野営
ナルファスト公国領に入り、監察使の下に集まる情報量は格段に増大した。そのほとんどが伝聞によるものなので鵜呑みにはできないが、レーネットからの報告などと突き合わせて分析すれば事実らしきことも多少は見える。
ムトグラフはこの手の作業にうってつけだった。
彼は家名に「ソド」を冠する騎士身分に属する。元来は君主に騎乗で軍事奉仕する階級で、分類としては貴族だがヴァル、ヘルルといった貴族称号を持つ身分よりも低い。
「騎乗で軍事奉仕する」というのはなかなかに大変なもので、馬が一頭いればいいというものではない。複数の軍馬とそれを世話する者、馬具や甲冑、武具を自弁でそろえ、軍事奉仕の際は従者を伴って出陣しなければならない。
騎士身分の中には、没落して馬を養う財力を失い、文官として生計を立てている者もいる。
ムトグラフ家もまた騎乗で軍事奉仕する能力を失った家の一つであり、コーンウェの被官となっている。今は辛うじて騎士身分を保持しているが、騎士身分を剥奪されて平民階級に落とされても不思議ではなかった。
彼は、細い顔には不釣り合いな大きい目を常にきょろきょろさせている。見た目の美しさに大きな価値を見いだす上級貴族にはあまり受けが良くない。
だが能力は高い。
野営地に設営した天幕にウィン、フォロブロン、ベルウェンらが集まって夕食を取っている時間を利用して、ムトグラフは整理した情報を解説した。
「発端は、ナルファスト公オフギースが帝都で急死したこと。レーネット派とスハロート派は互いに謀殺であると主張しています」
「両派の主張に根拠はあるのかい?」
「証拠はないみたいですね。どちらが真であるかは不明です」
フォロブロンが記憶を手繰るようにつぶやいた。
「確か、ナルファスト公の継承者はロンセーク伯の儀礼称号を名乗る慣例だったはずだ」
「副伯のご指摘の通り。ただ、スハロート派はロンセーク伯による公位継承を否定し、サインフェック副伯の公位継承を要求しています。そのためナルファスト公位は宙に浮いた状態になっています」
「儀礼称号って何ですか?」
アデンが口を挟んできた。
「儀礼称号ってのはね……えーと、はい、副伯!」
「じ、自分で説明したらどうだ」
フォロブロンは、ウィンを睨みつつそれでも言葉を続けた。
「大貴族は、複数の爵位を持っている。そこで、二番目以降の爵位を子供たちに名乗らせる。これが儀礼称号だ」
「つまり……ロンセーク伯という爵位を持っているのはナルファスト公本人で、それを称号として名乗っているだけ、ということですね」
「その通りだ」
ベルウェンが「分からねえな」と言った。
「派閥がある原因は何なんです? 兄がよほどうつけ者なのか」
「母親の出自が絡んでるようですね。ロンセーク伯の母はタイドネイエ。生家は、皇帝家の対抗馬と目されるカーンロンド家です。対するサインフェック副伯の母は、先妻の死後に輿入れしたアトストフェイエ。皇帝の遠縁と言えます」
「ということは……」とアデンが再び口を挟む。
「ロンセーク伯が継承すればカーンロンド家の勢力が増すことになり、サインフェック副伯が継げば皇帝に有利となる、と」
「そういうことです。そこで話をややこしくしているのが、それぞれの母の輿入れに同行してナルファスト公国にやって来た貴族たちです。これにナルファスト公国譜代の貴族が婚姻関係で結び付き、関係がさらに複雑化しているようです」
フォロブロンが、苦虫をかみつぶしたような顔をした。自身にも思い当たる節があるのだろう。
「まあ、諸侯領ではよく聞く話だな。長子継承の原則に則ればロンセーク伯が継ぐのが妥当だが、スハロート派はそう簡単には諦められない、と」
「これに拍車を掛けているのが宮内伯の存在です。彼らは、要は皇帝家の使用人です。カーンロンド家への対抗意識から、アトストフェイエが生んだサインフェック副伯を陰に陽に支援しています。スハロート派の勢力拡大の背後に宮内伯たちの露骨な介入があることは、公然の事実と言っていいでしょう」
ここまでの話だと、ナルファスト公国は二大勢力に完全に分裂しているように見えるが、実のところレーネット派、スハロート派というのは本来ごくわずかなのだ。それぞれ二、三家が対立しているに過ぎない。その他の領主はというと、強いて言うならば「ナルファスト公派」であった。要はナルファスト公になった方に従う、というのだ。両派からは日和見主義者とみられているが、このナルファスト公派こそ本来あるべき姿であるとも言える。
「それで、ロンセーク伯はどうしたがってるんだい?」
「ロンセーク伯は対話による解決を目指していたのですが、レーネット派貴族の間では武力による決着に論調が傾きつつあるようです。というのも、ロンセーク伯の呼びかけに対してサインフェック副伯が一切応じていないのです。スハロート派の動きはというと、現時点ではほぼつかめていません。サインフェック副伯は自領に逃亡して以降、ロンセーク伯を糾弾して継承権を主張する声明を発するのみで公的な活動を行っていないのです」
レーネット派の中心人物は、レーネット派の首魁と目されるネルドリエン。レーネットの側近候補として育成されたプテロイル。そしてフォルゴッソ。フォルゴッソは元々スハロート派だったが、成り行き上レーネットに仕えることになったらしい。
スハロート派は、ルティアセスとレーネット派から寝返ったデズロント。最近はルティアセスの動きが活発化している。
「以上です」とムトグラフは結んだ。
「いや、ご苦労様。よく分かった。ような気がする」
ウィンは拍手して褒めたたえた。
「ような気がする、というのは結局分からなかったということですか?」
アデンが嘆息する。
「うん……いや、フォルゴッソとデズロントがどうして違う陣営にいるのか、そこが分からない。貴族の派閥というのは出自と婚姻関係で決まるものだろ? そうそう気軽に鞍替えできるもんじゃないと思うが」
ムトグラフが、我が意を得たりという顔をした。
「そこなのです。おかしいのですよ。不自然なんです」
とはいえ、これ以上の内情は現時点では分からない。
「聞けば聞くほど、どちらかにうかつに味方するわけにはいきませんね」
フォロブロンは「やれやれ」と言いながら天を仰いだ。
「ナルファスト公を死に追いやった原因が明確になれば話は簡単だ。だが原因は明らかではないし、恐らく明らかにはならないだろう」
「とすると、まずは武力衝突の回避が最優先事項ですね」
とアデンがまとめた。
各陣営の勢力はまだら模様のように公国全土に広がっている。無秩序に戦闘が始まると、公国の各所で火の手が上がることになる。
貴族の血縁関係は公国外にもつながっているから、下手をすると周辺諸侯も紛争に巻き込まれる、あるいは介入してくる可能性がある。
こうなるとグライス軍を招集するか、皇帝軍を派遣する、という事態になりかねない。
グライスとは、複数の諸侯で構成された軍管区のことである。広大な帝国の治安維持を目的としたもので、各地の有力諸侯を中心としたグライスを帝国中に配置し、諸侯単独では解決できない紛争を処理させる。
ウィンが首をひねった。
「ん? ナルファスト公が不在の場合、グライスはどうなるんだ?」
「帝国法にその場合の規定はありませんね……」
ムトグラフが答えた。
つまりナルファスト公国が機能不全に陥ると、ナルファスト・グライスも機能しなくなるということだ。
「他グライスには不介入が原則ですから、ナルファスト・グライス以外がナルファスト公国の問題に手を出すのは帝国法に違反することになります」
「じゃあどうするのさ」
「ナルファスト公国の戦火が制御不能に陥ったら、皇帝軍を編成するしかありません」
ウィンは嫌そうな顔をした。
「皇帝軍を出すことになったら怒られるな……」
フォロブロンが発言しようとすると、言葉を発する前にベルウェンに腕をつかまれた。ベルウェンの視線の先には、居眠りしている監察使の姿があった。
「何!? 先ほどまで話をしていたではないか」
フォロブロンが顔を引きつらせる。
「今日はお開きですな」と言ってベルウェンは苦笑した。
そのとき、天幕に二五歳前後の女が入ってきた。
「ウィンはいるかい?」
必要以上に体形を強調した服を着ている。一応着てはいるが、そもそも体を覆っている面積が最小限なので服と呼べるのか、という問題もある。
「ようアディージャ。大将ならそこに転がってるぜ」
ベルウェンがウィンを爪先でつついた。
「まったくどこでも寝る男だね。赤ん坊みたい」
アディージャは監察使軍について回っている娼婦である。
ある程度の規模の軍勢は、商人や娼婦を引き連れていることが多い。彼ら彼女らは行軍中の軍勢に各種補給物資や慰安を提供する。一〇〇〇人規模の軍勢ともなれば、毎日二〇〇〇食の食事や酒、女といった需要が生じるからだ。彼らは軍勢を見掛けるとどこからともなく集まってきて、勝手に付いてくる。
監察使軍には約二〇〇人の「商売人」が同行していた。彼らに限っては、自然に集まってきたのではなくベルウェンが呼び寄せたのだろうとフォロブロンはみている。ベルウェンは武具などの軍需品の生産や娼婦の元締など、かなり手広く手掛けているらしい。彼らを使って食料や酒、女を傭兵に売り付け、傭兵に支払った報酬を回収しているのだ。抜け目のない男である。
「大将に何の用だ」
「私の妹分が、『ウィンが最近来てくれない』って言うから連れてこうと思ったんだけど」
「その様子じゃ今日はもう起きねぁな」
アディージャは仕方がないとばかりに深いため息をつくと、天幕から出ていこうとした際にフォロブロンと目が合った。
「おや副伯様。相変わらず男前。今夜のお相手は決まってるの?」
フォロブロンは苦笑いして、「いや、明日の行軍に備えてそろそろ寝るよ」とやんわり辞退した。アディージャはふふんと笑い、「若いのに淡泊だねぇ」と言い残して去って行った。
グライスは、神聖ローマ帝国の「帝国クライス」(「グ」ライスではなく「ク」ライス)が元ネタです。
かなり単純化して、都合良く改変しているので史実のクライスとは別モノになっており、名称が似ているだけになっていますが。




