第61話
もう一度辺りを一瞥するが、王族の姿は見えない。いても発言権を最も持つ存在は、傍聴席には公爵ぐらいしかいなかった。
そうこうしているうちに、裁判官たちが席についた。
しかし貴族たちのざわめきは収まることがない。
そこで裁判官が木槌を手にし、それを二回、三回と打ち付ける。
「静粛に、静粛に! 本裁判については僭越ながら、このクラムラクモリック・スルバルムが裁判官を務めさせて頂きます。なお、伯爵である私が私よりも位の高い爵位をお持ちであるお方を裁くことのご許可を、王族の方々から一時的に権限をお預かりして実施させて頂きます」
そう言ったのは、気難しそうな表情の男だった。
……あれが、ハイニクト第二十三王子が言っていた『公平な判断が出来るもの』ですかしら?
そう思いながら、私はもう一度男の方へ視線を向ける。
禿頭で黒物の丸メガネをかけた裁判官、クラムラクモリック伯爵の言葉を聞き、観客たちが盛り上がった。
「おお、この裁判はクラムラクモリック伯爵が取り仕切られるのか」
「堅実で貞淑なクラムラクモリック伯爵であれば、平等な判決が下されそうですな」
「もっとも、ユーリックブレヒト公爵によほど有利な証言がなければ、ラルヴァ男爵の勝利は揺るがないでしょうが」
下卑た笑いが、部屋中に広がる。
それをまたクラムラクモリック伯爵が木槌を叩き、厳かに口を開く。
「私は、静粛に、と申し上げたはずです。今後裁判の進行を妨げるような発言、及び不必要な私語を述べたものについては、即刻本法廷からの退席を求めますので、そのつもりで」
クラムラクモリック伯爵の言葉に、ざわついていた人々の喋り声が、まるで水を打ったように一瞬で静まり返る。
確かに、公平な判断は下してくれそうな人だが――
……なんだか、融通が効かなささそうな方ですわね。
しかし、何かの判断を下すというのだから、それぐらいの方が案外あっているのかもしれない。
私がそう考えている間に、クラムラクモリック伯爵はまた木槌を打つ。
「それでは本日の告発人と被告人に入場していただきましょう」
その言葉に導かれるように、部屋の両脇の扉が勢いよく開かれる。
私から見て左側からは、兵士に守られるように、ラルヴァ・リエスカ・アッタクヤ男爵がやって来た。
男爵は片眼鏡を光らせながら、優雅に微笑みながら傍聴席に手を振っている。
もう勝った気になっているのか、ずいぶんと余裕そうな態度だった。
反対に私から見て右側からは、兵士たちに脇を囲まれるように灼熱のような赤い瞳の男が歩いてくる。
言わずもがな、ユーリックブレヒトだった。
彼は下手人として拘束されていることから、手を縄で縛られている。
しかし頬もこけておらず、顔色も悪いようには見えない。
まずその事に、心の底から安堵した。
ハイニクト第二十三王子からはユーリックブレヒトの環境改善について言質を取っていたので問題ないとは思っていたものの、やはり実際に見てみなければ不安は拭えない。
そう思っている私の方へ、ユーリックブレヒトが視線を向けてくる。
私と目が合うと、彼はこちらを安心させるように、かすかに笑った。
それに私も、笑い返す。
……さて、ここからが本番ですわよ。
そう思いながら、私は告発人席の方を睨んだ。
私の視線を受けて、ラルヴァ男爵が挑発するように笑みを浮かべる。
「いやはや、まさかこの様な場でお会いすることになるとは思いもしませんでしたよ、セラ・ハーバリスト公爵夫人」
「あら、今度は敬称を間違えませんでしたのね」
「それはもちろん。吾輩はその方を言い表すにふさわしい言葉を選びますからな。ところで、一つよろしいですかな?」
「何でしょう?」
「公爵夫人。あなたは一体、どの様な魔法をお使いになられたのですか? 王族の方々が一度お認めになられた婚姻関係の破棄を覆すとは。後学のためにお教え頂けませんかな?」
「別にそう難しいことではありませんわ? 誠心誠意を込めて、王族の方々にお願いを申し上げただけですもの」
「……簡単に手の内を明かすつもりはない、と?」
「嘘は言っておりませんわよ? まぁ、信じるか信じないかは自由ですけれど」
事実、私は嘘は言っていない。
ただ、その前提条件として十八幸座の一人であるスローと知り合い、グルクルトス教の二つ十字のペンダントを受け取るという通常では考えられない状況が発生する必要があるというだけだ。
……でも、そもそもその発端となる切っ掛けを作ったのは、あなたですのよ? ラルヴァ男爵。
彼がアシュを自分のものとし、誘拐しようと思わなければ、そもそもオスコは私たちにスローが出向いているサーカス団の話をしなかったはずなのだ。
そう言う意味でいうと、私がこの場にアシュの母として、そしてユーリックブレヒトの妻として参加出来るのはラルヴァ男爵のおかげと言うことも出来る。
しかし――
……そもそも、あなたが色々と余計なことを考えなければ、この様な面倒な事態にまで発展しておりませんでしたのに。
そう思う私を見て、ラルヴァ男爵は一瞬頬を引きつらせた。
彼からしてみれば、私という存在は、この裁判の唯一の不確定要素なのだ。
ラルヴァ男爵の考えでは、ここで一方的にユーリックブレヒトを断罪しようとしていたのだろう。
母親としてアシュと強い関係性が結ばれている私は、離婚してこの裁判には不在。
傍聴型の裁判にしたことで他の貴族たちは全員男爵の味方だし、ユーリックブレヒトの発言はほぼほぼ無視される。
彼を糾弾しきり、周りの貴族たちからの支持も取り付けて、アシュを我がものとした完全勝利。
それが、ラルヴァ男爵のシナリオだった。
……でも、そうはなりませんでしたわよ。
私は、一度はこの国を離れようと考えていた。
しかし、スローに背中を押され、戻ってきた。
そしてそのスローのおかげで、ユーリックブレヒトもありえないと考えていた彼との夫婦の契りを、結び直すことに成功したのだ。
……その結果、私はユーリックブレヒトと一緒にこの場で戦えますの。
私がそう思うのとあわせるように、ユーリックブレヒトが被告人席に、弁護人席である私の隣に座る。
それを見たラルヴァ男爵は、落ち着きを取り戻したように口角を吊り上げた。
「ですが、その様な奇跡は二度も三度も続きますまい。大変申し訳ありませんが、その弁護人席に座られても、結果は変えることは出来ませんぞ? セラ公爵夫人」
そう言ったラルヴァ男爵を見て、私は内心頷いた。
……それだけでも、ラルヴァ男爵には私が不気味に映るのですわね。
この裁判の不確定要素。
男爵が言っていたが、王族の決定を覆した私は周りからは奇跡を起こしたような存在に見られている。
だからこそ、ラルヴァ男爵は心の中でこうした疑念を拭えないのだろう。
自分の完璧なプラン通りの裁判が、私という存在によって狂わされてしまうのではないか? と。
……でも、そもそもラルヴァ男爵は勘違いをしておりますわ。
だから私はそれを伝えるため、口を開く。
「ええ、ラルヴァ男爵の言うとおりですわね。この裁判の結果、ユーリックブレヒトの無罪が確定し、アシュが私の元へと戻ってくるのですから」
「……奇跡は二度も起きないと申し上げましたが?」
「あら? そもそも、奇跡だなんて今まで私の周りで一度たりとも起こっておりませんわよ? 当たり前の事が、当たり前の様に起こっただけですわ」
そう言うと、ラルヴァ男爵は歯ぎしりして告発人席へ苛立たし気に座る。
それを見て、私は内心ほくそ笑んでいた。
そんな私たちが全員席に座るのを待っていたかのように、クラムラクモリック伯爵が木槌を叩く。
「それではこれより告発人、ラルヴァ・リエスカ・アッタクヤ男爵によるユーリックブレヒト・ハーバリスト公爵への告発内容について述べてもらおうと思います」
その言葉が、私たちの戦いの合図だった。




