第07話:三者三様の初手(3) 老獪なる古狐の誘い
当選の熱狂が冷めやらぬ、数日後の夜。
東京、紀尾井町の老舗料亭。その、最も奥まった一室に、テルはいた。
彼の向かいに座っているのは、この国の権力の頂点に立つ男。
内閣総理大臣、藤堂善信。
与党最大派閥「藤堂派」を率いる、還暦を過ぎ、政界の頂点に君臨して久しい老獪な政治家。その眼光は、数多の政争を生き抜いてきた古狐のように鋭く、しかし、その奥には、深い憂いの色が沈んでいた。
「……見事な選挙戦だったな、大和君」
藤堂は、杯に注がれた最高級の日本酒を、ゆっくりと口に運びながら言った。その声は、若き勝利者を称えるというより、まるで恐ろしい獣を観察するような、静かな響きを持っていた。
「君は、我が党の、いや、この国の政治が、長年手をこまねいてきた古狸を、たった一人で仕留めてみせた。その手腕、この藤堂、素直に敬意を表する」
テルは、深々と頭を下げた。
「過分なお言葉、痛み入ります。ですが、それも全て、国民の皆様が、古い政治に終止符を打ちたいと、心から願った結果に過ぎません」
「ほう。国民、か」
藤堂は、面白そうに、口の端を上げた。
「君の戦い方は、国民に媚びるだけのものではなかったはずだ。敵の兵站を断ち、組織を内側から切り崩し、そして、最も効果的な瞬間に、最も効果的な刃を突き立てる。それは、まるで戦場の駆け引きを見ているようだった。君は、一体、何者だ?」
その問いに、テルは、初めて顔を上げ、藤堂の目を、まっすぐに見据えた。
「私は、ただの、新人議員に過ぎません。しかし、私には、この国を、根本から作り変えたいという、揺ぎない意志があります」
「作り変える、だと?」
「はい。先生が、そのお心の奥底で、本当は成し遂げたいと願いながらも、様々な『しがらみ』によって、叶わずにいる、その悲願。私ならば、成し遂げることができます」
藤堂の目の色が、変わった。
この若者は、自分の政治信条や政策を理解しているのではない。自分の、誰にも明かしたことのない、心の奥底にある「渇き」を、見抜いている。
対アトランティス従属という、戦後日本の構造的矛盾に対する、深い憂慮。そして、それを正せぬまま、自らの政治生命の残り時間が少なくなっていることへの、静かなる悔恨。
「……面白い」
藤堂は、声を上げて笑った。
「君は、私を脅しているのかね? それとも、誘っているのか?」
「その両方です」
テルは、臆することなく答えた。
「私は、先生にとって、最強の『槍』にもなれます。先生が手を汚すことなく、抵抗勢力を一掃し、先生の理想を実現するための、誰よりも鋭い刃に。ですが同時に、私が敵に回れば、私は、先生の足元をすくう、最も厄介な存在にもなるでしょう」
藤堂は、しばし、黙り込んだ。そして、ゆっくりと、新しい杯に酒を注ぐと、テルの前に、それを差し出した。
「……我が党に、そして、我が派閥に来い、大和君」
それは、命令ではなく、対等な相手に対する、勧誘の言葉だった。
「君のその、常識外れの力を、この国の未来のために使え。そのためならば、この藤堂、いかなる支援も惜しまん。君を、私の『懐刀』として、迎え入れよう」
テルは、その杯を、両手で、恭しく受け取った。
「――謹んで、お受けいたします」
その日、無所属の新人議員・大和テルは、与党から「追加公認」され、藤堂派に加入することが、正式に決定した。
それは、一人の若者が、巨大な権力に取り込まれた瞬間のように見えた。
だが、真実は、逆だった。
老獪なる古狐は、最も危険な若き虎を、自らの檻に入れたのだ。自らの野心のために、その牙を使おうとして。
だが、その虎が、いつの日か、檻そのものを内側から食い破り、自らが新たな王となることを、この時の彼は、まだ知る由もなかった。
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