不和と接近と疑念
ダルンボック伯ヴァル・カーンロンド・フェルデゼンがワルヴァソン公インゼルロフト四世の宮殿に呼び出されたのは一月の初旬だった。
「お召しにより、まかり越しました。伯父上」
インゼルロフト四世は、人払いした私室で椅子に深々と腰掛けてフェルデゼンを一瞥した。彼に椅子を勧めることもなく、いきなり本題に入った。
「私に何か言いたいことがあるそうではないか。お前の相手をしている暇はないのだが、少し時間ができた。聞いてやる。言え」
フェルデゼンは立ったまま硬直した。恐怖公に「言え」と迫られて面と向かって言えるわけがない。
百二十数えるほどの時間が流れた。
「陰でコソコソと言うことしかできんのか?」
インゼルロフト四世は失笑した。これに若いフェルデゼンは反応した。
「カ、カーリルン公との縁組が失敗したのは伯父上の失策ではありませんか」
「ほう、私の落ち度と申すか」
「皇帝陛下に仲介を依頼しただけで、後は何もなさらなかったとか。もっとやりようがあったのではありませぬか」
「お前の言う通りだ。だが、お前も何も言わなかったではないか」
フェルデゼンは言葉に詰まった。
縁組が頓挫した当時、公爵の夫君の地位には多少未練はあったが、さほどのこだわりはなかった。
だが、皇帝の葬儀の際にアルリフィーアを見たことで、急に惜しくなった。あの美姫を妻にできたかもしれないと思うといかにも無念であった。
そんなフェルデゼンを、インゼルロフト四世は冷ややかな目で眺めていた。
「それで、お前は何をした。ラフェルス伯は、カーリルン公に自ら求婚し、爵位を得るために皇帝に直談判したという。そのときお前は何をしていた」
「縁談相手に直接会いに行くなど、普通はせぬものです」
「そうだな、普通はしない。だが、ラフェルス伯はそれをやって、妻を得た。普通のことしかできぬ者は敗者になる」
「わ、私の落ち度だとおっしゃるのですか?」
「ふむ。そう聞こえなかったのなら、それは私の落ち度だ。謝罪して言い直すとしよう。お前の落ち度だ」
フェルデゼンは顔を紅潮させると、挨拶もせずに退室した。
「ふん、まだまだ若いな」
これまでの無為無策も伯父への無礼な振る舞いも、取るに足りない些事に過ぎない。
この敗北と屈辱をどう生かすのか。
生かさないのか。
フェルデゼンの真価はそれによって問われる。
「これであの小僧が成長するなら、カーリルン公領を手に入れ損ねたことすら安いものだが、さてな……」
フェルデゼンがワルヴァソン公国の首府デルゲゾルムにある屋敷に戻ると、伯母のケレメーレンからの書状がダルンボック伯領から転送されていた。
「先帝アートルザース三世の娘アストライエとの縁談を進める」という一方的な宣言だった。
あまり交流のないケレメーレンからの唐突な話に驚いたが、先帝の娘であればカーリルン公家よりもはるかに家格が高い。
「ふん、カーリルン公などよりティーレントゥム家の方が俺にはふさわしいというものだ」
文句しか言わない役立たずの伯父よりも伯母の方が頼りになりそうだ。
「伯父上など、こっちから見限ってやるさ」
◆
ワルヴァソン公国は、十万を超える兵を擁するといわれるフェンエルス王国と単独で対峙している。
帝国西方の大国フェンエルス王国と隣接するワルヴァソン公国にとって、帝国の動揺は好ましい状態ではない。
帝国が安定していればフェンエルス王国とておとなしくしているしかない。だが、帝国にワルヴァソン公国を支援する力がないとみれば、必ずフェンエルス王国は攻めてくる。現王フェルノフェシス五世はそういう男である。
彼は狡猾な陰謀家で、機を見るに敏でもある。厄介なことに、優秀だった。インゼルロフト四世はフェルノフェシス五世が心の底から嫌いだったが、能力は認めていた。
隙を見せたら寝首をかかれる。
無論、だからといって乙女のように震えているわけではない。彼は彼で、フェルノフェシス五世の寝首をかいてやろうと隙を窺っている。
一方で、フェルノフェシス五世の弟ダルレアン公の娘マルリーセネトを妻に迎えている。つまり表面上は同盟関係にあった。この関係を使って、自分のために相手の力を利用してやろうとインゼルロフト四世とフェルノフェシス五世は考えている。
フェルノフェシス五世の軍事力とインゼルロフト四世の帝国内での影響力。両者の結合は非常に強大だった。
これが政治というものだ。
だが、インゼルロフト四世の頭をいま占めているのは、帝国内のこと、ティーレントゥム家のことであった。
ロレンフスの覇気のなさがまず不審だった。
大公時代の面影は全くなくなってしまった。ティーレントゥム家の現当主があの体たらくでは楽しめない。
ロレンフスがああなった原因の一つは、あの平民の娘の息子だろう。あれは予想外の行動に出ることがある。意外性という面では実に愉快な男だ。
ロレンフスの思考と行動は、論理的に考えれば読める。敵が居て、鉄の剣と木の剣があれば、ロレンフスは迷うことなく鉄の剣を取って相手を切り伏せる。その手に金貨があり、目の前に貧民がいれば、金貨を投げ与える。
逆に、状況証拠から何をしたのかも想像できる。
インゼルロフト四世は、アートルザース三世の葬儀の日を思い浮かべた。
葬儀のときに見たアートルザース三世の顔。
そう、顔だ。
誰も不審に思わなかったようだが、幼少期からアートルザース三世の顔を見てきたインゼルロフト四世は気付いた。
鼻が曲がっていた。
はなはだ不本意だが、アートルザース三世は非の打ちどころがない美男だった。
彼の鼻筋は、それは見事に通っていた。その鼻が、わずかに曲がっていた。あれは、何かを強く押し付けられて折れたのだろう。
顔には他に目立った傷はなかった。
とすれば……。
枕を顔に押し付けられた……か。
誰にやられたのか?
居たではないか。あからさまに不審な人物が。
計画的な犯行ではない。衝動的なものだろう。
感情の制御がこれまでは完璧だったがゆえに、自らの感情的な行動に衝撃を受けたか。
あの小僧の感情がそこまで振り切れた原因は何か。
自分には制御できない存在。
父と兄、だろう。
「アートルザースよ、だからマーセン公の娘を大事にしろと言ったのだ」
インゼルロフト四世は、不快そうに鼻を鳴らした。
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次回から、新章「二つの戦線」が始まります。
オルドナ伯領でのヌヴァロークノ戦争とナインバッフ公国でのニークリット戦争。
これらがどう展開するのか、ご期待ください。




