大工のヘクター
ソルティオにおいて【大工】と云えば、大別すると二種類ある。
一つは総合請負会社のような形態を取っている場合、もう一つは個人業者だ。
前の方には家屋大工に建具大工、家具大工に型枠大工と粗方の大工職人が揃っており、ここに頼めば大した苦労もなく家一軒が建てられる。
ただしこう云った際の諸費用は高く、受付と称される魔法建築士なりにお金を搾取される場合が多い。
魔法建築士設計事務所にはこうしたお抱えの大工を雇っているところが多い。デザイン料と仲介料とで二度おいしいってやつだ。
もう一つ、個人で仕事を請け負っている場合だが、これは前述のそれとは違い、家主である大工が全てを賄う。
どういうことかと云えば、個人で仕事を請け負っている大工は前述した全ての職人の技法を一人で行うことができるのである。
これは建築都市ソルティオにおいても珍しく、行える人間も限られている。
ただし専門に特化している訳ではないので、技量はその大工次第となる。建築都市ソルティオとはいえ、卓越した技能を持った大工は多くない。
さらに一つ付け加えるなら、個人事業主に依頼した方が料金の融通が利きやすいと云う利点はあるだろう。
「――結局はお金なんだよな」
とパルムは目前に置かれたお茶を啜った。
「で、お前は俺をなんだと思っていやがるんだおい。俺はお前のお抱えでも何でもないんだぞ。それをなんだ。こうして訪ねてきたかと思えばそんな取るに足らない端金で、その小屋を作れって言うのか。しかもそんな公にもできないようなあからさまに後で悶着ありそうな案件を」
男がパルムの前に座る。
座った拍子に椅子がぎしりと悲鳴を上げた。
「だからこそお前に頼んでいるんじゃないか。ヘクター、頼むよ」
ヘクター・ハイアット。
金髪を短く刈り上げ、中心を逆立てている。
身長は百六十四。
体重は七十七。
年齢は六十四だったと記憶している。
筋肉の塊のような腕と胸、それに両の手で挟みきれない太い足。
それら全てを剥き出しにするような服装をしている。
彼は前述に記した個人業者を営んでいる大工である。しかも腕利きだ。
ヘクターの店はパルムの店と同じくサブウェイにあるのだが、とあることがきっかけで二人は出会い、こうしていつもパルムが頼んでいるという具合。
【ハイアット大工店】と云うのが店名だ。
ヘクターの店は――これまたパルムと同じなのだが――住居兼店舗だ。
一階が店舗、二階が住居となっている。
ただ店自体の坪数はパルムの店の二倍以上――建坪四十坪はサブウェイに店舗を構える店の中でも大きい部類に入るだろう。
二人が居るこの部屋も事務所の中で主に打ち合わせに使用している部屋だった。小さな四人がけの机と丸椅子が四つ、壁には壁紙等は一切貼っていない。
剥き出しの木の香りがする。
部屋は三坪程だが、家財がない分広く感じられた。
ヘクターは腕を組んでやや前のめりになると、下から舐めつけるように視線をくべる。
「俺は可愛い妻と可愛い子供を養わないといけないんだぞ。それをなんだ、幾らだって?」
「......三千」
「は?」
「三......千......」
「三千!?」
ヘクターは先程聞いたはずの単語をわざわざ繰り返すと、組んでいた腕をわざとらしく広げた。
「てめえな、子供の小遣いじゃないんだぞ」
「エリーが大事に貯めたお金をそんな風に言うなよ」
「エリーだかハリーだか知らねえがそんな――おい、まさか、それが全額って訳じゃあないだろうな。後でしっかりと親に請求するつもりなんだろ?」
「......」
「この馬鹿! お人好しも大概にしとけよこの唐変木! それじゃあ手前、相場の三十分の一以下じゃないか!」
ごもっとも。パルムは深く頭を下げて納得の意を示す。そして頭の中では今一度試算する。
魔法建築士には等級があって個人の尺度もあるので一括りにはできないが、やはり設計にも相場というものが存在している。
見積もりとヒヤリング、それに設計。それぞれに設定された金額は概ね次の通りだ。
ヒヤリング――二万、見積もり――三万、設計と製図――十万から三十万と云うのが世間の相場だった。
しかしこれはあくまで魔法建築士のみの取り分であり、施工管理料金や大工への料金は別途で支払われることになっており、つまり家を建てる前段階ですらこれだけの金額が必要とされる。
パルムがエリーから支払われる予定の金額は三千。確実に足が出る金額である。というか足どころか指先すら入らない。しかしパルムは引かない。
「うちは安心安全、良心価格を売りにしているんだよ。誰にでも家を建てる。夢があるだろ」
「夢で飯は食えないんだこのボケ!」
ヘクターは目の前の机を力一杯叩いた。
「そんなに怒るなよ。家と言っても大きくはないんだ。お前ならすぐ建てられるだろ」
「それだよ。――そもそも本当に大丈夫なのか? 妖精犬か。確かに見てみたい気もするがそんな物にてめえ、意匠を施したりして。後になってごたごたする羽目になるぞ」
「そんな大袈裟な。子供がペットの為に家を建てたいって言うだけのことだろ。ヘクターは気にしすぎだよ」
パルムの笑顔に、ヘクターは呆れた様子で「アリとマリの件で少しは懲りたと思ったが駄目だなこれは」とごちた。頭をがりがりと掻き、それから投げやりに設計図を見せろと手を出す。
パルムはここを訪れる前――自宅に戻り設計図を描いていた。
魔法建築士は想像の産物である立体製図設計を図面に残す。こうしておかないと打ち合わせの際に不便であるし、万が一忘れた場合でも再度立体製図設計が可能になるからだ。
大工は設計図に記された数値や大きさを見て、建材がどれ位必要なのかを確認し試算する。
――精緻な製図程大工に好まれる。
通常の魔法建築士なら立体製図と数値のみ記載して終わりだが、パルムはそこに継ぎ手や仕口と云った、いわゆる大工が使用する技法まで記載して渡す。
お金に関してはどうしようもない程に雑なパルムだが、こと製図に関して云えば他の魔法建築士が描き記すものとは比べ物にならないくらい細かく、またその内容も群を抜いていた。
しかし今回に限りヘクターは難色を示したように、眉根を寄せて製図を指した。
「ここは相欠きで構わないだろ。わざわざ追掛大栓継なんて面倒なことしてたら割に合わないんだよ」
「強度の問題だよ」
「犬小屋に強度なんてを求めるな」
「家だよ。間違えないでくれ。パトラの家を作るんだ。ただの小屋とは違うんだよ」
「この馬鹿」
ヘクターが製図を指で弾く。
「てめえの話を信じるなら重さは考えなくても良いって話だろ。大栓継なんて意味ないって言ってんだ。手間を考えろ手間を。誰が墨打ちすると思ってんだ。省けよ」
「駄目だ。重さが無いからと言って強度は無視できない。犬とは違うんだ。妖精犬には何があるか判らない。手は抜けない」
「てめえ......」
ヘクターの苛立ちも判る。
しかし首を縦に振る訳にはいかないと、パルムは頑なに拒んだ。
エリーは確かに家を作ってあげたいと、そう言った。彼女の真剣な眼差しから何かを汲み取ったパルムは仕事を引き受けたのだ。そこには切実な何かがあると、勝手ながらパルムはそう考えている。
だからこそ、パルムは妥協しないと決めていた。
「お願いだヘクター」
「やる訳ないだろこの馬鹿」
ヘクターは製図をパルムの前に突き返す。
「どうして......」
「三千ぽっちでどうやって建材費を捻出するって言うんだ。ああ、お前の取り分なんてないぞ。――悲壮な面すんな! これだと俺の取り分だってないんだ! 全部材料費でぱあだ!」
「そこをなんとか! ヘクターだけが頼りなんだよ」
パルムは両手を机に付いて頭を下げた。