南部侵攻
一〇月二日早朝。ニレロティスは麾下の全軍に進軍を命じた。
前衛は、南部中央のトンゾロント領に対して先に布陣していたヴァル・レンテレテス・バロエンの一五〇〇。その後ろからニレロティスが直接率いる主力五〇〇〇が続いた。
ベルウェン隊は遊撃隊として大幅な裁量権が与えられた。
公爵軍を阻むものはなく、侵攻開始翌日にはトンゾロント領の中心都市ザロントムに達した。
この街の中にトンゾロントの居城がある。
ニレロティスはザロントムを包囲すると、トンゾロントに降伏を勧告した。抵抗せずに開城するならば命は保障する、と。
だが、トンゾロントは降伏を拒絶し、籠城を決めた。
ニレロティスは、城壁上からの矢が届かない距離を取って街を包囲し、陣地構築を開始した。六五〇〇の兵でザロントムを完全に囲むことは不可能だが、東西南北の城門に一五〇〇ずつ兵を配置すればザロントムは封鎖できる。
ザロントムにこもる三〇〇〇の兵が集中したら一五〇〇では防ぎ切れないが、城門から一度に出られる数は限られる。
これで、籠城兵がザロントムから出てくるのは不可能になった。
だがそれだけだった。
ウィンは、トンゾロントに籠城されるのを最も心配していた。
「監察使が恐れていたことが現実になってしまったか」
ニレロティスは嘆息すると、ベルウェンに「カーンティーエに戻るように」と告げた。
「攻城戦では貴殿の騎兵は生かせない。むしろ監察使が自由に動かせるところにいた方がよいだろう」
「確かにな。籠城された件も知らせなきゃならねぇ」
同日、南西部のデベルロント領境界に展開していたヴァル・ポロウェス・ラーエン指揮する一五〇〇の公爵軍もデベルロント領への侵攻を開始した。
敵が出てこなければ、当初の予定通りデレール川まで進出して北岸に陣地を構築する手はずになっている。
これに成功すれば、デベルロント領の北半分は公爵の支配下に取り戻せる。
南西部のメンエロント領への侵攻も始まった。
この方面を指揮するヴァル・ガウェイトス・モウゼランは、小部隊による抵抗は受けたものの交通の要衝であるベントリアに無事到達し、街を支配下に置いた。
メンエロント領の三分の一を取り戻した。
公爵軍の本陣は、フロンリオンの五〇キメル南にあるカーンティーエに置かれた。アルリフィーア、ベルロント、ウィンらはカーンティーエの市庁舎に居室を設けて、ここで寝泊まりしている。
ムトグラフは帝都に戻った。今頃はマーティダに現状を報告しているはずだ。
もちろん、マーティダによる宮廷工作を期待してのことだった。
一〇月四日には、各戦線からの情報がカーンティーエにもたらされた。南西部と南東部は予定通りだった。
だが、トンゾロントが籠城したという情報はウィンの表情を曇らせた。
アルリフィーアは「まあまあの戦果なのではないのか?」と明るく言ってみたがウィンの顔は浮かないままだった。
「破れかぶれの籠城なのか、分かっていてやっているのか……。やっぱり思った通りにはいかないものだなぁ」
「一番嫌な予想が当たってしまいましたね」
アデンが出てきて余計なことを言った。
「そんなにまずいのか? 東西は予定したところまで進んだではないか」
「主力が拘束されてしまった。これ以上何もできない」
南部三郡はそれぞれ劣勢に見えるが、公爵軍も手詰まりになってしまった。この籠城策が意図的なものだとすると、はめられたのは公爵軍側とも言える。
今回は主力を中央に投入したが、南東部、南西部でも同じことになったのではないか。
「主力が攻めてきたら籠城する」という取り決めがあったとしても不思議ではない。
もちろん、籠城される可能性は考えていた。その対策が、三郡に同時侵攻するというものだった。
籠城自体には、時間稼ぎ以外の効果はない。
攻囲側に時間とカネが十分にある場合、籠城側を待っているのは敗北だけだ。
だが、友軍による後詰めが期待できるのであれば籠城も積極的な戦術になり得る。攻囲側の背後から後詰めに攻撃させることで、攻囲側を挟撃できるからだ。
逆に、後詰めが期待できない籠城に未来はない。
ウィンは、三郡に同時侵攻することで後詰めの可能性を潰したのである。後詰めは期待できないと思い知らせることで、籠城される可能性を下げたつもりだった。
だが、敵は籠城した。
「籠城が計画的なものだとすると、何か策があるのかもしれない」
「籠城は見せかけで、野戦軍をどこかに伏せているという可能性はありませんか」
アデンの指摘も十分に考えられる。何も三〇〇〇の兵が全て籠城したとは限らない。その場合、街を攻囲している公爵軍が背後から攻撃される、ということも想定する必要がある。
「考え過ぎじゃねぇのか。苦し紛れの籠城に見えたがな」
ベルウェンが感じた現場の空気感は、計画的な籠城というものではなかった。
何がどうと説明するのは難しいが、敵や味方が発する雰囲気から焦りや余裕が分かることもある。
ウィンは浮かない顔のまま、露台に出た。露台の手すりに両肘を掛けて、カーンティーエ市街を見下ろす。
人口二〇〇〇人程度の小さな街だが、清潔でよく整備されている。カーリルン公領の中部と南部をつなぐ要衝であり、本来ならば活気に満ちているはずだが、今は南部が戦場になっているため商業活動が停滞している。
これもウィンが招いた事態であった。
「どうした? 元気がないのう」
アルリフィーアが同じように手すりに肘を掛けて市街を見渡した。
「珍しく落ち込んでおるではないか」
「やることなすこと失敗ばかり。これで浮かれていたら頭がおかしい」
「……」
「北東部を取ったら領民に反乱を起こされる。反乱を鎮めようとしてリフィに怪我を負わせる。南部に侵攻したら籠城される。何もかも失敗だ」
「横着者のそなたらしくもない。『自分のせいじゃない』とでも言いそうなものじゃが」と言って、アルリフィーアは笑った。
「結果的に北東部は安定したし、南部の大半もこちらの支配下に入ったではないか。ザロントムを開城させれば一気に片が付くのであろう?」
現状を肯定的に捉えればそうなるが、ウィンはそう思えなかった。
攻城戦といっても、ザロントムは城ではなく都市だ。攻撃すれば、市民も防衛に駆り出されるだろう。
兵糧攻めを続ければ市民も飢える。
生産を担っているのは平民であり、貴族とその家臣は生産に寄与しない。平民を戦いに巻き込むのは不経済なのだ。
平民を巻き込むなど、愚劣かつ無駄の極みだった。
戦争なぞ、貴族とその家臣だけで勝手にやって、勝手に死ねばいいのである。ウィンは戦争をそう位置付けている。
だから平民を巻き込むのは不本意極まりなかった。
だが、ウィンを最も落ち込ませているのは未来ではなく、過去のことだった。
アルリフィーアを危険な目に遭わせたことが、予想以上にこたえていた。
危険は予測できたし、護衛を周囲に伏せさせて事態の急変に備えた。
しかし投石は防げず、彼女に傷を負わせた。
アルリフィーアの言葉にも大して反応せず、手すりに置いた手の甲に顎を乗せてしおれているウィンを、彼女はどうすることもできなかった。
彼女は小さく息をつくと、そっと手を伸ばしてウィンの頭をぽんぽんと優しくたたき、ゆっくりとなでた。
彼女が幼い頃、亡き父や母がいつもしてくれた慰め方だった。
「そなたはよくやってくれている。ワシは感謝しておるぞ」




