第5幕『誰あの女?』
午前の巡礼報告は三件、古文書の解読進捗は“未処理”のまま積まれていくし……ああもう、どうして私だけこんなに仕事してるのよ。
私は神殿の執務室で山のような書類を睨みつけながら、片手で羽ペンを動かし続けていた。
——そのとき、部屋の扉がノックもなく勢いよく開く。
「巫女様っ、あの、ルーメルのギルド支部から通信が──」
「どうせ大した用じゃないでしょ、あとにしなさい。こっちは今、【世界の命運】の整理中なの」
ペンを走らせながらそっけなく返す。が、次の一言にだけは反応せざるを得なかった。
「……でも、あの召喚された少年が……“リク”さんが、来てるらしくて……」
ぴたり、とペンが止まる。
「……は?」
一瞬で立ち上がり、机を離れる。
「通信室、今すぐ空いてる場所は?」
「え、えっと、第二塔の……」
「使う。私が行く。3分後に接続準備しておいて」
背後で部下が慌てて何か言ってたけど、聴いてる場合じゃない。
駆け足——!
——あ、でも。あんまり焦った感じで通信に出ても不自然よね?
アイツに変な勘違いさせても悪いし——
私はあえてゆっくりと、しかし足取りだけは迷わず、塔への廊下を進んでいく。
ただ。報告。確認。必要事項の共有。それだけ。
……にも関わらず、ふいに想像してしまった。
あのちょっと情けない顔で、「おーい」とか手を振ってくる様子を。
そこで、ほんの少しだけ——足が速くなっていた。
廊下を早足で抜け、曲がり角の立ち鏡の前で、私は一瞬だけ立ち止まる。
「……ちょっと、顔ひどいわね……」
髪を整え、襟を直し、唇の色を確かめる。
鏡に映った自分を見て、自然と口元が緩んでいたのに気付いた。
「ありゃ……笑ってる場合じゃないってのに」
私は軽く頬を叩いて、表情を引き締める。
通信室に入ると、魔導球が淡く光り始めていた。
「はい、次。通信接続──《大図書館都市ルーメル、ギルド支部・中央塔》、識別コード“R-17・召喚指定個体”と、っと」
ぼうっと光が揺らぎ、やがて目の前に小さな立体映像が浮かび上がる。
ピントが合うと同時に、やや寝癖のついた黒髪と、こちらを見てキョロキョロしている男の顔が現れた。
「うおっ……!? すげぇ、なんだこれ。ホログラム? いや魔法? あ、魔法っぽい! この世界でいちばんファンタジーっぽいやつ来た!」
「……アンタの腰にぶら下がってるモノほどじゃないわよ、ずっと」
「……ああ。確かに」
リクが腰の鞘をちらりと見下ろして、少し照れたように苦笑いする。
……ほんと、無自覚にイイ反応するわよね、あんた。
「で、なんの用? いきなりこんなの繋げて」
リクが肩をすくめながら訊ねてきた、そのとき——
後ろに、ふと影が差した。
画面の向こう。リクの斜め後ろに、ぴたりと立っている少女。
黒髪。制服のような服。無表情。……なのに、妙に目を引く。
……え? 誰? あの女。まさか、同行者……?
ていうか、何? その目線。なんでちょっとだけこっち睨んでんの?
私はすぐに視線を切り替えたけど、視界の端でしっかりロックオンしてた。
思考回路がグルグルし始める。
——"星の巫女様"を前にして、ずいぶん涼しい態度。可愛い顔して鉄のメンタル。
——てか、ちょっとリクの近くすぎない? 距離感バグってない?
——ていうか……何あの太もものスリット。明らかにフェチ狙ってない?
いやいや、私なに動揺してんのよ。
ただの同行者でしょ? ただの、ちょっと顔の良い……スリットの深い……同行者。
……だとしても、ちょっと言っとくべきよね。
“怪しい女と同行する時は、事前に報告すべき”って。ギルド的にも当然でしょ?
私は、ふっと笑顔を浮かべた。
ちょっとトーンを一段階下げて、微笑みながら……。
「ご挨拶くらい、してもらえるかしら?」




