第07話:三者三様の初手(1) テルの出馬
第二章の幕開け!
いよいよ三兄弟が動き出します。
令化二十五年、秋。
日本の政治を覆う、分厚く、灰色の雲に、一条の亀裂が走った。
衆議院議員総選挙。
その台風の目となったのは、与党でも野党でもない、彗星の如く現れた一人の無所属新人だった。
彼の名は、ヤマト・テル。二十五歳。
そして彼の戦場は、与党の重鎮であり、緊縮財政派の領袖である城山健吾が、二十年以上にわたって支配してきた鉄壁の牙城、名古屋市港区だった。
戦いが始まった時、誰もが、その無謀な挑戦を嘲笑した。
城山陣営は、圧倒的だった。選挙区の隅々にまで張り巡ぐらされた後援会組織、湯水のように注ぎ込まれる企業献金、そして現職大臣としてのメディア露出。
対するヤマト・テルは、組織も、カネも、知名度もない、まさに裸一貫の若者に過ぎなかった。
彼の戦い方は、異様だった。
街には、彼の顔写真が入ったポスターは一枚もなく、名前を連呼する街宣車も走らない。
あるのは、ただ
「未来への責任を、果たす。」
「世代間の公平を、実現する。」
という、抽象的な言葉だけが書かれた、小さなプラカードのみ。
だが、水面下では、旧時代の王者が気づかぬうちに、静かなる地殻変動が始まっていた。
テルはまず、城山の最大のスポンサーである地元建設会社の社長の元を「一人の若者として、教えを請いたい」と訪れた。そして、公共事業の入札データを分析した資料を手に、「城山先生の緊縮路線では、貴社の未来はない。私の積極財政こそが貴社を潤す」と、冷徹なデータで囁いた。城山への義理と自社の利益を天秤にかけた社長は、選挙戦への支援を「見送る」という苦渋の決断を下した。
次に彼は、城山の選挙運動の核である地域の有力者たちに個別に接触し、「城山先生は偉大だが、高齢だ。次の世代のパイプ役として私を使ってほしい」と、彼らの個人的な陳情に真摯に耳を傾け、「城山の後継者」であるかのように振る舞い、支持組織を内側から静かに切り崩していった。
選挙戦が中盤に差しかかる頃、城山陣営は、原因不明の資金不足と、組織の動きの鈍さに、初めて焦りの色を見せ始めていた。
その焦燥感に、テルは、巧みな罠を仕掛けた。
メディアを通じて、こう挑発したのだ。
「私は、この国の『未来への責任』のあり方について、城山大先生と徹底的に議論したい。先生の仰る『財政規律』と、私の掲げる『未来への投資』。この二つをどう両立させるかこそ、現代の政治家に問われる最も重い課題です。ぜひ、国民の前で、その答えを共に探求させていただきたい」
焦りと苛立ち、そして慢心が、老獪な政治家の判断を狂わせた。
彼は、テルの抽象的な言葉を「中身のない若者の理想論」「結局は自分と同じ陣営だが、覚悟が足りないだけだ」と完全に見くびっていた。
「よかろう!あの言葉遊びしかできん若造に、本物の政治というものを教えてやる!」
城山は、側近の諌めも聞かず、地元テレビ局主催の公開討論会への出演を、快諾してしまった。自分の得意な土俵で、生意気な新人を公開処刑できる、絶好の機会だと信じて疑わずに。
その運命の舞台に選ばれたのが、名古屋市緑区に新設された文化施設、「桶狭間記念国際会議場」であった。
そして、運命の夜が、訪れた。
日本の政治史に、永く刻まれることになる、一方的な殲滅戦の火蓋が、切られようとしていた。
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