近衛猟兵ミリアム
そして再び、フォルティス川の戦いから遡る事、数刻前――
アイ様の弟子が使った魔法が次々と反応して、敵襲を知らせる。
西にミラ様、そして北にアイ様が向かわれた。
あの御二方ならば、瞬殺できる程度の数だ。
トラキア戦役での戦いは、これを遥かに上回る激戦だったのだから。
「主力の分断…もしかすると、その可能性も考えられますね…。」
アイ様の弟子が、突拍子もない事を言い出す。
あの程度の数で私達を分断するなど、理解に苦しむ。
やはり私はこの男が嫌いだ。
何も解ってない。
そして再び魔方陣が反応して、南から敵襲が来た事を示す。
「ここは僕とザックスで迎撃に向かいます!」
「いや、私が行く。」
「しかし、それではアルテミシア王女の守りが手薄になってしまいます。」
「問題無い。30程度すぐに片付けて戻る。」
アイ様の弟子は、考え過ぎだ。
私達にとって、この程度の数の襲撃など児戯に等しい。
それに、最近初めて実戦を経験したような素人が、たった2人で30人の敵を相手に勝てる筈がない。
私とは圧倒的に場数が違うのだ。
確かに、リィンフォルト近郊で最も悪名高い盗賊団『ナイトクロウ』を、たった2人で殲滅したと報告は受けている。
そんなもの、ただ運が良かっただけだ。
生きているのが奇跡だと言える。
「わかりました、気を付けて。」
「ああ、アル様を頼んだ。」
アイ様の弟子は私に対して、少し不安を抱いているようだ。
やはり私はこの男が嫌いだ…。
私は背中から苛立ちを放つようにして、街道を南に向かった。
鬱蒼と茂る森が街道を挟むように広がり、月明かりだけが夜の闇を照らしている。
私にとって最も得意な状況だ。
私は幼い頃から生きるために、夜の森を駆け回って来たのだから…。
我が国と、その西に位置するフェニキア公国との国境沿いの小さな村で、私は生まれた。
何の変哲もない貧しい村は、両国間の小競り合いによって焼かれてしまった。
どこにでもある、ありふれた話だ。
今となっては、村の風景も両親の顔すらも覚えてはいない。
奇跡的に逃げ延びた私と兄は、森の中で狩をしながら細々と暮らしていた。
狩で生計を立てていた村に生まれた私達兄妹は、幼い頃から当然のように狩の技術を身に付けていた。
そうでなければ、幼い私達は野垂れ死んでいただろう。
その頃は月に1度、兄が獣の毛皮を近隣の街に売りに出かけていた。
兄は毛皮を売った金で、パンや服を買ってくれていた。
いつだったか、兄は毛皮を売りに行ったきり、帰って来る事は無かった。
これも、どこにでもある、ありふれた話だ。
たった独り残された私は、ただ生きるために狩を繰り返していた。
生きるために人である事を忘れた私は、人の形をした獣と化していた。
そんなある日、獲物を探して森を徘徊していると、人間の男が2人、森の向こうからやって来た。
この距離ならば簡単に殺す事が出来る。
しかし、食えない生き物は殺さない。
下手に手を出すと危険に晒される事もあるのだ。
私はいつでも矢を放てるように警戒をしながらも、気配を殺して彼らが去るのを待つ…。
「おっと、こいつは…」
「ん?どうした?」
「女の匂いだ…」
「女?」
「若い女の匂いが1つ…」
「へへへ、使えねぇと思ってたが、なかなかどうして便利な能力だなぁ。久々にムスコを慰めてやれそうだ。」
「ヒヒヒ、そうだな。俺が見つけたんだ、俺が先だぞ。」
「ったく、しょうがねぇな。俺が楽しむ前に殺すなよ。」
男達は不気味な笑みで顔を引きつらせ、辺りを見回している。
このままここに留まり、見つかってしまえば、何をされるか分からない。
私は、足音を消してゆっくりと後ずさる…。
突如、背中に何かがぶつかる。
ここに木は無かった筈だ。
そう思った瞬間、私は後ろから羽交い絞めにされ、身動きが出来なくなった。
人間の男は2人ではなく、もう1人いたのだ。
私はその気配に気付く事が出来なかった。
「お前らが捜してるのはコレか?」
「おーう、良いタイミングで戻って来たな。捜す手間が省けたぜ。」
「ほほっ、こいつは上玉だ!」
「まだ青臭いガキだが、数年後には…ヒヒヒ」
男達は涎を垂らし、目を血走らせている。
もうダメだ…私は諦めて、おぞましい未来を想像する…。
その時、微かだがもう一つの気配に気付く。
きっと、この男達の仲間が他にもいるのだろう。
そう思った瞬間、一陣の風が男達の間を吹き抜ける。
いや、風ではない…人間…、今までこんな素早い動きを見た事が無い。
男達は夥しい血飛沫を撒き散らしながら、私を巻き込んで崩れ落ちた。
「大丈夫か?」
男達の死体から私を引っ張り出した声が私に語り掛ける。
女…だが、油断は出来ない。
私を助けたとも限らない。
人間は何をするか分からないから…。
私は無言で、女を睨みつけた。
「もう大丈夫だ。私はミラルダ、王国の近衛兵だ。お嬢ちゃんの名前は?」
私は警戒し、低く喉を鳴らす。
「まるで獣のようだな。心配するな、別に取って食ったりはしない。」
人間を信用してはいけない。
私から全てを奪ったのは外ならぬ人間なのだから。
大切な弓を落とした私は、彼女の手に思い切り噛みついた。
「――っ!おいおい噛みつくな。腹が減っているのか?」
私は顎の力を強め、威嚇するように喉を鳴らす。
「怖がらせてしまったようだな、悪かった。私は本当に、お嬢ちゃんに危害を加えるつもりはない。」
彼女は真っ直ぐに私を見つめる。
その瞳からは淀んだ物が感じられない。
誇り高き狼のような瞳…。
私は恐る恐る顎の力を緩め、地面に転がる3つの死体の下から、大切な弓を引き抜いた。
「お嬢ちゃんの家はどこだ?まだこのような輩が潜んでいるかもしれない、私が家まで送って行こう。」
「ここが私の家…」
「ようやく喋ってくれたな。そうか、ここで暮らしているのか。」
私は無言で頷く。
「他に家族は?」
私は首を横に振る。
「なるほどな。ではどうだろう、私と一緒に来ないか?」
彼女を完全に信用した訳ではない。
ただ、彼女からは敵意や悪意といった負の感情が感じられない。
まるで本当に私の身を案じているような感じがした。
「私は、さる高貴な御方に仕えていてな、彼女に事情を話せば侍女という形で召し抱えて下さるだろう。」
侍女とは何なのかが解らなかったが、きっと今よりマシな生活が送れるという事なのだろう。
私は躊躇いながらも強く頷き、彼女と共に生まれて初めて森を出るのだった――
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