第07話:三者三様の初手(2) 静かなる殲滅戦
テレビ局のスタジオと化した「桶狭間記念国際会議場」のホールは、生放送特有の、張り詰めた緊張感に包まれていた。
壇上には、二人の男が対峙している。
向かって右には、城山健吾。その巨体と、長年の権力者だけが持つ威圧感は、スタジオの空気を支配しているかのようだ。
対する左には、ヤマト・テル。黒のスーツに身を包んだその姿は、あまりにも若く、頼りなく見えた。
討論会の序盤、テーマは「財政規律の重要性」。
城山の独壇場だった。彼は、自らの土俵で、水を得た魚のように、財政赤字の危険性、未来世代への責任を、滔々と語った。
対するテルは、まるで借りてきた猫のようだった。
「お、仰る通りです。しかし、世代間の公平という観点も…」
「未来への投資と、どうバランスを取るべきか…」
その反論は、あまりにも抽象的で、歯切れが悪かった。城山は、鼻で笑いながら、その全てを赤子の手をひねるように論破していく。
スタジオの誰もが、そしてテレビの前の誰もが、この勝負はすでに見えた、と思った。城山陣営のスタッフは、安堵の笑みを浮かべている。
討論会の開始から、三十分が過ぎた。
司会者が、台本通りに、テーマを切り替えた。
「さて、それでは次のテーマに移ります。震災復興と、今後の防災対策について、お二人のお考えをお聞かせください」
その瞬間。
ヤマト・テルの、雰囲気が、一変した。
それまでの、頼りなげな青年の仮面が、音を立てて剥がれ落ちた。
彼の瞳に宿ったのは、獲物の喉笛に喰らいつく、寸前の狼のような、冷徹で、飢えた光だった。
「城山先生」
テルの声は、先ほどまでとは打って変わって、低く、静かだった。だが、その静けさは、スタジオの隅々にまで響き渡るような、異様な圧力を帯びていた。
「先生の、その崇高な理念、よく理解できました。未来の子供たちのために、今の痛みに耐えよ、と」
テルは、ゆっくりと立ち上がった。そして、カメラの向こうにいる、全ての国民に語りかけるように、話し始めた。その声は、怒りではなく、深い、深い悲しみに満ちていた。
「十七年前。私は、この選挙区で、被災しました。当時、私はまだ九歳の子供でした」
スタジオの空気が、変わった。誰もが、彼の言葉に、引き込まれていく。
「私は、目の前で、たくさんの人が死ぬのを見ました。いつも私にミニトマトをくれた、八百屋のおばあちゃん。彼女は、瓦礫の中から助け出されたのに、病院に運ぶための道が一本なかった、ただそれだけの理由で、私の目の前で死にました」
テルの声が、震えた。それは、演技ではなかった。魂の、記憶だった。
「私と弟を瓦礫の中から救い出してくれた、土建屋のオヤジさん。彼は、復興のためにと立ち上がったのに、国からのカネが下りない、ただそれだけの理由で、自ら命を絶ちました」
彼は、壇上の城山を、まっすぐに見据えた。その瞳は、もはや怒りを通り越し、絶対的な無の境地にあった。
「城山先生。あなたが5年前に凍結させた『南海トラフ対策・内陸バイパス建設計画』。そのことを、覚えていらっしゃいますか?」
城山の表情が、凍りついた。
「あなたが削減した150億円の予算と、その結果、失われた430名の、国民の命」
テルは、父ハジメの執念の調査によって導き出された、衝撃的なデータを、パネルにして突きつけた。
「この430名も、未来の子供たちと同じ、かけがえのない命だったはずです! 彼らには、未来はなかったのですか! 彼らの命は、帳簿の上の数字よりも、軽かったのですか!」
テルの絶叫が、スタジオに響き渡る。
狼狽し、言葉を失う城山に、テルは、第二の刃を突き立てた。冷徹な、論理の刃を。
彼は、モニターに、一枚のグラフを映し出した。それは、城山が財務大臣として緊縮財政を主導した5年間と、その後の日本の税収、そして自殺者数の推移を重ね合わせた、残酷な相関図だった。
「これが、あなたの『緊縮』がもたらした、もう一つの結果です。歳出を削減すれば税収が増えるとあなたは仰った。だが、現実はどうか! デフレ下での緊縮は経済をさらに冷え込ませ、税収はあなたの在任中に3兆円も減少しています! そして、その一方で中小企業経営者の自殺者数は、この5年間で1.5倍にまで激増した! あなたの政策は、国民の命を奪い、経済を破壊し、結果として国の借金をさらに増やしただけだ! これが、あなたの言う『未来への責任』の正体ですか!」
感情への訴えかけと、冷徹なデータの弾丸。
その二重攻撃を受け、城山は、完全に、戦闘不能に陥っていた。
「そ、それは…国家財政という、大局的な視点から見れば…」
その、震える声で絞り出した言い訳は、もはや、誰の心にも、響かなかった。
「大局ですって?」
テルは、吐き捨てるように言った。
「あなたの言う大局には、私の目の前で死んでいった、あの人たちの顔も、自殺に追い込まれた経営者たちの無念の声も、そして、冷たい数字の裏にある国民の涙も、何も見えていなかったのですね」
それは、完全な、チェックメイトだった。
その夜、SNSは、一つの話題で、燃え上がっていた。
「#現代の桶狭間」「#令和の信長、現る」
ハッシュタグと共に、討論会の動画が爆発的に拡散され、一夜にして社会現象を巻き起こした。テレビのワイドショーは、手のひらを返したように「若き信長、旧時代の巨人を討つ!」と特集を組み、テルの名は、選挙の勝敗が決する前に、すでに伝説と化していた。
開票日。
テルは、城山を小選挙区で破り、地滑り的な勝利を収めた。
だが、物語は、まだ終わらない。
城山は、その強固な党内基盤によって、比例代表で、辛くも復活当選を果たしていたのだ。
国会議事堂へと向かう新幹線の中、城山は、窓の外を流れる景色を、憎悪に満ちた目で見つめていた。
(大和テル…あの若造…!よくも、この私に、これほどの屈辱を…!)
彼の心に灯ったのは、反省の念ではない。
テルに対する、骨の髄まで染み渡るような、個人的な、そして執拗な、復讐の炎だった。
永田町という魔窟で、二人の因縁の戦いが、今まさに、始まろうとしていた。
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