決裂
「負傷者を連れ回すわけにはいかないからねえ」
「増援を含めた再編も必要だ」
というわけで、オルドナ方面軍はファッテン伯の城館があるカルトメイメンに向かった。
ファッテン伯ズドロテスは、ウィン一行を大いに歓迎した。彼は、七年前の海賊騒動で爵位を剥奪された兄ガミロテスの実弟である。
ズドロテスは、壊滅したナインバッフ・グライス軍の再編に着手していた。
「兵はどうするんだい?」
「ファッテン伯軍を中核に、ナインバッフ公が率いていた残存兵力をファッテン伯領に糾合しております」
ズドロテスの表情は険しい。思い詰めたような顔で自分の手のひらを見つめている。
「私はテルテトール家の廃絶すら覚悟しておりました。しかしナインバッフ公が『当事者の処分だけで十分』と強硬に主張して、今に至ります。ナインバッフ公の恩に報いなければなりません」
「ファッテン伯はどう動くおつもりか?」
「ナインバッフ・グライス軍はオルドナ方面軍の指揮下に入る所存。しかし、再編成にはまだ時を要します」
「そうだねえ。ヌヴァロークノ軍がどう動くか読めないしね」
ウィンは、しばらく考えてから方針を示した。
「ファッテン伯は引き続き、グライス軍の糾合と再編に注力していただきたい」
「グライス軍の再編が成った際はいかように動けば?」
「クーデル王と決着をつけるのさ」
◆
オルドナ方面軍は、ファッテン伯領を通ってオルドナ伯領南部に再侵攻した。
そして今、当初の計画通りゲンデの森を押さえて各街道を監視している。
セルケー平原で多くの兵を失い、トローフェイルに籠もっているヌヴァロークノ軍は五〇〇〇程度に減少していると想定される。
問題は、クーデル三世が今どこにいるのか。
トローフェイルに残留しているのであれば、ここに彼を封じ込めておかなければならない。
三月中旬に入り、ようやく寒さも和らいできた。ウィンが鼻水を垂らしていることも少なくなってきた。
森の中に設営された本陣でウィンが昼寝から目覚めると、横にフォロブロンが座っていた。彼は、ウィンが目を覚ましたことに気付くと発酵茶を満たした茶わんを差し出した。
「うなされていたようだが?」
「ちょっと、変な夢を見てしまった」
ウィンは、わははと笑った。
フォロブロンは、少し目を細めると視線を外す。
ウィンがこの笑い方をする理由に気付きつつあるが、受け流して話題を変えた。
「クーデル王はまだトローフェイルに居ると思うか?」
「んー、五分五分だね」
「確かにな……」
「オルドナ伯領での戦争を終わらせるまで数年はかかるだろうね。そんな仕事はグライス軍にさっさとお任せしたいな」
「そのための作戦というわけか」
そのとき、ヨーレントが天幕に飛び込んできた。
「ムルラウ大公から、参陣要請です」
「何だと!?」
ナインバッフ方面軍はナインバッフ公国南部に到達し、ニークリット公国軍に向かって進軍中であるという。フォロブロンは皇帝軍の一角として参陣せよとムルラウが言ってきたのだ。あくまでも要請という形式を取っているが、命令と大差はない。
天幕に居る全員がフォロブロンを見ている。クーデル王を確実に捕捉するには、少しでも兵力が欲しい。ここでフォロブロン麾下の皇帝軍に離脱されるのは痛い。
フォロブロンの立場として、皇帝軍司令官であるムルラウの要請に応じるのは当然のことだ。だが、オルドナ方面軍の一翼として持ち場を離れることはできない、とも思う。
フォロブロンは、存在感の低下に忸怩たる思いを抱えている。
誰もフォロブロンを蔑ろになどしていないし、彼の価値を高く評価している。それは分かった上で、ウィンに引け目を感じている。
そう感じる卑小な自分が許せない。
ウィンは実戦指揮官としての能力は皆無で、この面では役立たずだ。だが、戦略的な判断は常にフォロブロンよりも正しかった。
ナルファスト継承戦争では互いの欠点を補い合う関係だったが、ウィンは自分の家臣を持つに至り、「ウィン軍」としてはフォロブロンが欠点を補う必要もなくなってしまった。これがフォロブロンの劣等感を刺激した。
ウィンが最初から上位者であったなら、フォロブロンは自然に従うことができただろう。
フォロブロンは嫉妬や妬み、劣等感といった負の感情と向き合い続けた。そしてその根底にある己の醜さを見つけてしまった。
フォロブロンは、どこかでウィンを見下していたのだ。それが全ての元凶だった。フォロブロンは、ヘルル貴族を虐げていた醜い連中と同じ穴の狢であったことに気付いたのだ。
ウィンと共にいると、自分の醜さを直視し続けることになる。ムルラウの要請は、ウィンから離れる格好の口実になるだろう。ムルラウという圧倒的上位者の下であれば、劣等感を刺激されることもない。
皇帝軍司令官の命令と劣等感からの解放。どちらの観点でも、ムルラウに従うのが合理的な判断であった。だが、「そのためにオルドナ方面軍を見捨てるのか?」とささやく内なる声が黙らない。
「難儀な性格だ」とフォロブロンは自嘲した。
フォロブロンの沈黙を苦悩と受け取ったウィンが口を開いた。
「今からではムルラウ大公とニークリット公の会戦には間に合わない。であれば我々に協力してくれると助かるな」
この一言がフォロブロンの感情の均衡を崩した。
――駄目だ。止まれ。そうではない。そうではないのだ!
内なる声が叫んでいる。自分の誤りを正そうとしている。
だが、坂道を転がり始めた感情を押しとどめるすべがなかった。必死に食いとめようとする内なる声を嘲笑うかのように、感情が口からほとばしっていた。
「私は皇帝軍の指揮官であり、司令官命令に従う義務がある。間に合う間に合わないの問題ではない。私とラフェルス伯は同格であり、貴公に指図される覚えはない!」
「いや、アレス副伯に指図するつもりは……」
「参陣命令を受けたからには、間に合うべく努力する。それが私の成すべきことである。では失礼する。ウレスペイル、ヨーレント、ナインバッフ公国に移動する!」
彼はそのまま天幕を出ると、麾下の士爵たちに出陣の準備を命じた。
「こいつは弱ったな」
ウィンは頭をかきながら、弱々しく笑った。




