【第24話:胸の奥のノイズ】
暁くんが深見先生の研究室で暮らすようになってから、数週間が経った。
脳内の情報流入を抑える実験は順調で、
彼は少しずつ、現実の世界に馴染み始めていた。
「へえ、暁くんって、そんなことも知らなかったんだ」
「……ああ。人間にとっては常識のようだが、
俺にはまだ、学習データが足りない」
研究室のソファー。
私の職場の後輩である真琴ちゃんが、
楽しそうに暁くんと話していた。
真琴ちゃんは、あの嵐の夜に「変なメールが届く」と怯えていた子だ。
深見先生が「あれは暁の無意識の電波干渉だった」と突き止め、
暁くんが真摯に謝罪して以来、真琴ちゃんはすっかり彼と打ち解けて、
たまにこうして様子を見にやってくる。
通りがかった女子学生たちも、
「あの綺麗な人、深見先生の新しい助手?」なんて噂しながら、
暁くんに恥ずかしそうに話しかけたりしている。
暁くんは誰に対しても、相変わらず淡々と、
けれど覚えたての丁寧な言葉で真っ直ぐに応対していた。
そんな光景を、私は一歩離れたところからじっと見つめていた。
(……なんだろう、これ)
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられるように痛い。
ざわざわとした、不快なノイズのような感情が、
じわじわと心の中心を占領していく。
交通ルールを教えたり、コンビニでの買い物を手伝ったり、
おにぎりの味を教えたり。
彼が不便だから、放っておけないから、
私が一緒にいてあげなきゃいけない。そう思っていた。
けれど、私がいなくても、彼はこうして現実の人たちと関わり、
楽しそうに(無表情だけど)会話をしている。
真琴ちゃんと笑い合う暁くんの横顔を見ていたら、
どうしようもなく視界が曇りそうになって、
私はたまらずその場から逃げ出すように、
研究室の外へ飛び出してしまった。
「あれ、私……どうしてこんなに嫌な気持ちになってるの?」
大学の中庭、ベンチに腰掛けて、私は自分の胸に手を当てた。
蓮さんの店にいた時、
暁くんが他の男の人と話す私に激しい独占欲を向けたことがあった。
あの時の彼の気持ちが、今なら、ほんの少しだけ分かってしまう気がした。
誰にでも優しくしてほしくない。
私だけの彼でいてほしいなんて――
そんなの、ただのゲームのキャラクターに対して抱く感情じゃない。
「私、暁くんのこと……」
認めてしまったら、もう引き返せない。
頭の中の理性が「彼は画面の向こうから来た存在だ」とブレーキをかけようとする。
けれど、私の心はもう、あの不格好な心臓の音を響かせ、
不器用に生きようとする一人の男の子の姿に、完全に囚われていた。
初めて、恐怖でも義務感でもない、
本当の『恋の自覚』のノイズが、
私の胸の中で激しく鳴り響いていた。




