白と赤
風が収まった。十二日ぶりに日光が差し込み、白銀の世界が眩しく輝いている。久しぶりの陽光の下を小鳥たちが楽しげに舞っていた。
「ひゃ~、真っ白だねぇ」
手のひらに白い息を吹きかけながら、ウィンは様相が一変したセルケー平原を見渡した。強風で吹き飛ばされたためか、十二日間も降り続けた割には平原部の積雪量は五十セル程度だった。
一足先に外に出ていたフォロブロンが振り返った。
「やっと出てきたか。今日こそ遅れを取り戻すぞ」
「しかしアレス副伯、この雪の中でどうやるんです?」
アークラスムが周りを見渡しながら無精髭をボリボリとかいた。
「私も雪中戦など経験がない。冬はそもそも休戦期間だしな」
フォロブロンは髭をきれいにそった顎を撫でながら顔をしかめた。アークラスムがベルウェンに視線を移すと、ベルウェンは首を横に振った。
「俺もなしですな。ラゲルスなら経験があるんですがね」
「ここで困惑していても仕方がありません。敵陣を落とすのみ」
レンテレテスの一言で、ウィンを除く全員が麾下の兵の下へと向かった。
ベルウェン隊が横隊を作って最前列を構成し、盾で雪をかき分けながら前進する。その後ろをポロウェス隊、アークラスム隊が矢を射かけながら進む。ヌヴァロークノ軍の陣地からも矢が飛んでくるが、両軍共に損害らしい損害はまだ出ていない。
ベルウェン隊が止まった。
「ベルウェン、ご苦労だった!」
ポロウェス隊がベルウェン隊の隊列を擦り抜けて前に出る。
「全員突撃。土塁を突破せよ!」
ポロウェスの号令で、ポロウェス隊がヌヴァロークノ軍の陣に殺到した。
雪が吹き寄せられて、土塁は本来の高さを失っていた。ポロウェス隊は土塁の下にたどり着くと、盾を雪の上に乗せて足場にし、雪でできた傾斜を駆け上がった。盾が圧力を分散して、足が新雪にめり込むのを防いでいる。
ポロウェス隊に続いてアークラスム隊も土塁にとりついた。
ベルウェン隊は少し後ろに下がり、矢を曲射してポロウェス隊とアークラスム隊を援護する。
各隊の巧みな連携によって、土塁の攻略は順調に進行している。
「トローフェイルからは出てこないな」
フォロブロンがウィンの隣に馬を寄せて話しかけてきた。
「そうだね。地吹雪が止んだら押し出してくると思ったんだけど……」
「では私もそろそろ出る。ラフェルス伯はレンテレテス卿の部隊と一緒にここで待機していてくれ」
フォロブロンは槍を掲げると、「出るぞ!」と叫んで駆け出した。
ウィンの護衛を託されたレンテレテスは、前線を眺めて顔をしかめた。
「野戦陣で堅固に守られているとはいえ、数的には我が軍が圧倒的に有利。トローフェイルが出てこないとなると、本当に捨て石ですな」
レンテレテスは敵の戦略がどうしても納得できなかった。ここを死守して討ち死にすることに戦略的な意義があるならそれもよし。その役目に殉じる覚悟もある。だが皇帝軍をわずかに足止めしたところでヌヴァロークノ軍に得るものは何もない。犬死にだ。
ウィンの顔は苦痛に歪んでいた。
「雪の上で戦うのは……悪趣味だね。血の赤を際立たせる。あの赤が人の命かと思うと、やりきれないな」
これまでも、自分の命令で多くの血が流れた。分かってはいるつもりだったが、気付かないようにしていた。だが、雪の上ではそれらが可視化されてしまう。
――あの赤色は。
一瞬、脳裡を嫌な光景がよぎってウィンは目眩を覚えた。
◆
その頃、トローフェイルでは……。
「スソンリエト伯、黒い狼煙はまだ上がらぬか」
「そのようですな。まだ交戦状態に入っていないのでしょう」
皇帝軍と交戦状態に入ったら、待ち伏せ部隊は黒い狼煙を上げる。それを合図に、クーデル三世自ら出陣して挟撃する手はずになっている。
白い狼煙は「皇帝軍に不穏な気配あり」の知らせである。白い狼煙が上がるのを確認したトローフェイル本隊は、出陣の準備を整えている。
「私が偵察してきます。陛下は引き続きご準備を」
スソンリエト伯は騎兵だけで構成された手勢を率いてトローフェイルを出た。
しかし黒い狼煙は上がらず、スソンリエト伯も戻ってこなかった。
◆
寡兵を巧みに指揮して帝国兵を防いでいたバンナーボブゾンは、険しい顔で東の空を眺めた。
「ベンデンフォンゾン、援軍はまだ見えぬのか」
「見えません」
バンナーボブゾンは口を閉ざすと正面の土塁に視線を戻した。
ヌヴァロ島に降る粉雪とは異なり、帝国に降る雪は水分を多く含んでいて重い。ヌヴァロークノ人たちは、雪を簡単に踏み固められることに驚いた。
高く盛り上げた土塁は雪に埋もれ、容易に乗り越えられてしまった。土塁の前面に吹き寄せられた雪が、土塁をよじ登りやすくしてしまったのだ。
「北国の我らが雪を味方にできぬとはな……」
バンナーボブゾンは土塁を睨みながらつぶやいた。
「それにしても、トローフェイルは何をしているのでしょうか」
ベンデンフォンゾンが、ついに疑念を口にしてしまった。皆、あえてそのことに触れないようにしてきたというのに。
バンナーボブゾンは、ベンデンフォンゾンの発言に答えるのを避けた。いま口を開いたら、指揮官として口にしてはならないことを漏らしてしまいそうだったからである。
――話が違う。
皇帝軍が攻撃を仕掛けてきたら、白い狼煙を上げる。それを合図にトローフェイルの本隊が出陣して挟撃するという手はずだったではないか。
なぜクーデル王は現れぬ。
考えたくもないが、我々は見捨てられたのではないか。ここに皇帝軍を引きつけて、ポレンヌーゾン公爵が居るゲルペソルに退いてしまったのではないか。
それならそれでよいのだ。
「王が退く時間を稼ぐため、囮となって討ち死にせよ」
そう命じられたなら、喜んでその大任を全うしよう。だが、偽って死地に置き去りにされたのだと思うと無念でならない。
あの男、スソンリエト伯は確かに言った。
「皇帝軍が攻めかかってきたら、『白い狼煙』を上げてほしい。それを合図に、王と共に我らが必ず皇帝軍の背後を衝く」
帝国の制度に不満を持ち、公爵の地位を実力で手に入れようと試み、敗れて地位も領地も失った男。頭も切れるし気骨もある。クーデル王は彼の才を惜しみ、再起の機会を与えたもうた。
バンナーボブゾンも、帝国の事情に通じ、この待ち伏せ部隊の出陣に当たって戦い方を伝授してくれたスソンリエト伯を評価していた。彼が率いていた騎兵を譲り受け、わずかながら騎兵戦力を増強できたことにも感謝している。
だが、今にして思えばスソンリエト伯は本当のことを言っていたのか。
援軍が来ないのはなぜか。
誰の意思なのか。
騙されたのか。
それとも王の身に何か変事が起こったのか。
何も分からない。
何も信じることができない。
バンナーボブゾンが思考の沼にはまっている間に、戦況は大きく動いていた。バンナーボブゾンは、周囲の怒声怒号によって現実に引き戻された。
皇帝軍が土塁を突破して、次々になだれ込んで来た。
「あんたが大将かい?」
目の前に迫ってきた男が帝国語で何か言った。バンナーボブゾンは帝国語が堪能ではなかったが、「大将」という単語は聞き取ることができた。
「いかにも」
彼は背筋を伸ばし、相手の目を見据えて力強く答えた。
――ヌヴァロークノ語は分からなくても、肯定したことは伝わっただろう。もうよい。この男に終わらせてもらうとしよう。
バンナーボブゾンは男に正面から向き合うと、わずかにほほ笑んで直立した。
皇帝軍の男は、剣を顔前に捧げてバンナーボブゾンに目礼すると、バンナーボブゾンの首を跳ね飛ばした。




