7話
午前9時頃。
席を立った僕は東屋さんのグラスにとくとくと酌をしていた。
「殺人事件があったというのですか」
「ああ、今でも忘れられん。連日連夜、震えて眠ったわ」
「詳しくお聞きしたいですね。ああ、勿論。無粋な真似は一切しません」
「と、いうと」
「世間に出ていない事件でしょう?ということは身内で隠蔽したはずだ。死体の処理や家の清掃とかもね。その全てを詮索しないと約束します」
言い終えてから、しまったと思った。熱が籠もり過ぎた言葉だった。
東屋は鬱陶しそうな顔を隠すことなく、
「あんまり喋りたくないねん。俺も結構人見知りでな。死んだ連中のことなんて何も知らんし」
手に持っていた空のビール缶をゴミ箱に投げ捨てると、僕に背を向けて二階の方を向いた。
酔狂が終わってしまったのだと僕は思った。
「ああ……勿論、喋りにくいのなら全然……」
恐縮し切った僕はこんな言葉しか言えなかった。
ぎろっと東屋が細い目で睨みつけてくる。
「こんな話してたらキモが冷えてきたわ。よっし……仕事に戻るわ。君もはよ帰って」
手をしっしと追い返すように振ってくる。
どうやら、さっきまで親愛なる隣人だった僕は排除すべき異物へと変わってしまったようだ。
「東屋さんは世間で恨みを買っていましたよね」
東屋浩二。
世間に顔を売らないことで有名な知る人ぞ知る建築デザイナー。大手ゼネコンに勤務し、当時から華々しい作品を残すも、ある日独立。表に顔を出さないまま設計及び作図をこなすゴーストライター的建築デザイナーとして密かに活動を開始する……というのが世間の風評だった。
彼の存在が明るみに出たのはT大出の某有名建築デザイナーの不祥事が原因だった。コンクリートを多用した独り善がりの美意識満点の施工を行った結果、手抜き欠陥工事とされクライアントからクレームが殺到。我慢しきれなかった某有名建築デザイナーは東屋の名前を出してしまった。すべての設計と作図は彼の手によるものだと。そこで初めて東屋浩二は脚光を浴びることとなったのだ。
最も、東屋は最後まで会見はおろか顔すら衆民には見せなかった。当時は新聞記者やら探偵やらが血眼になって東屋浩二を探していたに違いない。だが、雲隠れを続けて、最後までやり通したのだ。
裁判にも代理人が出席し、最後まで東屋は顔を見せなかった、
テレビの前で被害者は怒りと呪いの言葉を最後までぶつけていたのを覚えている。
「和解金もなしにただ隠れているだけだったわけですから、被害を受けた方々はやるせないでしょうね。忘れようにも、家はずっと残っていてそこで暮らさないといけないわけだ。嫌が応にも寝て起きるたびに怒りを再燃させる」
「……僕は違うと思うなぁ」
東屋は冷めた目で振り返ると視線を突き刺してきた。
「今ここに住んどる連中はな。自分でいうと口幅ったいとこあるが、一角の人間や。能力のある人間が世を儚んだかなんだがでこんな山奥に好き好んで住んどるだけ。でも前回殺された人らはな。云うたら悪いがボンクラばかりや。社会でまともに生きる力がなくて隅っこで暮らしたくて逃げてきた連中ばかりや」
「死んで当然の連中だった……と?貴方は違うから殺されない、ということですか」
東屋は鼻で笑って、俯くと独り言のように云った。
「そうとしか考えられん。昔、この近くの小さい村の人んたが皆殺しにされる事件があったやろ。あれと同じや。世間様の役に立たん人間を誰かが処分したんよ」
「随分手厳しいですね。死者に対して」
「元々言葉を選べん人間でな……さぁとっとと帰ってくれや。ここ人ん家やで」
ふんと咳払いをして東屋は階段を登り、仕事場へと帰っていった。
残された僕も踵を返して扉に向かう。
するとロフトの上から声がかかってきた。
「君、歳はいくつ?」
「今年で30です」
「はぁ……やっぱそれくらいか。呆れた野暮天やなぁ」
「なんです?」
「いんや、君みたいな野暮天が一番要らんと思ってな。精々ここに住んで見るんやな。そのうち誰かが引導を渡してくれるかもしれんで」
何も云わずに立ち尽くしているとそれきり声は聞こえてこなくなったので、僕は扉に手をかけて、東屋の家から出た。




