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第30話 まだ届く距離

「わん」


クロエ?


遥斗は思わず足を止めた。


声のした方へ目を向ける。


校庭のフェンスの向こう。


見慣れた黒い毛並みが揺れていた。


「何やってるんだよ」


昼休みが終わる直前だというのに、クロエは楽しそうに尻尾を振っている。


遥斗が近づく。


するとクロエは、


「わふっ」


小さく鳴いて駆け出した。


「おい、クロエ」


「待ってよ」


追いかける。


けれど捕まらない。


あと少し。


そう思うたびに距離が開く。


まるで、僕の心に寄りそっているようだった。


「本当に待って、クロエ」


「はぁ、はぁ……」


気が付くと。


「何だよ、校舎の裏じゃないか」


冬の風が頬をかすめた。


クロエの姿がない。


「わん」


遥斗が辺りを見回した、その時だった。


「クロエ!」


別の声が聞こえた。


校舎の陰から人の影が見えた。


遥斗の視線が固まった。


ジェシカだった。


少し息を切らしている。


長い髪が風に揺れた。


「あ……」


思わず声が漏れる。


ジェシカも一瞬だけ目を丸くした。


「ハル……」


「ハルも探してたの?」


「いや、その……」


「ふふっ」


ジェシカは小さく笑った。


その笑顔を見て、


「あのさ……」


「なに?」


「いや……最近さ」


「変なの?」


最近、


何を話せばいいのか分からなくなることが増えた。


前は違った。


何でも話せた。


くだらないことでも。


笑い合えた。


なのに。


今は少しだけ距離を感じる。


理由は分からない。


ジェシカが変わったわけじゃない。


自分が変わったわけでもない。


ただ、


何かが少しずつ変わっている気がした。


クロエはそんな二人を見上げていた。


そして、


「わん!」


突然走り出した。


「あっ!」


ジェシカが声を上げる。


「ハル、置いていくよ」


「早く来てよ」


「あ~」


遥斗は頬が少しほころんだ。


クロエは校舎裏の小さな丘へ駆け上がった。


二人も後を追う。


丘の上には冬の空が広がっていた。


高く。


どこまでも青い。


風が吹く。


クロエは芝生の上へ寝転がった。


お腹を空に向けて、

満足そうだった。


「変な子」


ジェシカが笑う。


遥斗もつられて笑った。


その瞬間だった。


二人の笑い声が重なった。


ほんの一瞬。


だけど確かに。


昔と同じだった。


ジェシカは空を見上げた。


「今日の雲、面白いね」


遥斗は少し驚く。


「え?」


「ほら」


ジェシカが指をさす。


白い雲がゆっくり流れている。


遥斗は目を細めた。


(またサメだ)


「あれっ、サメかな」


ジェシカが吹き出した。


「何それ」


「ハルらしい」


二人はまた笑った。


風が吹く。


クロエが急に吠えた。


「わん、わん」


「教室に戻らないと……」


ジェシカが立ち上がった。


「戻る?」


「うん」


遥斗も立ち上がる。


クロエは先に歩き出した。


まるで役目を終えたみたいに。


校舎へ向かう途中。


ジェシカがふと振り返る。


「ハル」


「ん?」


「最近、少し元気ない気がしてた」


遥斗は立ち止まる。


ジェシカは続けた。


「でも今日は少し安心した」


そう言って笑った。


遥斗も小さく笑う。


「そうかな」


「うん」


それ以上は何も言わなかった。


けれど。


言葉にしなくても伝わることがある。


少なくとも今日だけは。


二人の距離は、


まだ離れきっていなかった。


クロエは少し前を歩きながら、


どこか満足そうに尻尾を揺らしていた。


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