に関する聞き取りに参りました。ご協力をお願いできますか?」
声が通る。
余計な圧も、変な柔らかさもない。
こういうところは、本当に“ちゃんとしてる”。
数秒。
内側で、何かが擦れる音。
ぎい、と扉が開いた。
出てきたのは、腰の曲がりかけた老人。
日に焼けた手は節くれ立っていて、爪の間に土が残ってる。
“村長”というより、“畑に出てる人間がそのまま代表になった”って感じがする。
後ろから、同じように日焼けした女性が顔を出す。
年齢からして、彼の妻だろう。
さらに奥には、若い女性が一人、こちらの様子をうかがっている。
たぶんこっちは、娘……。
セレスが一礼し、証明札を差し出す。
「身分証です。形式だけで構いませんので、ご確認ください」
老人はそれをじっと見てから、うなずいた。
「……役人さんか。こんな田舎まで、ご苦労さまです」
声音は素っ気ない。
だが、拒絶ではない。
どちらかと言えば、“遅かったな”に近い。
「中、入ってくれ。立ち話じゃ寒いだろう」
案内されて中に入る。
土間は踏み固められている。湿り気が残っていた。
壁際には農具が立てかけられ、刃の欠けた鎌や、継ぎ直した柄がそのまま置かれている。
奥の囲炉裏には、鍋がかかっていた。
火は落ちきっていない。
弱く、くすぶっている。
途中で、手が止まっている。
木の椅子が四つ。
だが、使われている位置には、はっきりと偏りがあった。
"どの椅子が誰のものか、ちゃんと決まってる"って感じの配置。
「どうぞ、座ってちょうだい」
老婆が布で手を拭きながら言う。
動きはゆっくりだが、慣れている。
来客に対応する家の動きだった。
俺とエナ、アリスは後ろで控え、セレスだけが一歩前に出る。
…この場では、誰が話して、誰が聞くか。
もう決まってる。
セレスが記録板を取り出す。
木製の板に羊皮紙を留めた、簡素なものだ。
炭筆を軽く指で弾いて、先端を整える。
「まずは、状況の確認です」
声は落ち着いている。
さっきまでの軽口は一切混ざっていない。
「ご存じかとは思いますが、北方の国境にて、
我が国は"魔王軍"と呼ばれる勢力と交戦状態にあります。
ですが、この付近では、魔王軍の出没や被害は報告されていません」
「本件に関し、改めて確認させてください。
失踪された方々が、最後に確認された時間帯は?」
老人は、少しだけ視線を天井に向けた。
「……晩飯のまえだ。どこの家も、灯りはついとった」
「異変に気づいたのは?」
今度は、老婆が答える。
「翌朝です。誰も畑に出てこんで……変だなって」
セレスはうなずきながら、手元に書き込む。
確認の順番が、無駄なく進んでいく。
「夜間、物音や騒ぎは?」
「……ありませんでしたよ。犬も吠えなんだし、戸を叩く音もなかった」
言い切る。
だが、そのあと、わずかに口を閉じるのが遅れる。
——何かを足そうとして、やめた。
セレスはそこを追わない。
あくまで“記録できる事実”を優先してる。
「争った形跡や、壊された場所は?」
「ないです。どこの家も、そのまんま……」
若い女性が、小さく言葉を足した。
「……洗い物も、そのままで。パンも、切ったまま置いてあって」
その言葉に、部屋の空気が一瞬だけ重くなる。
——生活の途中。
それが、共通している。
セレスは一拍だけ手を止めてから、再び筆を走らせた。
「……確認します。魔物の目撃、あるいは痕跡は?」
老人が、困ったように笑う。
「この辺じゃ、そんなもん出やしませんよ。
狼くらいは来るが……ああいうのは、ちゃんと足跡残す」
その言い方は、経験から来ている。
知らないじゃなくて、見分けている。
セレスが、わずかに視線を上げた。
「では、別の可能性として——」
そこで、少しだけ言葉を選ぶ。
「……人が関わった形跡について、何か」
老人の眉が、わずかに動いた。
今度は、すぐに答えない。
代わりに、奥にいた若い女性が、ためらいがちに口を開いた。
「……音は、しました」
全員の視線がそちらに向く。
「夜更けに……道の方で。
ごろ、ごろって……車輪みたいな音が」
「荷車ですか?」
「……たぶん。でも、この村、馬はもういないし……
あの時間に通る理由も、ないです」
セレスの手が、少しだけ速く動く。
「音は、一度きり?」
「……いえ、二回……か、三回……」
曖昧だ。
でも、違和感としてちゃんとかんじてたんだろう。
セレスは書き終えると、炭筆を軽く止めた。
「ありがとうございます。ここまでで一度、整理します」
そう言って顔を上げる。
ここまでは、軍の仕事だ。
——だが。
俺は、別のものを見ていた。
囲炉裏の横。
木の箱がひとつ、開いたまま置かれている。
中には、子ども用の靴。片方だけ。
サイズは小さい。まだ、畑に出る年じゃない。
その隣に、編みかけの布。
糸は途中で止まっていて、針がそのまま刺さっている。
……たぶん、この家でも減ってる。
でも、誰もそれを口にしない。
“外から来た人間に見せる分”で、話が止まってる。
俺は視線を戻して、セレスを見る。
セレスは気づいている。
だが、そこには踏み込まない。
今は、“聞ける範囲”を越えない。
その判断は、正しい。
けど……
「……エナ」
小さく呼ぶ。
エナが、ぱっと顔を上げた。
「はいっ?」
声はいつも通り明るい。
でも、視線は部屋の奥に向いていた。
「どう思う」
あえて、短く振る。
エナは少しだけ考えて、口を開いた。
「この村……」
一度、言葉を切る。
視線が、床をなぞる。
「……"こわがってた感じ"が、あんまり残ってないです」
場の空気が、ほんの少しだけ止まった。
セレスが、ゆっくりとエナを見る。
「残ってないって……どういう意味?」
エナは、考えながら言葉を選ぶ。
「えっと……
逃げようとしたり、誰か呼んだり、そういう……」
自分の胸元を軽く押さえる。
「“助けて”ってなる感じって、あるじゃないですか。
そういうの……ここ、薄いです」
言葉は拙い。
けど、指してるものはズレてない。
……村に入ってから見てきたものが、順番に浮かび上がる。
洗いかけで止まっていた布。
干しっぱなしのままの洗濯。
戸が閉まったままの家畜小屋。
どれも、“慌てた跡”が残っていなかった。
「……なるほどな」
セレスも、ゆっくりと窓の外に視線を巡らせる。
さっきまで“聞き取り”に向いていた目が、
今は“現場を見る目”に変わっている。
「普通なら……一人くらいは、物を倒すなり、声を上げるなりするはずよね」
セブンが淡々と補足する。
《報告:複数人同時失踪に対し、村内の物理的損壊は観測されない。
抵抗行動が発生していない、あるいは発生不能な状態にあった可能性》
アリスが続く。
「同規模事案であれば、抵抗痕、もしくは戦闘跡が、どこかで確認されてもおかしくありません」
……だよな。
俺は軽く息を吐いた。
「無音で、複数人を同時に。
しかも、いっさい抵抗させずに連れ出す……か」
言葉にすると、急に現実味が薄れる。
だが。
目の前の状況は、それを否定してない。
俺は、高齢の男に視線を向けた。
一瞬だけ、目が合う。
何かを言いかけて、飲み込んだ顔。
……全部知らない、って顔じゃない。
でも、ここで突っ込むのは違う。
俺は軽く頭を下げた。
「……ありがとうございます。
もう少し、村の中を見させてもらいます」
セレスがそれを受けて、一礼する。
聞き取りは、ここで一旦終わった。
——情報は出た。
けど、きれいに揃いすぎている。
盗賊でも、人攫いでも、説明はつく。
でも、それにしては——
俺は外に出ながら、もう一度だけ振り返った。
火の落ちきらない囲炉裏。
その前で、誰も座っていない椅子。
……これは、“何かが起きた跡”じゃない。
"何も起きてない"はずの跡だ。
やっぱり、この事件。
調べればすぐ分かる類じゃない。
少なくとも……
表に出てる情報だけじゃ、足りない。




