第一話
「力へ
初めより何となく察してはゐたのだが、
どうにも止むることが出来なかつた。
只々相済まぬ。
今の世は余りに移り変はりが早く、
何が善くて何が悪いのか、さつぱり分からぬ。
古い時代のやり方では、飯を食はせて行くことも出来ぬ。
故に、新しい世に合はせた商ひをしたまでのこと。
これは俺一人で決めたことゆゑ、
お前に罪はない。
娘たちには、済まなかつたと伝へて来る。
昭和八年八月十三日
鵜川新蔵」
始まりは約三ヶ月前のことである。
兵庫県の北部、奥代温泉にもようやく麗らかな日々が訪れていた。
そのような日和とは裏腹に、温泉宿の主人である鵜川新蔵は心穏やかではなかった。
宿の客の入りが芳しくないのである。
かつて栄華を誇った奥代温泉も、明治四十二年の城崎温泉駅の開業により、ほとんどの客足を奪われてしまった。
ようやく奥代出身の政治家先生の働きにより、山陰線がここまで延伸するという話も聞くが定かではない。
新蔵は焦っていた。
鉄道の延伸を待っていたら潰れてしまう。
何人もの同業者がここ二十年で、この地を去っていった。
だからと言って何かができる訳でもない。
やることと言えば毎日宿屋仲間の顔馴染みと、ああでもない、こうでもないと明治の古い頭を精一杯使い、古寺の境内で屯して侃侃諤諤と議論するくらいである。
そうした新蔵達の不毛な論場にも、ここ数ヶ月のことではあるが、新しい風が吹いている。
新蔵の顔馴染みの一人、木山五平の長男が東京の学校に進学したのだ。
そうすると新聞にも載っていないような、最近の流行りなどについて、手紙を通じて知れる様になった。
多くは舶来の言葉や奇に衒ったような言葉に溢れており、寝る前には忘れているような事柄ばかりであった。
しかし、ある日強く新蔵達を惹きつける話題が俎上に上がった。
「なぁ、三原山の女学生二人の心中、覚えてるか。」
五平がどこか人の悪い笑みを浮かべて切り出した。
「ああ、そんなこともあったな。」
新蔵は煙管をくゆらせながら気のない返事をした。
「ありゃ今、とんでもなく人が集まってるらしい。」
「何でまた。」
年少の田中忠次郎が身を乗り出す。
「その娘が飛び込んだ場所で、あとから真似して死ぬ奴が次々出たんだと。それで、どんな所か見物に行く連中まで押しかけてるらしい。この前、うちの倅も行ってきたそうだよ。」
「あたら若い命を。全く東京の奴らは何を考えているやら。」
新蔵は煙管の灰を静かに落とした。
それまで黙って聞いていた高井宗吉が、ふと口を開く。
「まあ、あれは若い女学生だったってのが大きいんだろうな。災い転じて福となすとは、まさにああいうことだ。」
新蔵はこう思った。
こういったことが、この場所でも起きたらありがたいのだが、と。
そんなことを口にすれば、普通の人間は顔をしかめるであろう。
そのようなことは百も承知だ。
だがこの三人とは五十年以上の付き合いである。
恐らく他の三人も同じことを思っているに違いなかった。
新蔵は自分の考えを話すことに、もはや躊躇いはなかった。
「なあ、死にたい奴ここに呼べないかな。」
(続)




