サンタクロース、捜そうよ
それは、【四季市】と隣町の【古座市】を跨ぐ形で駅舎を構える鉄道駅【四季駅】の東口付近、要するに四季市側で起こった。駅に直結する商業施設【菱井ファミリー四季】地上一階の目の前に存在する河童像の広場にて、ある事件が起こったのである。
「やっと、見つけた」
その事件が起こる、十分程度前のことだ。
菱井ファミリー四季の一階に店舗を構える製菓店【幸時の片隅】にて、彼は特徴的なハットを被りながら、ケーキの購入を済ませていた。日頃の感謝を込めて、家族へ贈るために。
今は冬休みが始まったばかり。中学三年生ともなると進学やら何やら、忙しいとは思うが、彼は冬休みが始まる前に一足早く進学先への入学を決めていた。そのようなこともあり、気紛れではあるが家族に対してお礼を兼ねたブッシュドノエルを贈ろうと彼は思ったのだ。
進学先を決める際、彼は保護者と妹にはとても世話になったことだし、彼自身も多少なりとも恩は感じていたので、このような贈り物をしても問題は無いと考えた結果であった。
「ようやく会えた」
商業施設から出て、河童像の広場に足を踏み入れた時、ふと彼は自身への視線を感じた。最初はこの河童像自体が彼を見ているのかと思ったが、もちろんそのようなことは無い。
ちなみにこの河童像は四季市のご当地マスコット、河童堕天使【カパるしふぁー】を模した物である。市内には河童伝説が遺されており、カパるしふぁーもその河童の末裔とのこと。
彼は自らの視線をカパるしふぁーの像から、前方へ戻す。その先には広場を行き交う人々の姿があるだけだ。彼と同じくケーキを買う人、誰かを待つ人、駅へ向かう人、交番前に立つ警察官、そして奇妙な仮面を着けた少女。はて、今日はハロウィンではないはずだ。
いつからクリスマスは仮装行事になったのだろうか。正確にはハロウィンも本来は単純な仮装行事ではないはずなのだが、今はそのようなことを気にしている場合ではない。目の前に仮面を着けた不審な人物が立っていて、彼を見ている。この状況が不穏であることを認識しなければならない。あれは特撮作品の、【デリシャス仮面】の複製品だ。何故、それを。
彼女を観察する。彼よりも歳下くらいだろうか。銀髪を肩の辺りまで伸ばしたような髪型の少女だ。エプロンみたいなドレスのようにも見える服を着ていて、少々幼い雰囲気である。
「君って、そんな顔をしていたのね。ちょっとイメージと違うけど――そっか、そっか」
彼には、この雑踏の中わざわざ話しかけてくれるような友人がほとんどいないし、悲しいことに人望も無い。だから返事をせず、彼女の隣を素通りした。見ず知らずの他人だし、そもそも街中で特撮作品の仮面を着けるような趣がある少女と、彼は知り合いではないのだ。
このような時は相手の世界に入ってはいけない。無視が一番。きっとクリスマスに便乗した、怪しい団体の勧誘者に違いない。彼には不審者とお友達になるような趣味は無かった。
ケーキの箱を抱えて足早に立ち去ることを試みるが、少女は声を掛け続けてくる。まだ会話を終えるつもりは無いようだ。執拗に声を掛けてくる理由は一体――彼のファンなのか。
申し訳ないがファンサービスを提供する程、彼はお人好しではない。出直すことだ。
「サンタクロース、捜そうよ。約束でしょう?」
約束、サンタクロースの捜索。彼には全く覚えがないことであった。
彼は家族のためにケーキを買っただけだ。偶然あの製菓店を選び、偶然店の中から河童像の広場へ出てきただけだ。そして偶然このような仮面を着けた少女に遭遇しただけなのだ。
誰ともそのような約束はしていない。それに、世界中の子どもたちから実在性を問われている、あのサンタクロースを捜索するなんて――彼個人としては興味深いことではあったのだが、客観的には馬鹿馬鹿しいことであり、実に無意味であると彼は心の中で一蹴した。
今夜は雪の予報が出ているし、早急に自宅へ帰るべきだろう。帰宅が遅いと家族も心配するはずだ。それに不審人物と関わると、何か危険な状況を招くことになる。彼は警戒した。
「ねえ、聞いているの――ポワロくん」
おや? おや、おや、おや――少女からの呼び掛けに、彼は強烈な違和感を覚えた。
彼女は今、彼を何と呼んだ? ポワロくん、そう呼んだのか。それは――おかしな話だ。
「僕はポワロくんではないのだ。親しみを込めて、ポアロくんとお呼びなさい」
そう、彼の名前は九十九歩亜郎だ。大変個性的な名前であると思うが、彼はポアロくんであって、ポワロくんではない。人違いだ。確実に人違い。世の中には彼と同じように個性的な名前の人間が他にも存在しているというのだろうか。一度会ってみたいものである。
「もう一度名乗ろう。僕はポアロくんだ――こんな探偵みたいな名前の人間が他にもいることには驚きだが、ポワロくんとやらではない。一字違いの人違いなのだ」
ただひたすらに、彼は呼び名を訂正する。しかし、それを掻き消すように彼女は呟いた。
「いいえ、君はポワロくんだよ? ポワロくんではないのなら、私が困るもの」
「このような無意味な問答に付き合わされる僕の方が、困っているのだ」
彼は内心、立ち去ろうとしているのに、この場から離れることができない。何故だろう、彼女に自らの生命を握り締められているような、そのような感覚が彼にはあった。
彼女は何者だというのか。サンタクロースを捜索しているくらいだから、メルヘンチックで個性的な、何かの間違いで彼と仲良くなれるかもしれない少女だと思ったのだが、見当違いなのだろうか。もしかすると、やはり早急に立ち去るべきなのか。危険な状況なのか。
「どちら様、なのだ!」
「あら? あら、あら? 私のこと、覚えていないの? ポワロくんなのに?」
「だから、僕はポワロくんでは――」
音が、聞こえる。この音は彼の心臓、その鼓動の音なのか――それとも、何かが近づいてくるような、何かに足が生えて向かってくるような、刻々と迫り来る足音にも聞こえる。
そこでようやく、彼は音の正体に気づく。これは殺意だ。しかし、気づいた時には遅い。
「【閉解式・解告状】――その理論は、時をも殺す」
周囲を歩いていた通行人の動きが止まる。フラッシュモブでも始まるのかと彼は思ったが、どうやら動きが止まった理由はそのようなものではないようだ。裏付ける根拠として、止まったものは通行人だけではなかったことが挙げられる。遠くから聞こえていたはずのクリスマスソングも、クリスマスツリーを彩っていたイルミネーションの点滅も、何もかも。
止まっている。その表現に疑問を抱く程度に、周囲の全てが静止していた。
まるで、時間という概念そのものが無くなった――否、亡くなってしまったような感覚を彼は味わった。文字通り、時間が殺されている。そう解釈せざるを得ない状況であったのだ。
「想像せよ、舞踏会の創造を――我は生命を、閉ざす者なり」
ここで、ようやく彼と彼女の視線が交わった。どうやら歩亜郎だけは殺された時間の中を動けるようだ。何故自らの時間だけは殺されずに済んでいるのか。そのような分析をしている余裕は無い。何もかも遅いのだ。間に合わない。それだけを彼は理解することができた。
仮面の少女は宣言した。自らの内界を宣言したのだ。世界が上書きされる。景色が一変する。周囲にあったはずの商業施設やら河童像やら四季駅の駅舎までもが、少女が思い描く舞踏会の会場へと変貌していく。その会場を見下ろすように、景色の中央に玉座が出現した。
その玉座に、いつの間にか少女が座していた。玉座の前方では、華やかな舞踏会が開かれている。しかし、その場で踊っている者たちは皆、骸骨であった。
生命が、この場には感じられない。舞踏会の景色と乖離している。何か矛盾したような強い感情がこの場に渦巻き始めているのだ。これは――殺意と、愛情? 酷く悪寒がする。
「【世都内界】だと? 厄介なことになったのだ」
彼は、この現象を知っていた。だから驚きはしない。驚きはしないのだが、それ故に非常に不味い状況であることを思い知った。即座に判断しなければ、最悪の事態は免れない。
「ちっとも、デリシャスな状況ではない。はっきり言って、不味い展開なのだ」
少女の力は暴走している。下手をすれば周囲にいる人間の内界が崩壊するだろう。その場合、この街は笑うことも泣くこともできなくなってしまう可能性が高い。
心の世界が崩壊すると、文字通り心を亡くしてしまう。それは、避けねばならない。
「ポワロくん、君は――私が殺してあげる」
玉座から立ち上がった少女は、舞踏会には決して似合うはずがない物騒な刀を握り締め、ゆっくりと距離を詰めながら、歩亜郎に向かって歩みを進めている。どうしたものか。
「だから――僕はポワロくんではないのだ」
【明探帝】として、この状況を解決せねばならない。彼はそのような答えを導いた。
「【最終怪答】! 最適解を――」
しかし、彼が自身に眠る力を発動しようとした時だ。突如そのアルゴリズムが崩れ去るような感覚と共に、思考回路が破壊される。心の中が、彼女の感情に支配されたのだ。
「僕の、答えが――」
不愉快で、不愉快で、愛おしい感情が彼の中に流れ込んでくる。魂が蹂躙される。次の瞬間、彼の左掌に彼女の刀が突き刺さっていた。その刃は手の甲まで貫通していた。
ああ、駄目だ。もう、歩亜郎の理解が追い付かない。心が認識を拒む。不愉快が踊り狂う。
何故、何故、何故――見ず知らずの少女から、彼は襲撃を受けねばならないのか。
わからないという一言が彼の全身を駆け巡り終わった直後、刀が折れて落ちる。左手からおびただしい量の血液が漏れ出た。公園の噴水のように、止まることなく噴き出てきている。
以上の経緯から、歩亜郎はこの場に倒れることしかできなかった。
「ケーキは――どうなったのだ」
彼の視界に入ってくる、ケーキの箱。箱から飛び出したケーキは、地面に落ちた衝撃で原型を留めていない。このようなことになるのなら、店員にケーキ用の保冷剤をもっと入れてもらえば良かったと、見当違いの後悔をするが――問題点は保冷剤の量ではない。どうやら、この危機的状況で彼の頭は上手く働いていないようだ。早く、何とかしなければならない。
「あれ? 人違いか――そっか、そっか。もしかして、君はポワロくんではないね?」
薄れていく意識の中、少女の呟きが耳へ入ってくる。今、何と言ったのだろう。人違い、そう言ったのだろうか。やはり彼女は彼と誰かを間違えていたのだ。困ったものである。
「君は、ポワロくんではないけれど――へえ、これはどういうことなのかな?」
それは、こちらが言いたいことだ。正直、ふざけるなと彼は思った。この世でふざけて良いのは自分だけなのに――故に、歩亜郎は彼女の行動を許すことができなかった。
だが――もう許す、許さないを彼が決める段階ではない。手遅れだ。意識を保つための糸が少し、また少しと緩んでいるのだから。出血多量で意識を失う、その事実に到達するまで時間の問題なのだ。まあ、意識を失うだけで済めば、幸せなのかもしれないのだが。
少女は引き続き、彼へ殺意を向けている。そうであれば、次に来るのは――追撃なのか。
「あ、れ――」
彼が追撃を警戒している時であった。左掌に出来上がった傷口が、文字通り咀嚼のような動きを始めて、何かを喰らっている。どうやら刀の破片が傷口に残っていたようだ。
いや? いや、いや――おかしいだろう。刀の破片が残っていたとしても、何故それを傷口が咀嚼し始めるのだろうか。傷口は傷口であって、口ではない。何かを食べ始めるなんて、あり得ない。ましてや刀を食べ始めるなんて、どうかしている。幻覚を見ているのだろうか。
「これは、【魂のインストール】が起きているのかな? ポワロくん、もしかして君は――」
次の瞬間。左掌の傷口は綺麗に閉じられていた。傷口そのものが亡くなったように。
「おっと、殺意が強すぎたね。やっぱり私に人殺しはできない、か」
少女が踵を返し、雑踏の向こう側へ消えていく。混濁する意識の中、追撃が来ないことを確認して彼は一先ず安堵する。時間が再度動き始める前に、この場から退散するべきだろう。
「とんでもない通り魔だったの――がっ!」
それは、遅れてやってきた。
意識を刈り取られるような感覚が、遅れてやってきた。彼は苦しみ悶え、左手を抑えながら地面の上を転げ回る。左手の中に、誰かが存在している。通り魔はこの誰かと彼を間違えたというのだろうか。この誰かの顔を、歩亜郎は見たことがある。覚えがある。どこで見たのだろう。そういえば、毎朝見ているか。洗面所の、鏡の前で――そう思った直後であった。
「お前さんは、オレなのか?」
それだけを呟いて、彼の意識が手放される。薄れていく意識の中、静止していた世界が徐々に、また徐々に動き出していく。イルミネーションの点滅が再開すると同時に、まず世界を染め上げたのは悲鳴であった。周囲にいた通行人の悲鳴。血塗れで倒れる歩亜郎を見て、悲鳴を上げた者がいたのだろう。その悲鳴は、聖夜を一瞬にして亡き者へ変えていった。
ああ、クリスマスは殺された――雪が降り始めた、クリスマス・イブの出来事であった。




