第51話
「何を、言ってますの?」
震える唇でそう言った私に、ユーリックブレヒトは淡々とした表情で口を開く。
「セラ嬢がまだ公爵夫人として認められているのであれば、俺の財産をお前は使えるはずだ。そして金を詰めば、動く人間がいる。それがたとえどのようなものであったとしても、な」
「つまり、こういう事ですの?」
ユーリックブレヒトの考えを悟り、私は彼がこちらに求めているであろう内容を口にする。
「公爵夫人としての権限が使える今だからこそ、その威光と財力を使って人を集め、アシュを救い出せと、そう言っておりますの?」
その言葉にユーリックブレヒトは、まるで高いところから低い所へ水が流れ落ちるのが道理だとでも言わんばかりに、それが当たり前だと頷いた。
「ラルヴァ男爵は今、俺をこの牢屋に閉じ込め、王族たちからの許可を得てアシュバルムを自分の屋敷に連れ込めたと安心しているはず。たとえ奴といえども、まさかそこまでの強硬手段に出るとは思うまい」
「だから、今が絶好のチャンスだ、というわけですの? 今ならラルヴァ男爵の屋敷を襲撃し、アシュを連れ出すのは容易だ、と」
「更に言えば、王族ですらそこまでの強硬手段を取ってくるとは思っていない。今なら、今だからこそ、クロッペンフーデ大王国の国境を越えるのは簡単なはず。アシュバルムを、国外に逃がせるはずだ」
「何を、言ってますの?」
先ほどと同じセリフを、私は怒気をにじませながら口にする。
「逃げたとして、その後どうしますの? すぐにクロッペンフーデ大王国の王族たちから追手が差し向けられるでしょうに」
「その囮すら、金で用意できるだろう」
「それで、どこに逃げろと言うのです? 私の出身であるミルレンノーラ共和国には、優先的に追手が差し向けられますわ」
そう言うと、そこで初めてユーリックブレヒトの表情に、申し訳ないというような表情が混じる。
だが、私とアシュを国外に逃がすという彼の考えは変わらないようだ。
「そういう意味で言えば、セラ嬢とアシュバルムには見知らぬ土地で生活してもらわなくてはならない不便を強いる。しかし、それも持ち出した金でいくらか緩和出来るだろう」
「……お待ち下さいな。金金と先程からおっしゃっておりますが、一体どれだけの金額を使う事を想定されておりますの?」
訝しみながら、私は更に言葉を重ねる。
「たとえ公爵家と言えども、それだけのお金を注ぎ込んだとして、家が持つとは思えませんわ。間違いなく破産します。その計画は無謀すぎますし、第一その場合、このクロッペンフーデ大王国に残されるユーリックブレヒトはどうなりますの?」
私の言葉を聞いたユーリックブレヒトは、開き直るように口を開く。
「金の心配はする必要はない。なぜなら俺は裁判の判決の結果、十中八九死刑になるだろうからな」
「な、何を言っているんですか、旦那様!」
「そーですよ! 死刑だなんて、縁起でもないっ!」
ショルミーズとソルヒの言葉に、ユーリックブレヒトは自嘲気味に笑う。
「何を言っているも何も、俺にはもはや逆転の芽は残されてはいない。アシュバルムと俺の血がつながっていない事は事実だし、王族もそれを認めたからこそアシュバルムをラルヴァ男爵の屋敷へ向かうことを許可した」
観念したように、ユーリックブレヒトが口を開く。
「そして、俺が王族の血を独占するためアシュバルムを自分のものにしていた、という疑惑についてだが、それを否定するのは難しい」
「どうしてですか?」
「ボッチャンが旦那様を嫌ってなかったってーことは、ボッチャンの証言からすぐに明らかになるってもんじゃねーんですか?」
ショルミーズとソルヒの言葉を受けて、ユーリックブレヒトは首を振る。
「それこそ、ラルヴァ男爵が嬉々としてこう言ってくるだろう。生まれてから六年間、彼を息子として洗脳する時間は十分にあった、とな」
「洗脳だなんて、そんな!」
「それは、これからラルヴァ男爵がボッチャンにやろーとしてる事じゃねーですか!」
二人の使用人たちの怒りが、硬い壁に反響する。
しかし響く声は、すぐに消え去ってしまった。
それは真っ当な意見であったとしてもこの冷たい牢屋に一度捕らえられてしまえば、決してその訴えはどこにも届かないようにすら感じられた。
だから私は、口を開く。
「ふざけないでくださいな!」
私の口から飛び出したのは言葉ではなく、純然たる怒りの塊だった。
その怒りはこの国に対する理不尽であったり、そもそもアシュを我が物としようとしたラルヴァ男爵についてのものであったりと、色んなものが怒りという感情に直結している。
しかし、私が一番怒っているのは、ユーリックブレヒトに対してだ。
「何を、勝手に諦めようとしているのですか? あなたは、あの子の父親なのですよ? アシュの父親は、ユーリックブレヒト、あなたでしょう?」
「だからこそ、あの子の事を思えばこその決断だ。アシュバルムにとって、最悪のケースは、このままあの子がラルヴァ男爵に囚われ続けることだからな」
そう言ったユーリックブレヒトの赤い瞳には、強い意志の光が込められていた。
その燃えるような眼で私を見つめながら、彼は口を開く。
「セラ嬢。お前だって、気づいているだろう? アシュバルムがラルヴァ男爵の手中にある限り、奴は王族の血を自らの血族に加えるため、強引にあの男の家系の娘と契を結ばされる。そしてその相手は、恐らく一人だけではない」
ユーリックブレヒトの言葉に、私は激しい嫌悪感に襲われる。
彼が何を言わんとしているのか私が気づいていると、ユーリックブレヒトも気づいていた。
しかし、本当にラルヴァ男爵の元にアシュが囚われ続けた場合の最悪を改めて私に知らしめるため、ユーリックブレヒトはあえて言葉を紡ぎ続ける。
「はっきり言ってしまえば、ラルヴァ男爵がアシュバルムに求めているのは、あの子の体に流れる王族の血だけだ。だからこそ奴はアシュバルムを手に入れれば、丁寧に扱い、そして丁重に自分の屋敷という牢獄に閉じ込めるだろう。大切な大切な、種馬としてな」
ユーリックブレヒトの言葉が聞くに絶えず、私は思わず彼から視線をそらす。
だが、ユーリックブレヒトの事実を淡々と紡ぐ声は、無造作に私の耳に入り込んでくる。
「そしてラルヴァ男爵の血筋と王族の血筋を混ぜ合わ等せるため、奴の血縁関係にあたる女性全員に種をつける事を求めるはずだ。むしろ、そのためにアシュバルムは肉体的には必ず健康にさせられる」
「……もう、辞めてください」
限界だった。
ユーリックブレヒトの言葉の通りの光景が、脳裏に浮かんでしまったからだ。
その吐き気を催すほどの悪夢をもう見ていたくなくって、思わず私はそう言っていた。
しかし私の言葉を無視するかのように、ユーリックブレヒトは更に口を開き続ける。
「だが、そうなった場合もはや精神的に正常な状態ではいられないだろう。それこそ、薬漬けにしてあの子の実の父親のような状態にした方が、ラルヴァ男爵にとっては操りやすい――」
「辞めてくださいと言っているではありませんの!」
「聞け、セラ!」
ユーリックブレヒトの言葉を遮る私に、彼が更に言葉をぶつけてくる。
ユーリックブレヒトは真剣な眼差しで、私を見つめていた。
「これは、俺が避けたい、最悪の未来の話なんだ」




