ワルフォガル開城
5月初旬、レーネットとオフギースの棺、そして帝都に連れて行ったナルファスト公国軍がワルフォガルに戻ってきた。歩兵も率いての行軍だったこともあり、デズロントに半月以上遅れての帰還だった。
ワルフォガルはワルフォガル城を中心に広がる城塞都市で、単に「ワルフォガル」と言う場合は都市全体を指す。
多くの街がそうであるように、ワルフォガルも都市全体を円形の城壁で囲んでいる。城壁が円形なのは死角が減って防御しやすく、城壁の長さも短くて済むからだ。地形の影響で形がいびつになることはあるが、余程の理由がない限り円形にするのが合理的なのである。
ワルフォガルの城壁には、東西南北に一つずつ城門がある。特に北門は帝都まで通っているストルン街道の終着点であり、正門とされている。
春の陽光は暖かく、木々の緑も濃くなってきたが、レーネットの目に映る景色は冬のように寒々としていた。レーネットらの前にある北門は固く閉ざされており、開門の命に応じる気配はない。
「やはりスハロート様には逆心がおありなのでは」
レーネットに常に付き従うべく幼い頃から共に育てられた、ヴァル・プテロイル・アルサースが懸念を示す。プテロイル家はナルファスト公家たるナジステオ家の同族であり、一門衆として遇されている。ただし一門衆の中では席次が低い。アルサースはそれを必要以上に意識しているきらいがあり、それは時に他者を貶める形で発露することがある。
「プテロイル卿、まだそうと決まったわけではございません。うかつなことをロンセーク伯に吹き込むのはお控えください」
「まだサインフェック副伯をかばい立てするのか、フォルゴッソ卿。こうしてレーネット様やナルファスト公を閉め出しているのが何よりの証拠ではないか」
「先着したデズロント卿がよからぬことを吹聴したのやもしれませぬ。この段階でサインフェック副伯を共犯者と見なすのは早計でありましょう」
「サインフェック副伯に含むところがないのであれば、デズロント卿を処断してレーネット様を迎え入れているはず。だが現実はどうか。これが兄君に対する仕打ちか!」
プテロイルとフォルゴッソの口論が熱を帯びる。このようなやりとりは帝都からワルフォガルへの道中で何度も繰り広げられてきた。レーネットはたしなめる気力を失い、深いため息をついた。
ワルフォガルが色あせて見える。こんな帰還を誰が想像しただろうか。父と共に、弟たちと義母の笑顔に迎えられるはずだった。だが、もはや全てを失ってしまったようだ。閉ざされた城門が深い悲しみを呼び起こす。
レーネットはもう一度気力を振り絞り、ワルフォガルに呼び掛けた。
「開門! いつまでもナルファスト公を城外にさらしておくつもりか! 門を開けよ!」
そのとき、城門の上の通路からスハロートが顔を出した。
「兄上とフォルゴッソ卿が父を害したというのは誠ですか!」
やはりそういう話になっているのか。しかし本当にそうなのか? 「そういう話にした」のではないのか? スハロートを信じたいという気持ちとは裏腹に、疑惑が腹の底から湧き出てくる。
「私が父を害して何の得があるか! デズロント卿に何を吹き込まれた! それともお前がデズロント卿に吹き込んだのか!」
レーネットの言いようにスハロートは怒りを感じたが、先に自分がレーネットに疑惑をぶつけたことに気付き、冷静さを保った。
「このままでは埒があかぬ。家臣たちに聞かせるべき話でもない。まずは門を開け。話し合いが必要だ」
「兵を引き入れて、支配権を一気に確立するおつもりか。妹や弟の安全をどうやって保証してくれますか」
「俺がウリセファとリルフェットを殺すと思っているのか」。スハロートの言葉に、レーネットは目の前が真っ暗になるような気持ちになった。
スハロートは、兵を率いて戻ってきたレーネットに恐怖しているのだろう。そう思っても、やはり大事な何かが既に壊れてしまったことを悟らざるを得ない。だが、壊れたのならば再び作ればいい。
「ならば私が1人で中に入る。それでもお前たちの安全が脅かされると思うほど私の評価は高いのか?」
だが、プテロイルとフォルゴッソがそれに強硬に反対した。
「いけません。それではデズロント卿らの思うつぼです。レーネット様を失ったら我々がどうなるとお思いですか」
「お一人で行かせるなど言語道断。ロンセーク伯の安全が保障されません」
「何だ、貴公ら初めて意見が一致したではないか。いつもそうであってほしいものだ」
あまりの煩わしさに、つい皮肉を言ってしまった。だが、レーネットとスハロートの間に割り込もうとする2人への苛立ちは解消しなかった。
スハロートは、城門の前で言い合うレーネットらを悲痛な面持ちで眺めていた。スハロートがレーネットを害するなどあり得ないというのに。
そこに、ヴァル・ネルドリエン・ロッスラフとそれを押しとどめようとするデズロントがやって来た。
ネルドリエンは42歳にして髪も髭も完全に白くなっている。160メル程度の身長ながらよく肥えているのでその体は妙に大きく見える。彼は小さな目をさらに細めてスハロートを睨み付けた。
「サインフェック副伯、ロンセーク伯を閉め出すとは一体どういうことですかな」
「ネルドリエン卿、お待ちください。サインフェック副伯にもお考えがあるのです」
「デズロント卿がなぜロンセーク伯の締め出しに加担するのか。訳が分からぬ。まず城門を開けてロンセーク伯をお迎えせよ。その上でデズロント卿とサインフェック副伯にはこの事態の詳しい説明をお願い致す」
ネルドリエンはレーネット派の中心人物であり、それ故にスハロートへの物言いは遠慮が少ない。今回の件をもって謀反の意志ありとしてスハロートを糾弾し、公位継承権を完全に剥奪しようとするだろう。それはいい。ただし、今問題にしているのは妹と弟の安全の保証だ。兄の陣営にも意見の対立があるのが見て取れた。兄はともかくその取り巻きたちがどう動くのか、兄はそれを抑えられるのか、確信が持てない。
押し黙るスハロートに苛立ちを募らせたネルドリエンは激高寸前だった。顔を赤くして門を開けろと怒鳴り始めた。
だめだ、この環境では兄との話し合いなどできない。兄と自分の2人だけで落ち着いて話せば済むことなのに、周りの人間が邪魔をする。城門という存在も兄との距離を遠ざけるだけだ。
スハロートは絶望した。
無理だ。
だめだ。
自分が無実であるように、兄も無実に違いない。兄も信頼してくれると思った。この信頼関係があれば必ず関係を修復できる。互いの誤解を解くことができる。そのための環境をつくる必要がある。
「ネルドリエン卿。私は妹と弟を連れてワルフォガルから退去する。その後、門を開けて兄上をお迎えしてほしい。それでよろしいか」
「いけません! ワルフォガルを確保していなければロンセーク伯に対抗できませんぞ」とデズロントがスハロートに取りすがった。
「しかしこのままでは兄上と話し合うこともままならない。いったん距離を置くべきではないのか」
「ワルフォガルから退去すれば、サインフェック副伯の正当性が揺らいでしまいます。ワルフォガルを確保して、ここからナルファストに号令せねば!」
なおも制止しようとするデズロントをネルドリエンの家臣が取り押さえた。
「手荒な真似はしたくない。おとなしくしてもらおう。サインフェック副伯、今のお話は本当でしょうな」
「二言はない。退去しよう」
「お逃げになる、と解釈致しますぞ」
「退去する、と言った」
猜疑の目を向けるネルドリエンを睨み返す。しばらく睨み合いが続いたが、何か思うところがあったのか、ネルドリエンはふと表情を和らげてワルフォガルの東門を指し示した。
「あちらの門からご出立なされませ。プルヴェントに向かわれるなら東門が最適でございましょう」
プルヴェントはスハロートに与えられた領地の中心となる街で、中にスハロートの屋敷もある。
スハロートはうなずくと、城門から下りて妹たちのところに向かった。あまり時間はない。事態がどう動くのか分からない以上、急いで退去すべきだ。
スハロートは母、妹、弟、家臣たちの質問や抗議を黙殺し、最小限の荷物だけを持たせて東門を出た。生活に必要なものはプルヴェントでも手に入る。兄との和解が成立すればワルフォガルにも戻れる。
デズロントもスハロートに同行した。政敵フォルゴッソがレーネットのそばにいる以上、ワルフォガルに残るわけにはいかない。フォルゴッソは何としてもデズロントをナルファスト公殺しの犯人に仕立て上げるだろう。デズロントだけを悪者にしてレーネットとスハロートの和解を成立させるという筋書きもあり得る。
スハロートが東門から出たことを確認したネルドリエンは、正門を開けてロンセーク伯をお迎えせよと命じた。
ネルドリエンの口元は、笑いでゆがんでいた。