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策謀

 デズロントは焦っていた。スハロートはレーネットとの対話を求めているが、レーネットとスハロートの会談が実現しては困るのだ。デズロントは幾つか嘘をついている。それが露見するのを恐れた。

 デズロントは、スハロートに「ロンセークレーネットが皇帝陛下に拝謁した」と語った。それに続く皇帝の言葉ももちろん嘘だ。スハロートに取り入るための詭弁だ。レーネットの下から逃亡したからには、何としてもスハロート派の中で居場所を確保しなければならなかった。

 レーネット派だったデズロントがスハロート派の中に入るのは容易ではない。スハロート派にはヴァル・ルティアセス・ミルフォラドという重鎮がいる。当然ながらルティアセスはデズロントの存在を快く思っていない。ルティアセスによって肩身の狭い思いを強いられている。

 あのとき、逃げ出さなければ。倒れているオフギースの傍らにたたずむフォルゴッソを目撃したときに、フォルゴッソを糾弾していれば。だがフォルゴッソは数人の家臣を連れており、逃げなければ殺されていただろう。フォルゴッソは何としても目撃者のデズロントをオフギース殺しの犯人にするに違いない。

 今から思えば、レーネットの部屋に向かうこともできたはずだ。しかし、オフギースとフォルゴッソを見たとき、これを利用しようという考えが先に頭を支配してしまった。長らく葛藤していた問題が「自分が手を汚さずに片付いた」という安堵があまりにも大きかったのだ。

 オフギースとレーネットがまだ皇帝に拝謁していないことは、調べればすぐに露見する。だが、現在の状態ではそこに疑問を持つ者はいない。疑問が生じなければ調べられることもない。レーネットとスハロートが離ればなれになっている現在の状態は、デズロントにとって願ったり叶ったりである。

 だが、レーネットとスハロートが直接話をすれば、拝謁の件に触れることは間違いない。両者の話に齟齬があることが発覚すれば、デズロントの嘘は簡単にばれてしまう。

 レーネットとスハロートを会わせてはならない。このままレーネットをオフギース殺しの主犯として糾弾し、スハロートを公位継承者にする以外にデズロントが生き延びる道はない。そして、そうするように指示されてもいる。

 デズロントはレーネットに使者を送る振りを続けた。そう、そもそも使者など送っていないのだから、スハロートの思いがレーネットに届くことなどあり得ないのだ。


 そんなことは知らないスハロートは、苛立ちを募らせ始めた。なぜ兄は応えてくれないのか。

 レーネットに宛てた何通目かの書簡を執務室で書き上げると、スハロートは寝室に向かった。

 この2カ月、スハロートはレーネットに何度も会談の開催を呼び掛けた。だがレーネットから返答はなかった。それならばと、中立派の貴族にレーネットとの仲介を依頼してみたりもしたが、やはりうまくいかなかった。ワルフォガルに直接乗り込もうともしたが、デズロントらに強硬に制止されて断念せざるを得なかった。兄と直接会って話をするというだけのことが、なぜ実現しないのか。

 スハロートは、母であるアトストフェイエに「兄の臣下として兄をもり立て、兄に必要とされる人間になりなさい」と言われて育てられてきた。アトストフェイエに我が子を公位継承者にするという野心は全くなかった。妻が継承順に口を出すことが国を傾ける原因になり得ることをよく心得ていた。口数が少ないため目立たないが、政治上の理非をわきまえた非常に聡明な女性だとスハロートは思っている。

 アトストフェイエは、スハロートに「分をわきまえよ」と教えはしたが、レーネットを特別扱いしたわけではなかった。スハロートが知る限りにおいては、アトストフェイエは子供たちを平等に扱った。アトストフェイエは賢い以上に、愛情深い女性なのである。

 そういえば、アトストフェイエがレーネットに一度だけ激しく怒ったことがあった。叱ることはあっても怒ることはない女性だったので、スハロートはひどく驚いた。

 あのとき、レーネットは「本当の子供じゃないのに、優しくしてくれてありがとう」とアトストフェイエに言ったのだ。レーネットは子供なりに心から感謝を伝えたのだとスハロートは思う。だがアトストフェイエは「私はレーネットを本当の子供だと思っています。レーネットはそう思ってくれないのですか」と言って怒り、「優しくするのは当たり前でしょう。大切な息子なのだから」と言って泣いた。

 「レーネット、もちろんあなたにはタイドネイエ様という本当のお母様がいらっしゃいます。でも私も本当の母親です。タイドネイエ様からあなたを奪うつもりはないけれど。母親が2人いったって構わないじゃないの」と言って、アトストフェイエはレーネットを抱き締めた。

 単にアトストフェイエの涙に驚いたのか、アトストフェイエの想いが届いたのか。スハロートには今でも分からないが、レーネットは声を上げて泣き出した。スハロートの知る範囲では、レーネットが泣くのを見たのはあれが最後であった。


 1本の蝋燭を点した燭台と窓から差し込む月明かりを頼りに暗い城内を歩いていると、奥から女性の叫び声が聞こえた。

 「母上?」

 ナルファスト公妃のアトストフェイエの声だ。スハロートは母の寝室に走った。蝋燭は消えてしまったが、窓から差し込むわずかな月明かりがあるので真っ直ぐな廊下を走るのに支障はない。武装はしていなかったが、金属製の燭台がある。大してあてにはならないが、何もないよりはましだ。走りながら、「誰かある!」と叫んで人も呼んだ。兄と違って対人戦には自信がない。

 スハロートが母の寝室の戸を蹴り開けると、おびえる公妃と短剣を右手に持った黒い影が視界に飛び込んできた。黒い影はスハロートの姿を認めると公妃に飛び付き、短剣を公妃に突き付けて人質にした。

 「何者だ。何が目的だ」

 「ロンセーク伯に命じられた」

 「何?」

 「公妃とサインフェック副伯スハロートを殺せ、と」

 「馬鹿な」

 「……」

 「公妃を解放しろ。もうすぐ人も集まってくる。お前に逃げ場はない」

 スハロートは燭台を男に向けつつ投降を促す。燭台が小刻みに揺れている。恐怖のためなのか、燭台が重くて水平に保つのが困難だからか。それでも、スハロートは半歩前ににじり寄って男に圧力をかけた。とにかく時間を稼ぐ。

 やがて、城兵が集まってきた。男から目を逸らすわけにはいかないので音だけが頼りだが、部屋の外に数人はいる。公妃の部屋に踏み込むのをためらっているようだ。男に、逃げ場はないと思わせれば取りあえずは十分だ。

 スハロートがもう半歩前に出ると、男は公妃を突き飛ばすと窓に向かって飛び退き、そのまま窓から外に飛び出した。既に7月も下旬。夜の涼気を入れるために窓は開放されていた。

 スハロートは黒い影を追って窓にとりついたが、見下ろしても何も見えない。月の反対側なので、城の影が窓の下を黒く覆っていた。スハロートは城兵に、屋外に出て窓の下を確認しろと命じた。ここは3階だ。飛び降りたらただでは済まないはずだ。

 「母上、何があったのですか」

 「突然男が入ってきたのです。出ていけと命じたのですが、剣を抜いて近づいてきたのです」

 母の叫び声はそのときのものか。こうした状況では恐怖で大声が出せないものだが、母はどうやら「無礼者、出ていきなさい」と叫んだらしい。ひ弱なように見えて、芯は強い女性なのだ。

 そんな話をしている間に、窓の下を確認した城兵が戻ってきた。周囲を簡単に捜索したが、怪しい人影はなかったという。3階から飛び降りてもまだ動けたということか。それとも窓外に仲間がいて回収していったのか。いずれにせよ、窓から飛び出す身のこなしは尋常ではなかった。ただ者ではあるまい。

 何かが引っ掛かった。あの男は……とスハロートが気になったことを言語化しようとしたとき、デズロントとルティアセスの叫び声に気を取られた。思考の糸口がするすると逃げていき、引っかかりを捕らえ損なった。

 デズロントとルティアセスは、公妃の部屋に入るのは憚られるのか廊下から様子を窺っている。

 「サインフェック副伯、何があったのですか」と無駄に叫ぶルティアセスたちに、状況を簡単に説明する。2人は「ロンセーク伯からの刺客!?」と口をそろえて驚愕した。ルティアセスは「何と卑劣な!」と叫んで激怒したが、スハロートは怒りよりも悲しみが勝って言葉にならない。

 兄が自分を殺そうとしている。そこまで憎まれてしまったか。どこで間違えた? 何がいけなかった? 自問自答したが答えは見つからない。だが、それでもやるべきことは決まっている。

 「兄に会いに行く」

 スハロートは単身でワルフォガルに乗り込み、兄に会談を直接申し入れることに決めた。使者の派遣などという迂遠なことをしていても始まらない。

 当然、ルティアセスは反対した。殺されに行くようなものだと言ってスハロートを押しとどめようとする。普段は無理強いをしないスハロートだが、今回は違った。スハロートに言を退けられると、ルティアセスは「どうなっても知りませんぞ」と言い捨てて去っていった。死も覚悟の上だ。ルティアセスにどうにかしてもらおうとは思わない。

 デズロントもスハロートのワルフォガル行きを止めたかったが、この様子では聞き入れられる望みは薄い。であるならば、同行してスハロートの動きを逸らす方が得策と考えた。プルヴェントから出てしまえば、スハロートは孤立無援。デズロントの手勢で取り囲めばワルフォガルに行くのを阻むこともできよう。

 「サインフェック副伯、私が道中の護衛を承ります」

 デズロントの申し出を、スハロートは硬い表情で受け入れた。

 「早速出発する」

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