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愚者たちの輪舞 ―ブランタール公の凱旋―  作者: 中里勇史
魔手

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父殺し

 夜の帝都を、皇帝侍従のエルエンゾが、半狂乱で走っている。

 帝都とて、夜の(とばり)が下りれば暗い。月明かりだけが、行く手をわずかに照らしている。

 彼の服や手に付いた赤い液体は、夜の闇がそっと覆い隠している。


「なぜ、なぜこんなことに――」



 エルエンゾは、ロレンフスの視線や指先の動きまで見つめている。見つめ続けている。


 ――先帝の崩御以来、新帝(ロレンフス)の様子がおかしい。


 それは憂いとなり、時とともに疑念に変わっていった。


 先帝の死は新帝に衝撃を与えたかもしれない。それは余人をもってはいかんともし難い。しかし、いずれは立ち直ると信じていた。だが、二カ月を経ても新帝は何やら屈託しており、大公時代の果断な行動力は見る影もない。


 さらに不審なのは、父の増長ぶりである。皇帝と諸侯の会話に口を挟むなど、宮内伯の分を超えている。国政に介入するなど、侍従長といえども許されない。

 そのような父を新帝が許していることも考え難いことだった。大公時代の新帝であれば、「侍従長ごときが出しゃばるな」と一喝したはずだ。


 「両者の間に何かがあった」とエルエンゾは確信した。以来、彼はロレンフスと父トウエスエの様子を観察し続けた。すると、ロレンフスは単に思考を停止しているわけでも判断を先延ばしにしているだけでもないことが分かってきた。

 フォロブロンらの進言に対して見せる真摯な目差し。熟考する素振り。そして何より、トウエスエに向けられる激しい憎悪の目。


 トウエスエはというと、ロレンフスの視線に気付いているのかいないのか、ロレンフスの心中を意に介することがないような振る舞いを見せる。


 ――アレス副伯(フォロブロン)に相談すべきか。

 副伯は、父トウエスエに対して明らかに不快感を抱いている。味方になってくれる可能性は高いが、トウエスエの子である私を信頼してくれるだろうか。トウエスエの罠であると警戒される恐れもある。

 何より、副伯を巻き込めることであれば新帝がそうしているはずだ。副伯にも明かせない事情があるのだ。


 皇妃(カレナーティア)やゼルクロトファ卿らに相談することも、避けねばならない。


 ロレンフス一人で抱え込まねばならない事情。

 トウエスエの増長を抑えられない事情。

 一体、何が起きたのだろうか。どうすればよいのか。



 ある日の夕刻、エルエンゾは次の間で茶の支度をしていた。

 ロレンフスの執務室から、ロレンフスとトウエスエが言い争う声が聞こえてきた。


インジョウ卿(トウエスエ)の娘婿の件は拒絶したはずだ」

「ご再考を。ぜひともあの副伯領をお与えいただきたい」

「何の功績もなく領地を与えられるわけがなかろう。インジョウ卿の閨閥をこれ以上優遇することはできぬ」

「あのことをお忘れですか?」

「……」

「ならば、改めて申し上げましょう。先帝陛下を弑し奉った大公を庇ったのは誰か。帝位に就けたのは誰のおかげか」


 ――先帝陛下を弑し奉った?


 父が発した言葉に、エルエンゾは震えた。


 自邸に戻ったエルエンゾは、一足先に帰宅していたトウエスエの私室を訪ねた。

 身の丈に合わぬガラス製の杯にぶどう酒を満たし、得意げな顔でくつろいでいた。複数の燭台に多数のろうそくを立てて灯している。大貴族にでもなったかのような浪費だ。


 ――以前は、一本のろうそくですら惜しむ吝嗇家だったのに。


 エルエンゾは、小細工抜きで切り込んだ。


「父上と陛下の会話を聞いてしまいました。陛下が先帝陛下を弑し奉ったというのは本当ですか」

「盗み聞きは感心せぬな」

「私の聞き間違いでなければ、我が家の栄華は約束されたようなもの。一体、どうやって陛下の弱みを握られたのですか」


 エルエンゾの誘導に、トウエスエはあっさり引っ掛かった。底が浅い男なのである。


「見てしまったのだ。現場をな」



「あれを庶子として正式に認め、国政に参加させる」


 父のその言葉に、ロレンフスは湧き上がる激情を抑えられなくなった。


「母上をまだ苦しめるおつもりか! ラフェルス伯(ウィン)を公認するということは、あの女の存在も認めるということではありませぬか。正式な手順を踏まずに手を付けた女が産んだ子を取り立てるなど!」

「フェグノーエの墓も霊廟に造営した。もはや公認したも同然ではないか」


 ウィンが爵位と引き換えに皇帝に渡したもの。それは、ウィンが盗み出し、長らく隠匿していた母フェグノーエの遺骨だった。

 アートルザース三世は、力づくで奪うことはしなかった。やろうと思えばできたはずなのにそうしなかったのは、後ろめたさがあったからなのか。


「ピンテルを使って公然の事実にして、次は公認ですか。何と姑息な!」

「その暴言は、若さゆえの暴走ということで一度は聞き流してやろう。下がれ」


 ロレンフスは感情の制御を失って、アートルザース三世を寝台の上に突き倒した。

 アートルザース三世も、この行為にはさすがに驚いた。

 驚愕する父の顔を見たロレンフスは、「情けない」と感じた。偉大なる皇帝、巌のような父。その父が、怯えたような表情を浮かべたことが許せなかった。父が急に卑小な存在になったような気がした。


 ――そんな顔は見たくなかった。


 枕をつかむと、父の顔に押しつけた。皇帝は惰弱であってはならない。そんな顔をしてはならない。無我夢中で枕に体重をかけた。


 気付いたときには、アートルザース三世は呼吸を止めていた。


 執務室に戻ってこないロレンフスを呼びに来たインジョウは、ロレンフスが皇帝の顔から枕を持ち上げる現場を目撃した。


「殿下……」


 インジョウの声で我に返ったロレンフスは、血の気を失って崩れ落ちた。


「私は……私は父上を……。父上を……」


 インジョウはアートルザース三世の胸に耳を押し当ててみた。だが、鼓動は感じられなかった。


 明らかに、死んでいる。


 インジョウにとって、選択肢は一つしかない。ロレンフスを弑逆者として告発しても、何も得るものはない。この愚鈍な男にしては異常な速さで結論を下した。


「殿下は執務室にお戻りを。陛下は『ご容体が優れぬ』ようです。もうすぐ急変されましょう」

「インジョウ卿は何を言っている……」

「殿下が退室された後、陛下は病死なさいます。後はお任せを」


 ロレンフスが皇帝の寝室から離れると、インジョウはマーティダを呼んだ。


「陛下が……陛下が崩御なさいました」



「後はお前が知っている通りよ」


 そう言って、トウエスエは笑った。

 皇帝殺しをネタに侍従長の地位を得て、国政に口出しするようになった。宮内伯は爵位を得ることも領地を得ることもできない。その代わりに一族の者を取り立て、娘婿に爵位を与えようとしている。


「ロレンフスめが帝位にある限り、我が一族は甘い汁を吸い続けられる。お前も父のとっさの判断に感謝するのだな」


 トウエスエは笑った。この帝国の最高権力者である皇帝を自由に操れるのだ。自分こそが真の最高権力者なのだ。そう思うと愉快で仕方がない。


 エルエンゾは絶望した。

 何と浅ましいことか。

 何と醜いことか。

 醜悪極まりない。

 ロレンフスは、こんな俗物に弱みを握られて苦しんでいる。許し難い事態だった。


「お前も侍従長にしてやる」


 そう言って、トウエスエはさらに笑った。


 エルエンゾの意識はそこで途絶えた。

 再び意識を取り戻したとき、エルエンゾは手にした短剣で父の胸を突き刺していることに気付いた。短剣は正確に心臓を貫き、トウエスエは絶命していた。


 自分が何をしでかしたのかを理解したエルエンゾは、悲鳴を上げて逃げ出した――。

ついに明らかになった、皇帝弑逆。

エルエンゾは、ロレンフスは、カレナーティアは、そしてウィンはどうなるのか?

戦争の行方は?

彼らの運命を一変させる、あの人物が次回登場します。

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