森の番犬
大きさは一目見ただけでも相当なものだった。
パルムが唯一知っている妖精の森、南西の鎮守の二倍以上はあるだろう。
風が吹くなか、森の木々は揺れることなく鎮座している。
ひっそりとその身を景色に溶け込ませるように、只、静かに時を刻んでいる。
遠目にも異質であった。
空気が、そこだけを避けて通っているかのようだ。
間違いない。妖精の森だ。パルムとエリーは顔を見合見合わせると頷いた。
「此処がパトラの生まれた森か。ちょっとどきどきするな」
「私も」
二人は草原を越え、森まであと少しのところまで来ていた。
近づくほどに異様な気配を肌で感じる。
パルムは背中のリュックサックから小振りの片手斧を取り出した。
重量はそこそこ。
しかし切れ味は保証付き。
普段はこれでまきを割るのだ。
パルムは街を出る前に、家の裏手に立てかけていたものをこっそり持ち出していた。
太い幹を伐採するわけではないので、充分だと思っていた。
いざ、森の前に立った時だった。
気配は一瞬にして現れた。
「まさに、いつの間にってやつだな」
瞬きの間でもない。
意識の隙間を狙ったかのように。
森を背に、といっても相変わらず何処に顔があるのか判断できなかったけれど、パルムから森を守るように一匹の妖精犬が現れた。
大きさは子牛ほどで、最後に見たパトラと同程度というところだった。
「パルムさん」
「エリーは下がっていてくれ」
不安な表情を浮かべたエリーはしかし、パルムの言葉に頷くと後ろに下がった。
パルムはエリーを背後に確認して、改めて妖精犬と向き合う。
始めに感じたのは、そう、パトラと最初に出会った時と同じものだった。
自分を値踏みするような、そうかといって悪意や敵意とも違う、言いようのない居心地の悪さ。
純粋に危険があるかどうかを判断している、とパルムは思った。
「聞いて欲しい。俺たちは何も悪さをしにきたんじゃない。少し、協力して貰いたいことがあるんだ。あっと、これは別に傷つけるために持ってきたつもりはない」
手斧に視線が集中している気がして慌てて弁明する。
反応は薄い、というよりもない。
感情といったものがあるのかどうかすら不明だったけれど、パトラを見ていた限りでは一概に欠落しているとも思えなかった。
パトラには意思のようなものを感じていたからだ。
「まず聞きたい。此処にパトラという妖精犬はいるか?」
答えは返ってこなかった。
正直、期待はしていなかったものの、無反応はなかなかに辛い。
気持ちを切り替えて続ける。
「実はこの子が飼っていた妖精犬がいなくなったんだ。そいつを探している。名前はパトラって言うんだけれど、そいつは此処で生まれたみたいなんだ。
それで、パトラに戻ってきてもらうために家を建ててやりたいんだけれど、建材、木材が必要なんだ。普通の木だとパトラが戻ってきてくれる可能性は少なくてな。
生まれ故郷の木で作れば、あいつも喜ぶんじゃないかと思うんだ。だから頼む。少しで良いんだ。此処の木を使わせて欲しい」
返答は、先程と変わらない。
無言、失音とでもいうべきだろうか。
埒が明かないな、と思いながら、気まずい空気を避けるように一歩右へずれた。
すると目の前の妖精犬も音も立てず同じく移動する。
まるで通せん坊だ。
何度試しても同じ反応をするのでつい遊んでいたら、
「パルムさん」
エリーに服の裾を引っ張られてしまった。
「ごめん。楽しくて」
「そうではなくて、後ろです」
少女の怯えた声に不吉なものを感じて振り返る。
目に映った光景に、パルムは万力でがっちり固定されたみたいに静止した。
二人を包囲するように、十匹の妖精犬が等間隔で立っていた。
身じろぎ一つしない。
精巧にできた置物を見ているかのようだ。
只、先程とは何かが違う気がした。
圧迫、否、威圧されているのだ。
一度に多数の妖精犬を見たという話は稀に聞くけれど、いざ、自分が当事者になってみると、正直居心地の良いものではないなと、パルムは思わず喉を鳴らした。
「ちょ、ちょっと待てよ。俺は何もしていないぞ。少し木を分けて欲しいってことをーーっ!」
痛烈な痛みにこめかみを押さえる。
苦痛はすぐに耐えられる限界を超え、吐き気と眩暈の二重苦が間断なく襲ってくる。
立っていることもできず、膝をつく。手斧が地面に転がった。
「パルムさん! どうしたのです!」
「ああああ、ぐううううう」
身体を揺するエリーの声が遠く聴こえる。
以前、恐らくパトラから発せられた信号とは比べものにならない程の強烈な痛苦だった。
十個の巨大な万力で頭を締め付けられているようだ。
今にも頭蓋骨が割れ、中身が飛び出すのではないかと錯覚してしまう。
どうして。
ぐるぐると、同じ問いが頭を巡る。
いわゆる、危険を排除する仕組みのなかで発生する妖精犬に攻撃されている現状に違和を感じる。
森の木を伐ることがそこまで危険性を孕んでいるというのだろうか。
パルムにはどうしてもそうだとは思えなかった。
「しっかりして下さい! パルムさん!」
「エ……リー、逃げ……ろ……」
「そんなの駄目です!」
エリーが足元に落ちていた手斧を拾うのが目端に見えた。
何を考えているのか、すぐに察する。
「いけない……止めるんだ、エリー……」
「う、わあああああああ」
パルムは懸命に手を伸ばすけれど、届かない。
手斧を両手でしっかりと握りしめ、エリーが気合いを込めて叫んで正面の妖精犬に向かっていく。
だがしかし、駆け出したエリーがすぐに動きを止めた。
振り上げた手から手斧がこぼれ落ちて地面に刺さる。
膝から崩れるようにして、エリーが前のめりに倒れた。
「エリーイイイイイ!」
霞む視界も、痺れる手足も、思い通りにならない身体の全部、全てに反抗し、もがき、はいずって進む。
エリーの元まで一直線に辿り着く。
「エリー! エリー! おい、目を開けてくれよ!」
意識のないエリーを抱きしめる。
口元に顔を近づけると、弱々しいけれど吐息が聞こえてきたので、力が抜ける。
幸いというべきか、どうやら彼女は気を失っているだけのようだった。
安堵したのもつかの間、忘れていた激しい痛みがぶり返す。
今度こそ、パルムは意識を失った。




