第05話 研鑽の十三年(4) 口だけ番長
テルPVです。
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「いいか、サク。理想を語るだけじゃ、何も変わらない。この世界は、もっと泥臭いルールで動いている」
銀杏並木の、まだ若葉が芽吹いたばかりの枝を見上げながら、テルが言った。
「テルくんが生徒会長選挙で大見得切って、結局何もできずに『口だけ番長』って呼ばれてた頃が、昨日のことのようだぜ」
カイが茶化す。
「うるさいな。あれがあったから、今の俺がいるんだ」
テルは苦笑しながら、あの日の記憶の扉を開いた。
――中学二年生の、あの体育館。壇上で、自分は熱に浮かされたように叫んでいた。
「皆さん! この学校は、退屈だと思いませんか!?」
ざわめきが、やがて熱狂的な拍手と歓声に変わっていく、あの全能感。校則の自由化、修学旅行先の生徒投票、文化祭予算の倍増。自分が口にする言葉の一つ一つが、生徒たちの心を掴み、世界を変える力を持っていると、本気で信じていた。
だが、その後に待っていたのは、冷たく、分厚い、現実の壁だった。
校長室。教頭の、困り果てたような、それでいて、どこか侮蔑の色を浮かべた顔。
「ヤマト君、気持ちは分かるが、前例がないんだ。第一、そんなことをすれば、風紀が乱れるだけだ」
PTA会議室。母親たちの、世間話の延長のような、しかし、決して覆ることのない、同調圧力。
「修学旅行の行き先? まあ、今のままで、特に問題はないんじゃないかしらねえ」
事務室。予算という、絶対的な権力の前での、完全な無力。
「文化祭の予算倍増? 学校の予算は、前年度の時点で全て決まっている。不可能だよ」
誰も、悪意を持っているわけではない。彼らは、決められたルールと前例の中で、真面目に仕事をしているだけなのだ。だが、その真面目さが、巨大な「変化しない」という壁を構築している。父が語った「構造」という怪物の、冷たい肌触りを、彼は初めて実感した。
期待は、失望に変わった。
「口だけ番長」
「ホラ吹き」。
守るべきだと信じていた生徒たちから、そんな不名誉なあだ名で呼ばれ、孤立したあの放課後。図書室の、埃っぽい匂いがする片隅で、彼は生まれて初めて『君主論』を手に取ったのだ。
『――君主たるものは、冷酷であることと慈悲深いことの、また愛されることと恐れられることの、いずれがより良きことであるか』
(どっちも、失敗じゃないか…)
彼は、自嘲の笑みを漏らした。
(愛されようとして、信頼を失った。そして、今の自分には、誰かを恐れさせるだけの力もない…)
挫折の記憶は、彼を強くした。彼は高校に入ると別人になっていた。
「…変わったのは、高校の文化祭だったな」
カイが続ける。
「あの時のテルくんは、まるで別人だった。狸が化けたかと思ったぜ」
テルは、もはや無邪気に理想を叫ぶだけではなかった。一年かけて学校という組織の力学、予算の決定プロセス、そして教師やPTAの人間関係という「構造」を、スパイのように徹底的に分析した。そして、文化祭の実行委員長になると、彼は正面から予算増額を要求するのではなく、事前に生徒会OBである地元の有力者の息子や、PTAに影響力を持つ母親たちを味方につけ、彼らを通して同窓会や地域商店街からの「寄付」という形で外部から資金を調達した。学校側が「予算がない」という常套句を口にする前に、その言い訳を封じ、認めざるを得ない状況を作り出したのだ。
プロのバンドを呼び、後夜祭に花火を打ち上げたあの日。熱狂する生徒たちの歓声の中心で、彼は静かに確信していた。言葉の魔術に、冷徹な戦略が加わった時、初めて人は、世界を動かせるのだと。
回想の終わりと共に、テルの視線は現実の風景に戻った。銀杏並木を挟み込むように、ゴシック様式の重厚な法文1号館と2号館が、対になってそびえ立っている。
「この場所で、この国の『かたち』を定めてきた憲政の歴史と、それを動かす『血流』である経済の法則を、徹底的に学んだ」
テルは、自らの主戦場となった学び舎を、懐かしむように見上げた。
「俺は、この国の『構造』の中心に潜入する。そして、怪物の弱点と、奴らが使うカードの種類を、徹底的に探り出す。それが、俺の戦いだ」
その目は、もはや挫折を知った少年のそれではなく、言葉という名の魔術の、その本当の法則を会得した、若き指導者の目をしていた。
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