第一章 第十四話 『噂は誰のものか』
花子が学校の外で不安定になることを確認した翌日、久世遼一と白峰紗月は、これまで集めた後ろ連れの記録を会議室の壁いっぱいに並べていた。相沢美緒のメッセージ、高梨優斗の最初の調書、藤崎玲奈の証言、匿名掲示板の投稿時刻、学校内の聞き取り、商店街で拾った会話、そして小川真帆の自宅で起きた現象。紙の種類も記録方法もばらばらだったが、久世はすべてを日付と時刻だけで並べ直し、紗月は一番左にある最初期の記録を指した。
「最初からやる?」
「最初からだ」
「美緒さん。足音がついてくる。止まると止まる。名前を呼ばれる。振り返るのが怖い」
「この時点では、反射も三回も家の中もない」
「次が、優斗君。足音、名前、振り返らない。でも話すたびに周りのルールが変わる」
「そして俺たちが商店街の窓で余分な影を見る」
久世はそこへ赤い線を引かなかった。因果関係を示すにはまだ早い。代わりに、その翌日に現れた匿名掲示板の投稿を隣へ貼った。
――鏡や窓で三回見たら、家までついてくる。
「この言葉が出たあと、玲奈さんが三回の反射を見て、玄関前まで足音が来た」
「さらに『家の中まで入る』が先に投稿されて、そのあと真帆ちゃんの家の中で現象が起きた」
「声も同じ」
紗月は別の列を見る。「家族の声で呼ぶ」「死んだ人の声も使う」「一番信用している人の声になる」。投稿が増えたあと、母親、祖父、妻、そして紗月の声を使った事例が続いている。
「全部、噂が先」
「少なくとも確認できたものはな」
「偶然が何回続けば、偶然じゃなくなる?」
「回数では決めない」
「そう言うと思った」
久世は壁の中央へ新しい紙を貼った。そこには四つだけ書く。追加された情報。拡散が確認できた時刻。「以前から知っていた」という記憶が現れ始めた時期。そして、現象がその内容に沿った時刻。
「順番は、ほぼ同じだ」
「情報が増える。人に広がる。いつの間にか昔からあったことになる。そのあと、現象まで同じ形になる」
「ああ」
紗月はしばらく壁全体を見渡し、最初期の記録から現在の投稿までをもう一度目で追った。一本の線で繋がっているように見えるのに、その線のどこにも「作者」と呼べる一人は見つからない。
「じゃあ、後ろ連れのルールを書いてるのは誰?」
「それを調べる」
二人はまず、匿名掲示板で新しい規則を書き込んだ人物を可能な範囲で追った。学校側の協力で話を聞くことのできた投稿者の一人は、一年生の男子生徒だった。「三回見たら家を覚えられる」と書いた本人ではないが、「三回目を鏡で見たら割らないといけない」という派生を最初に投稿した人物だった。
「誰から聞いた?」
「誰かの投稿です」
「その投稿は見つからない」
「消えたんじゃないですか」
「書く前に、自分で考えた可能性は?」
「いや、俺が作ったわけじゃないです」
「じゃあ、なぜ書いた」
少年は困ったように笑い、膝の上で指を組み直した。否定したいというより、自分でもどこからが聞いた話で、どこからが思いつきなのか分からなくなっているようだった。
「なんか、そういう感じするじゃないですか。鏡に出るなら、鏡割れば助かりそうだし」
紗月は責める調子にならないよう声を柔らかくし、聞いた記憶と自分で補った部分を分けるように問い直した。
「それ、聞いたんじゃなくて、思いついた?」
「……たぶん。でも、みんな似たこと言ってたし」
「書いた時は、本当だと思ってた?」
「本当かどうかっていうか、後ろ連れならありそうだなって」
別の女子生徒は、「階段の踊り場は安全」というルールを投稿していた。理由を尋ねると、「学校の怪談って階段が境目になることが多いから」と答えた。さらに別の生徒は、「大通りへ出れば消える」という話を友人へ送っていたが、本人はそれを別の生徒の体験を聞いたあとで「前から知っていた気がした」と説明した。校舎を出たあと、紗月は集めた聞き取りを見返しながら言った。
「誰も、自分が作ったとは思ってない。でも、実際には少しずつ足してる」
「聞いた話と、自分で補った部分の区別が消えてる」
「そして他の人がそれを読むと、『そういうルールなんだ』になる」
「さらに広がれば、『昔からそうだった』になる」
午後、二人は水瀬史織の研究室を訪れた。壁の時系列を写真にして見せると、史織は一枚ずつ確認し、しばらく何も言わなかった。
「噂の所有者を探してるんですね」
「所有者?」
紗月が聞き返すと、史織は写真を机へ並べ、最初期の記録と最新の投稿を離して置いた。二枚の間には、誰か一人の意図だけでは説明できないほど多くの変化が挟まっている。
「最初に誰が言ったか、ではなくて、今この噂を誰が決めているのか」
「違うのか」
「最初の一人がいたとしても、広がったあとの噂はその人のものではありません。聞いた人が覚えやすい形に変え、次の人が怖い部分を足し、別の人が面白くして、それをまた誰かが本当らしく整える。都市伝説は、共有された時点で持ち主が増えます」
「全員が作者になる?」
「少しずつなら」
史織は壁の写真の中から三回の反射ルールを指し、その前後に並ぶ派生投稿へ指先を滑らせた。ひとつの文章が、そのまま残るのではなく、別の誰かの言葉を通るたび少しずつ形を変えている。
「この最初の投稿を書いた人が重要なのは確かです。でも、その人一人が今の後ろ連れを作ったとは限らない。『三回なら怖い』『家まで来たらもっと怖い』『家の中まで入ったら逃げられない』。そういう足し算を、大勢が別々にやっている可能性があります」
「悪意がなくても?」
「むしろ、悪意がない方が多いでしょう。怖い話を一つ面白くしたい。友達に注意したい。自分の体験へ意味をつけたい。説明できないことを、知っている話へ当てはめたい。それだけでも噂は変わります」
久世は腕を組み、時系列の写真へ目を戻した。ここまでなら、噂が変化していく仕組みとして理解できる。だが彼らが追っているのは、言葉だけではなかった。
「問題は、今回は噂だけじゃなく現象まで変わってるように見えることだ」
「そこは、私にも説明できません」
史織は曖昧に取り繕わず、分からない部分をそのまま残したうえで写真を見つめ直した。
「ただ、もし本当に現象が語られ方へ追従しているなら、誰が最初に作ったかだけを探しても足りません。今も書き換え続けている人たち全員を見る必要があります」
署へ戻ったあと、久世は壁の一番上に大きく「誰が作った」と書き、その横へ線を引いて消した。最初の一人を探す問いでは、今起きている変化の全体を捉えられない。
「消すの?」
「問いが狭い」
久世はその下へ、新しく「誰が今も作っているのか」と書いた。消した問いよりも、今度の方が壁いっぱいの記録に近かった。
「答えは?」
「多すぎる」
「生徒。投稿した人。読んで信じた人。注意した先生。体験を話した人。私たちも?」
久世はすぐには答えず、壁に並んだ自分たちの聞き取り記録を見た。捜査記録そのものは噂ではない。だが、その内容が学校や家族やSNSへ渡れば、次に誰かが語る材料になる。
「俺たちが調べたことを誰かへ話せば、それも噂になる」
「花子さんのことも?」
「広めればな」
「じゃあ、捜査したことを外へ出すだけでも影響する」
「ああ」
その事実は、これまでで一番扱いにくかった。後ろ連れについて正確に調べようとするほど、情報を集め、比較し、言葉にする必要がある。だが、その言葉自体が次のルールになる可能性がある。紗月は壁の最初と最後を見比べた。最初の美緒の記録には、まだ後ろ連れの形がほとんどない。足音、名前、振り返ることへの恐怖。それだけだった。今では反射の回数があり、家へ来て、室内へ入り、家族や死者の声まで使う。
「私たち、ずっと怪異のルールを探してた」
「ああ」
「でも、固定されたルールが最初からあるんじゃないなら」
「探している間にも増える」
「じゃあ、後ろ連れって何?」
久世は壁の記録を見た。最初の数行と現在の膨大なルールを比べると、同じ名前で呼ばれていることの方が不思議なくらいだった。
「今のところ、決まった怪異じゃない」
「花子さんが言ってた『まだできてる途中』」
「ああ」
「じゃあ、完成させてるのは――」
紗月はそこで言葉を切った。壁に並んだ投稿、証言、注意喚起、思いつきのすべてを見れば、その先を口にするのに長い説明は必要なかった。久世が代わりに答える。
「人間だ」
会議室の壁には、誰か一人の犯人へ収束する証拠はなかった。あるのは、何十人もの小さな言葉と、それを受け取った大勢の記憶だった。誰も後ろ連れを所有していない。だからこそ、誰も無関係ではなかった。
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