問題編2
「こいつクッソ最悪じゃねえか!」
コマーシャルに入った所で、居間にある二つのソファの一つに要海と共に座っていた燐音が、画面の向こうの登場人物に向かって悪態をつく。
「不倫をした挙句に相手に罪を着せて配偶者を手に掛ける。クズですわね」
静波の隣に座る涼歌も、穏やかな表情のまま燐音と同様の意見を口にする。冷静な口調で言う分、どこか迫力が感じられた。
「まあまあ二人とも。これドラマなんだから」
二人をなだめる様に言い聞かせる要海。彼女が誰かを宥めるのも珍しい光景だなと静波は思う。
「でも、これだけ熱心に見てくれるなら、作った人たちも本望でしょうね」
これだけ不愉快に見える様に登場人物を造形しているのだから、それは作り手からしてみれば意図的だろう事は想像に難くない。そういう意味では、作品のメッセージがしっかりと伝わっているというわけではないだろうか。
「むう、静波はなんか冷め過ぎじゃね?」
頬を膨らませ、湿り気を含んだ視線で抗議してくる燐音。
「現実と空想の区別をつけてるだけですよ」
少女らがそんなやり取りをしている間にも、物語は休むことなく展開してゆく。
コマーシャルが明けてからは、波越の部下の刑事も登場し、実質の捜査パートに進展していった。意識を取り戻した門間の妻である真理奈を皮切りに、ロッジの宿泊客への事情聴取が行われた。結果、波越、門間、真理奈を除いた五人の宿泊客全員のアリバイははっきりしておらず、大した証言も得られなかったという結論が語られた。必然的に、門間の遺体と共に管理人室にて発見された真理奈が、最有力容疑者として目される。
「やはり警部補の見た足跡は決定的です。発見時、管理人室に鍵は掛かっていなかったと聞きましたが、これは密室みたいなものですよ」
聴取をが終わった暖炉によって暖められた客間にて、波越の相棒であるテンションの高い女刑事、中村が説明する。
「管理人室へ入るためのルートは中庭を通るしかなく、そこには雪が降り積もっていました。そして出入りした人物の足跡が一組だけ。他には付いていませんでしたよね?」
「ああ、もし少なからず凹みのような物があれば、気付かなかったはずはないだろうね」
待田相手に使っていた敬語を一切使わず、むしろぶっきらぼうな口調で中村とやり取りをする波越。
つい先ほど、何度か往復したために足跡だらけになった中庭に波越は改めて足を運んでみたのだが、足跡の周辺は勿論、足を踏み入れていない端の方まで雪はほぼ均等に積もっていた。風向きの関係か、壁際の数センチほど雪が積もっていない場所も確認できたが、足がかりに出来るほどの広さもなければ、本館側のドアからも、管理人室側のドアからも物理的に飛び移れそうな距離にはなかった。仮に飛び移れたとして、そのあとはどうしようもなくなる。
「ちなみに屋根の上にもしっかり雪が積もっていた事は、ついさっき私が二階に上って確認してまいりました。以上の事から、真理奈さん以外の人間が侵入する事は不可能でしょう。あれ? そうなると門間さんはいつ現場に?」
今更、門間の足跡がない事に気が付き、今更疑問に思う中村。波越はため息をついてから彼女に言って聞かせる。
「雪が降り始めたのは昨夜の十時ごろ。結構な大雪だったから、降り始めか最中に管理人室に入ってれば、ちょっとした足跡ならかき消えてしまうだろう、というのが待田さんと話して得た結論だ」
「なーるほど。どうやら門間さんは待田さんに管理人室への自由な出入りを許可されていたようですね。で、真理奈さんもそれを知っていた」
手帳に書き込みながら、しきりに頷いて考えを巡らせる中村。これら一連の動作は、どうにも年相応に見えないと波越はいつも思ってしまう。
「次に真理奈さんの証言ですが、昨夜一時過ぎ頃、部屋の電話に無言の連絡があったそうです。これは待田さんと密会する時の合図だったらしいですね」
波越も待田と話をして二人が不倫関係にある事を聞かされており、その合図の存在は知らされていた。
「それがインターフォンの表示から、管理人室からかけられたものだとわかったので、その足で現場に向かった所、中に入った所を背後から拘束され、薬品の匂いのするハンカチを押し当てられて気を失い、警部補に起こされるまでずっとそのままだったみたいです」
聴取と検証の内容を一通り聞き終わり、波越は今一度思考を巡らせる。
「真理奈さんはやはりウソをついているんでしょうかね?」
「お前はどう思うんだ?」
最も簡単でシンプルなパターンを口にした中村に、波越は質問で返す。
「心証的にはウソを言ってるとは思えません。けど、状況的には自信をもって弁護出来かねますね。ましてや、不倫してるのは事実なわけですし」
不倫、という言葉に顔を歪ませる中村。成人しているとはいえ、まだ人生の若輩者といっていい年齢の彼女にとっては、引っかかる要素らしかった。
「ま、不倫する奴は少ないかもしれんが、不倫したくなる奴はいくらでもいる」
特に珍しい事ではない。そんな意図を込めて波越は気のない風に答える。
「その論理は乱暴じゃないですか?」
だが、うら若き乙女は納得していないようだ。
「だったらすべての人間は初恋から動かないだろ」
「そりゃあ……、そうかもしれませんが」
我ながら大人げない会話をさせてしまったと反省し、話を終わらせる為に話題を事件の方へと修正する。
「話がズレたな。まあ、真理奈さんが犯人だとすると、すこし辻褄は合わないわな」
「へ? それってどういうことですか?」
話について来れていない中村を尻目に、波越は思考と口を動かし続ける。
「だとしても謎が残る。どうやって犯人は『足跡を付けずに現場を立ち去れたのか』っていうな」
少し火が小さくなった暖炉にカラマツの薪をくべ、波越は立ち上がる。一週間も泊まっていると、流石に手慣れて来ているのが自分でも感じられた。
「はあ、警部補ったらいつもの考え中モードになっちゃうし。ま、いいけど」
つまらなそうに中村は窓の外を見遣る。警察が到着するまでは待機するしかない現状の退屈さを紛らわすために思考を巡らせていると、また緩やかに降り始めた雪が目に付く。
「はあ、せっかく雪山の山荘なのに、スキーが出来ないってのは退屈でしたよねえ。食べ物は美味しかったですけど」
この一週間の、どちらかといえば退屈だった思い出を振り返りながら中村はぼやく。
「お前、スキーなんてやるのか?」
考え事をしていたはずの波越が、中村のその話題に何故か反応してきた。
「これでも、小学校から警察官になってしばらく、欠かしたことはなかったんですよ。もっとも、近頃はそうも言ってられなくなりましたけど」
雪の多い街で育った故に、中村はウインタースポーツには馴染んでいたのだ。
「あー、久しぶりにスノボでもやりたいなあ」
伸びをしながら雪原の爽快感を思い出す中村。口に出したら、それらへの恋しさが一層募ったような気がした。
「スキー、スノボー……」
暖炉の前に屈んでいた波越が呟いたと思った次の瞬間、彼は不意に立ち上がった。
「そうか、その手があったか!」
「け、警部補?」
突然の波越大声に驚く中村。
「でかした中村!」
中村の髪をわしゃわしゃと掻きむしった後に、客間を後にする波越。
「もう! なんなんですかー!」
訳の分からぬまま一人取り残され、不満をぶつける相手もいない中村は叫ぶしかやる事がなかった。
「うわ!」
思わず叫ぶ燐音。突然すべての明かりが消えた事に不意を突かれたのだろう。
「何? 停電?」
姿は見えないが要海の声も聞こえる。
「待っててください。今灯りを用意します」
静波は慎重な動きでソファから立ち上がり、居住スペースの入り口の方向に目を遣る。ドアのすぐ下に、長方形の青白い光が見える。それは、懐中電灯に張り付けてある蓄光のプラスチック板で、まさにこういう事態の為に備えていたものだ。静波はその明かりを頼りに慎重に歩を進める。そして目的地にたどり着き、懐中電灯を壁に設置されているホルスターから引き抜くと、その瞬間に電灯の明かりがともった。
「よかったー、灯りがきたよー」
懐中電灯を手にした静波を見て安心したのか、ほっとした様子の要海の声が聞こえた。
「要海さん、外の様子はどうですか?」
静波の言葉を受け。要海は窓に近寄り、カーテンの隙間から外を覗く。
「外も真っ暗だよ」
事実確認を済ませた要海は、再び静波の方を振り返って報告する。
「じゃあ停電ですね」
ブレーカーの可能性も頭に浮かんだ静波だったが、現状から確かめるまでもなさそうだった。
「電灯の電池も勿体ないので、これを使いましょう」
台所の棚から静波が取り出したのは、二セットの蝋燭と燭台だった。それぞれにユーティリティーライターで火を灯し、電灯の明かりを落とす。
「はあ、これで一安心だな」
怯えた表情で終始、要海に張り付いていた燐音は、ようやく要海の手を離す。
「まさかこんな時に停電になってしまうなんて」
せっかく泊まりに来てくれた友人たちにどこか申し訳ない気持ちになりながら、静波はやり場のない気持ちを募らせる。
「でも、こういうのもなかなか乙なものですわ」
「そうそう。なんだかキャンプしてるみたいでちょっと楽しいよ」
しかしそれでも、現状を盛り上げようとする涼歌と要海の言葉に静波は沈みそうになる気持ちを持ち上げてもらった心地だった。
「でもさ、さっきのドラマ、結局最後まで見れなかったよなあ」
もはやすっかり落ち着いたのか、燐音の口から先程のドラマの話題が出された。
「そうですわね。あの管理人さんはどうやって二人を殺してから足跡を残さずに脱出したのでしょうか?」
「涼歌さん、奥さんの方は殺されてません。気絶させられて罪を被せられただけです」
ざっくばらんな涼歌の回想に静波は思わず突っ込みを入れる。
「あら、そうでしたね」
相変わらず本気なのか冗談なのか、区別を付けるのが難しい涼歌の言い回しと表情に翻弄される静波。
「でも、ドラマだったら見逃し配信がありますから、明日にはネットで見られますよ。きっとその頃には停電も復旧しているでしょうし」
当然静波も続きが気になっていたが、見逃してしまったら終わりというわけでは無い事を燐音に言い聞かせる。
「んー、それまでお預けかよ……ん? そうだ!」
ふと何かを思いついたかの様な声を上げる燐音。
「どうしたんです? 燐音?」
幼馴染の発言が気になったのか、真っ先に確認の言葉を投げかける涼歌。
「へへへ、面白いこと思い付いたぜ」
得意げな顔で涼歌を見下ろした後、勢いよく立ち上がった燐音は再び口火を切る。
「みんなでドラマの真相を推理するんだ。どうせ停電中じゃなんもできないし、ちょうどいいんじゃね?」
並びのいい綺麗な歯を覗かせながら、不敵な笑みで一同に提案をする。
「あら、燐音にそんな頭脳労働が出来て?」
対して、小馬鹿にしたような口調で切り返す涼歌。
「なにおぅ!」
そんな仲のいいやり取りをする二人を尻目に、静波は要海のそばに移動し、彼女に耳打ちをする。
「要海さん」
「ん? どうしたのしーちゃん」
静波のボリュームに合わせ、要海も小さな声で聞き返す。
「ひょっとして要海さん、もうわかってます?」
「ドラマの真相のことだよね? うん、わかってるよ」
いつもの事ではあるが、やはり口に出されると彼女の推理力の凄さを実感せざるを得なかった。しかしそうなると、今現在の状況は静波の懸念する事態にあるので、彼女は要海に対して釘を刺す事にした。
「余計なお世話かもしれませんが、すぐには真相を話さないでくれますか? 二人とも、一応ゲームとして楽しもうとしてるみたいですし」
「わかってるよー、実際の事件じゃないんだから、別に解き明かさなくてもいいんだし」
静波の意見を聞き、要海は笑顔でそれに応じる。そこに来て静波は、胸を撫で下ろした。
「おー、なんだ、二人で早くも相談か?」
いつの間にか徒党を組んでいると思われたのか、燐音が静波たちの行動を指摘する。
「いえ、そういうわけでは」
まさか手心を加える相談をしていたと悟られるわけにはいかないので、何か上手い理由はないかと思案する静波だったが、燐音はそれを待たずに言葉を続ける。
「よーし、じゃあ静波はあねさんとチームな。オレと涼歌で迎え撃ってやる!」
いつの間にかチーム分けが行われてしまった。
「わたくしはどちらかというと静波さんと組みたかったですわ」
「最初の攻撃を味方に向けんなよ!」
出鼻を味方にくじかれた燐音だったが、すぐに立ち直り、改めて静波と要海に向き直り、さらに一言を付け加える。
「それと、ただやるんじゃ面白くない。負けた方は勝った方のいう事をなんでもきくって条件も追加だ!」
人差し指を突き立て、燐音は高らかに宣言する。
「りんちゃん、今言った事ほんと?」
燐音のその言葉に、要海が非常に威勢のいい反応する。慌てて彼女の瞳を見る静波。その瞳が邪な感情で揺らめいて見えるのは、蝋燭の明かりによる錯覚だと思いたかった。
「要海さん、だから……」
静波の制止も空しくこの直後に、燐音によって最後の爆弾が投げ込まれてしまう。
「もちろんっすよ。膝枕でも、メイド服でご奉仕など、なんでもいいっすよ」
勝てたらですけどね、と続くはずだったのかもしれない燐音の言葉を待たず、要海は次の一言を放ってしまう。
「レコード・アクセス完了だよ!」
要海のセリフの意味が解らずに当惑する二人をよそに、静波は溜息とともに目の前の同居人の表情を見遣る。真実を照らし出す要海の武器、『レコード・アクセス』は、今や彼女の欲望を満たす手段に成り下がっていた。
(ここまで煩悩の籠ったこのセリフ……見た事ない)
もはや静波に出来るのは、すべてを諦める事だけだった。