第65話 双花の婚礼
マリエールが顔を林檎のように赤らめ、嵐のように走り去った後。
静まり返った会議室には、張り詰めた沈黙と、それに続く重厚な空気がゆっくりと戻ってきた。
一国の女王から、あまりに剥き出しの恋情をぶつけられたレオンハルトは、魂を抜かれたように呆然と立ち尽くしている。
そのあまりの衝撃に、彼は自分が今、どこに立っているのかさえ定かではない様子だった。
そんな彼に、アルベール先王が玉座から重々しく歩み寄った。
老練な王は、若き将軍の肩にその大きな掌を置く。
その重みは、単なる肉体の重さではなく、これから彼が背負うことになる「国家の宿命」そのものであった。
「レオンハルトよ。……お前を『王』にすることはできぬ。わかるな?」
先王の言葉は、氷のように冷たく、しかし真理を突く厳格な響きを持っていた。
「この国が求めているのは、絶望の淵から自らの知略で民を救い出した『女王マリエール』だ。お前はあくまで、その女王を隣で支える配偶者……。彼女の唯一無二の『盾』となれ。それがこの国を安定させ、民を納得させる唯一の道だ」
レオンハルトは、その言葉の意味を骨の髄まで理解していた。
彼は視線を落とし、騎士としての最高敬礼を捧げる。
「……重々、承知しております。私は地位なぞ望みません。彼女の騎士となれるのであれば、それだけで私には至上の待遇です」
その清廉な答えを聞き、先王の声が、ふっと陽だまりのような温かさを帯びて和らいだ。
「だが、これだけは命じておく。王としての厳命だ」
先王はレオンハルトの瞳を真っ直ぐに見据え、信じがたい言葉を継いだ。
「お前はマリエールとエミリ、その二人と同時に結婚するのだ。影武者の秘密を墓場まで持っていくためには、お前が二人を同時に愛し、同時に守り抜くしかない。どちらとの間に子が成されても、それは『聖女の血を引く世継ぎ』として、この国を照らす光となる」
レオンハルトは、あんぐりと口を開けたまま思考が停止した。
女王と、その影武者。
表裏一体の二輪の華を同時に娶る。
その想像を絶する重圧と幸福の濁流に、最強の将軍は完全に固まった。
だが、その沈黙を破ったのは、祝福の言葉ではなかった。
背後から、死線を幾度も共に潜り抜けた同僚の将軍たちが、西南戦線の最前線さえ生温く感じるほどの、苛烈な殺気を漲らせて詰め寄ってきたのである。
「おい、レオン……。我らの、あんなに愛らしいマリエール様を独占しようというのだな。……なあ、どうなんだ、レオン?」
豪傑ガストンが、威嚇するように指の関節をポキポキと不気味な音で鳴らす。
その横では、ジャンが冷徹な視線を針のように突き刺していた。
「一週間後、戴冠式までは我らも同格の将軍だ。今のうちに、その不遜きわまる顔を叩き直してやるのが友情というものだろう」
「マリエール様だけでなく、エミリ様まで同時にだと? 貴様、どの面の皮でそれを承諾した……! 天罰が必要だなぁ!」とエティエンヌが叫び、「死ね。今、この場で死んで詫びろ」と、普段は冷静なシルヴァンまでもが理性をかなぐり捨てて絶叫する。
「子をどちらと、だと……!? いいから今すぐ消えてなくなれ!」
ロランはレオンハルトの髪を掻きむしり、裏返った声をあげた。
最後に、満面の笑みを浮かべながらも、嫉妬と喜びで大粒の涙を流したガストンが叫んだ。
「この、世界一の幸せ者がぁーーー!!!」
愛と殺意がたっぷりと乗せられたガストンの鋼鉄の拳が、レオンハルトの顔面にめり込んだ。
それを合図に、将軍たちによる「地獄の祝福」が開始された。
レオンハルトが文字通り笑顔でボコボコにされ、床を転がっていたその時。
マリエールと共に退席したはずのエミリが、静かに、しかし確かな足取りで再び室内へ入ってきた。
彼女は、先ほど走り去ったマリエールと全く同じ、眩いばかりの満面の笑顔を浮かべていた。
「あ、あの……レオンハルト様……。私も、貴方をお慕い申し上げておりますよ。これから、よろしくお願いします」
少し顔を赤らめ、所在なさげに手を後ろに回し、はにかむように会釈するその姿。
その鈴を転がすような声、控えめな仕草、そして内に秘めた清廉な愛らしさ。
それは先ほどマリエールが見せたものと寸分違わず、しかしエミリ自身の口から溢れ出した真実の愛として、レオンハルトの心臓を容赦なく打ち抜いた。
かつて、占領地の最底辺で、名前さえ持たぬゴミのように朽ち果てるはずだった運命。
家族も名も、自分という存在のすべてを捨てて「影」となる覚悟を決めた少女。
そんな自分が、一人の女性として愛され、幸福になることを許された。
(独り占めなんて出来ない旦那様だけど。でも、マリエール様と一緒に愛してもらえるなんて――お父さん、お母さん、私は誰にも得られないような、幸せを手に入れたんだよ……)
エミリは、こらえきれずに溢れ出した涙を見られまいとして、そのまま弾かれたように駆け足で立ち去った。
その頬を伝った滴は、間違いなく彼女の人生で一番熱く、一番幸せな涙であった。
廊下の光の中に消えたエミリと、奥の部屋で顔を真っ赤にして待っているであろうマリエール。
レオンハルトは、将軍全員から受けた打撃で鼻血を出し、ヨダレを垂らし、見る影もない姿になりながらも、天を仰いだ。
この最高に愛おしい二人の女性を、同時に愛し、その命を賭して一生守り抜く。
それは過酷であり、あまりに贅沢で、そして至高の運命。
彼は自分に与えられたその奇跡に、神への深い感謝を捧げた。
両肩にかかる、あまりにも重すぎる愛の責任。
彼はそれを、世界で最も甘美な重みとして抱きしめ、静かに忠誠を誓うのでした。
会議室から続く私室。そこには、まだ興奮冷めやらぬ二人の少女がいた。
「ねえ、エミリ」
「はい、マリエール様」
「『様』をつけるのは、もう禁止。約束したでしょう? 私たちは双子すら超える、一心同体なのよ」
「はい、マリエール様」
「だーかーらー! 言った側から!」
「ふふ、ごめんなさい……マリエール様」
二人の少女は、鏡合わせのような笑顔で見つめ合い、少女らしい高い声で「クスクス」と笑い声を漏らした。
新しい王国の、本当の夜明けがそこにあった。
注釈)
本作品は15世紀頃の欧州をモデルとした世界観です。
当時の常識に則り、婚姻年齢等の描写を行っております。




