スルデワヌトの罠
アトルモウ城では、将軍のスチトルニエトがアルテヴァーク王スルデワヌトに作戦失敗の報告を終えたところだった。
スルデワヌトは苛烈な君主として知られている。前衛を全滅させられた上、おめおめと撤退してきたスチトルニエトがどうなるのかと、ある者は不安、ある者は期待をもって成り行きを見守っていた。
スルデワヌトは「ご苦労だった。下がって休め」と言っただけだった。その場にいた全員が驚いて、「王の顔を見つめる」という無礼を働いていることを忘れて彼に注目した。
皆の視線に気付いたスルデワヌトは、説明の必要を認めた。普段であれば無視するが、この日はたまたま応える気になった。そんな日もある。
「今回の作戦を考えたのは余自身である。スチトルニエトはその通りに行動したに過ぎない。挟撃に失敗した時点でこの作戦は失敗である。さらに敵本隊との会戦を実施した場合の結果は予測できぬ。前衛の全滅を知った段階で撤退を決断したのは適切である」
敗北の不快感を前線の将にぶつけるなど、暗愚な君主の八つ当たりに過ぎぬ。忌々しい限りだが、敗戦の責を負うべきは自分以外にあり得ない。
スチトルニエトが猪突せずに撤退したため、アルテヴァーク軍の戦力はほぼ温存されている。緒戦は負けはしたが、悪くない状態である。
ダウファディア要塞とアトルモウ城を押さえてナルファスト公国南部にアルテヴァークの橋頭堡を確保する、という当初の戦略目標はほぼ達成した。ただしこれを永続化させるためには、敵の野戦能力を粉砕して有利な条件で講和する必要がある。つまり、ダウファディア要塞とアトルモウ城、そしてこれらをつなぐ南部領土の正式な割譲を迫って認めさせるのだ。
これによって、岩山と牧草地に覆われてろくな作物も育たず産業もないアルテヴァークが豊かな土地を手にできる。ナルファスト公国への侵入も容易になり、支配領域の拡大も夢ではなくなる。だが敵に交戦能力が残っている限り、ダウファディア要塞とアトルモウ城の安全は脅かされる。レーネット軍の野戦戦力を粉砕して一時的にであれ交戦不能の状態にしなければならない。
スルデワヌトにも泣きどころはある。アルテヴァークは複数の騎馬民族の連合体であって、その全てがスルデワヌトに心服しているわけではない。力で押さえつけることで支配しているのだ。スルデワヌトがアルテヴァークをがら空きにしてナルファスト公国に居座っていると、力による支配が緩む恐れがある。一刻も早くアルテヴァークに戻って、誰が王なのかを改めて知らしめる必要があった。
レーネット軍も早期決着を望んでいるはずだ。ナルファストがレーネット派とスハロート派に分かれてナルファスト公が空位になっている状態も、アルテヴァーク王国に侵略されてそれを撃退できないのも、統治能力の欠如と見なされる。帝国の介入はナルファスト公国にとって失点でしかない。皇帝が動き出す前にアルテヴァークを撃退して、継承権争いに決着を付けたいと考えているのは間違いない。とすれば積極的な攻勢に出てくる可能性が高い。
アルテヴァークをナルファストから追い出すには、アトルモウ城とダウファディア要塞を奪還しなければならない。効果的なのは、ダウファディア要塞を突くことだ。
アトルモウ城ならば、奪還されたとしてもダウファディア要塞に退いて再戦を挑む余裕がある。逆にダウファディア要塞を落とされると退路を断たれ、アトルモウ城で孤立する。アルテヴァーク本国の状態も不安な今、これは絶対に避けなければならない。
ダウファディア要塞を直接突くとしたら、アプローエ山脈の東側を南下するはずだ。彼我の戦力差とアルテヴァーク軍の騎兵力を鑑みれば、敵は山麓の台地に布陣して高所の利を確保しようとするに違いない。自分がならそうする。アルテヴァーク軍にとって極めて不利だからだ。
であれば、そうさせなければよい。
スルデワヌトは側近を呼び寄せ、「ルティアセスを呼べ」と命じた。ルティアセスはあっという間に参上した。
「お召により参上仕りました、国王陛下」
「次の戦いには歩兵も必要になる。お主らにも働いてもらうぞ」
「それはもう、アルテヴァーク騎兵のお邪魔にならぬよう、務める所存」
スルデワヌトは反抗を許さないが、ルティアセスのごとく追従を弄する者も嫌いだった。だが、ナルファスト公国南部を獲得した後、それを維持する者が必要だった。他に適当な駒が手に入るまではルティアセスを利用するしかない。
汚物を見るような目を隠そうともせず、スルデワヌトはルティアセスを見下ろして続けた。
「ところで、サインフェック副伯にはまだお目にかかれぬのか。盟約の相手と一度も会うことがかなわぬとはさみしいではないか」
「サインフェック副伯は流行り病に伏せっており、起き上がることもままなりませぬ。国王陛下に病がうつりましては一大事。今少しお待ちを」
ルティアセスの返答は変わらない。病を盾に会えぬの一点張りである。
スルデワヌトとしては、必要であれば感染の危険を冒すこともいとわない。だが、スハロートに会うことにそこまでの価値を見いだしていない。スルデワヌトが欲しかったのは、ダウファディア要塞の通過権とサインフェック副伯を支援するという大義名分だけだ。
今やダウファディア要塞はアルテヴァークの管理下にある。スハロートなどほぼ用済みなのである。会えようが会えまいが、生きていようが死んでいようが、大した問題ではない。
だが戦いは終わっていない。アトルモウ城にあるサインフェック副伯らの兵力にはまだ利用価値がある。アルテヴァークのために使わない手はない。
「近くロンセーク伯と監察使の連合軍が進出してくるであろう。勝敗はサインフェック副伯とルティアセス卿の兵力に懸かっている。貴公らの働きに期待するところ大である」
「必ずや国王陛下のお役に立ってご覧に入れまする」
そう言って、ルティアセスは下がっていった。
余の役に立つだと? 貴様は一体誰の家臣なのだ。
心の中で吐き捨てたが口に出しては何も言わない。不快感を洗い流すかのようにぶどう酒をあおると、杯を石畳に投げ捨てた。
「ロンセーク伯と帝国の犬よ、早くダウファディア要塞を取り戻しに来るがいい」




