第12話:私のせんせい
私はからだが異様に重たくて、うめいた。
特にお腹あたりが痛い。
「あら。お目覚めかしら?」
甘くて冷たい氷菓子のような、女の声がした。
魔女に比べたら、まだまだひな鳥な声音ではあるものの、これから少しずつ色気が育っていくのではなかろうか。カエルの私が保証する……。
私は、まだ夢とうつつを行ったり来たりしていた。
「……お、もい」
「っ。この、無礼者!」
私がポロリと本音を零したら、女は息をのむ音がした。間髪入れず、女は私の額を何かで思いっきり叩いたらしい。
バシンといういい音が鳴った。
「いったぁ!」
私はやっと目が覚めた。起こされたと言っても、過言ではない。
私は額をさすろうとしたが、両腕が上がらない。
どういうことだと、目を開けると、天井が見えた。涙で少しぼやけてはいるが、天井だ。
ついで、視線を胴のほうへと走らせた。
私のお腹あたりに、妖精のごとき美少女がまたがって座っているのを確認した。
何度か、まばたきを繰り返すが、どう転んでも、まごうことなき人間のようだ。妖精に見えたのに……。
見た目からしても手入れの行き届いたサラサラとした長い銀髪。
小顔の中に並んだ眉、目、鼻、どれもバランス、大きさが絶妙である。
今は眉をひそめ、扇で口元を隠している。
扇を持つ手も、小さめで線が細く、なんとも庇護欲がそそられる。
服は、私にはあまり馴染みのないドレスである。
フリフリふわふわがふんだんに使われている。
美少女に似合っている。
ただ、暗い色が主に使われているせいで、美少女のあどけなさが霞んでいる。
「残念だ……」
私が呟いてしまった言葉を美少女は聞き取ったらしい。
目を見開いたのち、美少女は扇を握りしめた。
美少女は数度、深呼吸を繰り返す。
「あなた、わたくしを誰だと思っていらっしゃるの?」
私は目をパチクリさせた。
少し考えたが、ここは素直に言ったほうが良いだろう。
「どなたですか?」
「え……。あなた、ありえないですわ! ありえない。お兄さまの隠し部屋に潜入して遊んでいるわたくしを咎めないお兄さまの非常識さ並みに、ありえないですわ!」
そう言って、折りたたんだ扇の先を、私に突きつけた。
「わたくしの名は、エメリーン。エメリーン・オクサイド・ジョンブリアン・マルーベとは、わたくしのことですのよ。さあ、ひれ伏しなさい」
「あぁ、エイダンの妹君ですね。はじめまして。私はクレア・ノワールです」
私は納得して、挨拶を返した。しかし、エメリーンは固まってしまった。持っていた扇を取り落とす。
拾ってあげたいが、あいにく私の上にエメリーンが乗っているので、難しい。
「もしもし? エメリーン、扇を落としましたよー」
「ふ、ふざけるんじゃないわ!」
そうエメリーンは叫ぶと、私の胸をポカポカ叩いた。地味に痛い。
私が途方に暮れていると、エメリーンはキッと私を睨んだ。
「あなた……クレアといったわね。礼儀作法がなってないのではありませんの?」
「それは少し感じてましたね……」
私がしみじみ答えると、エメリーンは未知の生物を見るような目で私を見た。
「自覚がおありで、それですの……。お待ちになって。あなた、お兄さまにもその調子ですの?」
私には「その調子」というのが、よく分からなかった。私が首を傾げると、エメリーンは目を見開いた。
しかし、さすがエイダンの妹君である。姿勢をただし、私の上から、よっこいしょと降りた。近くの椅子を見つけると、ベッド脇まで引きずってきた。
その椅子によじ登ると、エメリーンは私を質問攻めにした。
「クレアさん。あなた、お兄さまとはいったいどういう間柄なの? いえ、恋人だとか、からだだけの仲だとかは、正直聞きたくないのだけど……」
「エイダンが上司で、私が部下です」
「設定ではなく?」
「設定……?」
「あ、も、もう。よろしくてよ。そう、上司と部下……。それにしては、あなた。相当おかしいって言われませんの?」
私が答える前に、いろいろエメリーンの中で解決されるらしく、どんどん質問は進んでいく。
最後には、こう締めくくった。
「こほん。クレアさん、あなた王妃にでもなるおつもり? そうでなくても、行儀作法がなってませんわ。失格ですのよ。お勉強なさって?」
「えっと……? 私は王妃さまなんて、すごいものにはなりたくないです」
「そうじゃないのよ。お兄さまも何故、ご指摘なさらないのかしら。まったく。……クレアさん。あなたにその気がなくても、その言葉遣いでは誤解されましてよ」
「そうなの?」
エメリーンは大きくため息を吐いた。とても疲れているようだ。
「んん……。その黒目がちな目で、首をこてんとさせてもダメです」
私がエメリーンを心配していることにはならないようだ。
見つめ合うこと、少し。
エメリーンは顔を少し紅潮させ言った。何かを決意したらしい。咳払いを改めてする。
「わかりましたわ。このエメリーンが、クレアさんに行儀作法を教えて差し上げます。喜んでくれて良いのよ」
私は何を言われたか一瞬分からなかった。けれども、理解した途端、エメリーンには頭が上がらないと思った。
「な、なんですの。そんなニヤニヤして」
「いえ、礼儀作法のことは、正直気にしたことがなかったので……。とてもこころ強いです。ありがとうございます。エメリーンさま」
「そ、そう。そうなのよ。目上のものに対しては、“さま”をつけましょう。まずはそこからね……」
「わかりました。エメリーンさま」
エメリーンが小さく呟いた言葉は私には聞き取れなかった。
その日からエメリーンは、私に礼儀作法のいろはを教えてくれるようになった。
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