父と子
クーデル三世が率いているヌヴァロークノ軍本隊の所在はいまだに不明だった。
数万に上るとみられる兵力が一カ所に集結し続けるのは困難だ。いや不可能だ。動きが見られないということは、複数の街に分散しているのだろう。
「トローフェイル近郊に陣を張っているということはありませんか」
ケルヴァーロの嫡男でガルトザーレ伯の儀礼称号を持つファウフェレスは父に問うた。ファウファレスは十七歳で、これが初陣だった。
「絶対ない、とは言い切れないが困難だな。数万の兵の食糧を賄えるほどトローフェイルは豊かではない。それに、街の外に陣を張っていればヨーレント卿が発見しているだろう」
「確かに、浅慮でした」
「もっと深刻な問題もある」
「と言いますと?」
「人間も馬も、クソをするからな」
「ク……糞尿ということですか」
ケルヴァーロは、「つまらないことにこだわるヤツだ」という顔でファウファレスを見た。
「一人が一日にひり出すクソは……まあ二〇〇ガルくらいか? ヌヴァロークノ軍本隊が五万と仮定すると、えーと、一日に一〇〇〇万ガル。って……一〇トム、か。この意味が分かるか?」
ファウファレスにも、父の言いたいことが見えてきた。
「五万の軍勢が十日同じ所にとどまると、そこに一〇〇トムの大便が発生するということですね」
「食料だって、一日二食でも十日で一〇〇万食だ。つまりだな、俺たちは領民が生産した作物を一〇〇万食も食って一〇〇トムのクソをまき散らしてるってことだ。イナゴよりたちが悪い」
いつの間にかヌヴァロークノ軍の話が「俺たち」になっているが、それは些細なことだ。
ファウフェレスは、消費する食糧や排泄される糞尿のことなど考えたこともなかった。一日に二回、運ばれてきた食事を食べて、用意された穴に排泄するだけだ。
「お前がクソをたれている穴も、兵たちが掘ってくれたものだ。お前も自分で掘ってみろ。兵たちのありがたさが分かるぞ」
「父上は掘ったことがあるのですか?」
「俺は毎回自分で掘ってるぞ」
「えっ!?」
「まあ、軍勢なんて穀潰しだが、滞陣した後の土地にはいい畑ができるとも聞くしな」
「そ、それは……」
「会戦があった土地も作物がよく育つそうだ。屍を野にさらすのもあながち悪いことじゃないかもしれんな」
ファウフェレスは、自分が食べているものが糞尿や死体の栄養で育ったものかもしれないと想像して吐き気を催した。その様子を見たケルヴァーロは、がははと笑った。
「それはともかく父上、『クソ』を連呼するのはおやめください」
眉間に皺を寄せているファウフェレスの顔が、妻のフェメテイエに重なった。彼女も、ケルヴァーロが品のない言葉を使うたびにそんな顔をしていた。
「やれやれ、アイツが居るみたいだな」
ケルヴァーロは再びがははと笑った。
「さて、軍議の時間だ。行くぞ、ファウフェレス!」
◆
「サンツァーツ、ゲンテザイルのヌヴァロークノ人を皆殺しにするぞ」
軍議が始まるやいなや、ケルヴァーロは開口一番宣言した。サンツァーツは冷めた目で主君を眺めると、大きく息を吐き出した。
ファウフェレスをはじめ、軍議に臨んだ幕僚たちは開いた口も塞がらないという様子で、驚いていないのはサンツァーツだけだった。
ケルヴァーロがこれを言い出すことを予想していたらしい。
「ではそのように。早速手配致しましょう」
サンツァーツが腰を浮かせたので、ファウフェレスはさらに驚いて立ち上がった。
「待ってくれ、カルトレンツ卿。父上、それはあまりにも無体ではありませぬか」
「クーデル王を引きずり出すためだ」
「しかし!」
「コイツはなぜ慌てているのだ」という顔のケルヴァーロと、ケルヴァーロを翻意させようと必死になっているファウフェレスを眺めていたサンツァーツは、「ああ」と言って手をたたいた。
「公爵、ガルトザーレ伯は勘違いなさっているようですな」
「何を?」
「ガルトザーレ伯はヌヴァロークノ人を皆殺しにすると思っていらっしゃるようです」
「そんな面倒くさいことするか!」
ケルヴァーロは驚いた顔をした。
「お前はそんな恐ろしいことをよく思いつくな」
「父上がおっしゃったのでしょう」
「そんなこと言ったか?」
「おっしゃいました! 皆も聞いていたであろう?」
ファウフェレスが他の出席者を見回して同意を求めると、皆困惑した顔で目を泳がせながらも頷いた。
「ガルトザーレ伯、公爵は『皆殺しにするという噂を流す』とおっしゃっているのです」
「噂?」
「そうだよ。噂だよ。『ヌヴァロークノ人を殺すぞ~』とクーデルのヤツに聞かせてやるのだ」
ケルヴァーロは、当たり前のことを説明させるなという顔で胸を反らした。
絶対に「噂を流す」とは言っていなかったのだが、サンツァーツにはなぜか通じていた。
「噂……ですか。それならばお止めする理由はございません」
ファウフェレスは着席した。納得はいかないが、ともかく大虐殺が起こらないのであればそれでいい。
「クーデル王は国の寒冷化に苦しむ民を思って挙兵したのだ。その民が害されると知ったら動くだろ。動かなければ『民を見捨てた』と喧伝してやるまでのことだ」
「もはや嫌がらせですな」
「そうだ。嫌がらせだ。勝つためなら嫌がらせだってするのだ。ヤツを倒さぬ限りこの戦争は終わらん。さっさと終わらせよう」
ナインバッフ公親子とサンツァーツ、公妃フェメテイエ。
第四章終盤の中心人物たちの何気ない日常のお話、
『公爵親子・主従の優雅な休日』
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