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居眠り卿とナルファスト継承戦争  作者: 中里勇史
帝国監察使

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監察使とロンセーク伯

 監察使を出迎えるため、レーネットはプテロイルらを伴ってワルフォガル郊外の丘にいる。ワルフォガルで待っていてもよかったのだが、スハロートが先に監察使に接触することを恐れたのである。


 監察使が率いているという3000という兵力は実に絶妙だ。ナルファスト公国の最大動員能力は4万であり、これだけ見れば3000など取るに足りない。しかし現在のナルファスト公国はレーネット派とスハロート派に分かれ、領内の大半の領主は日和見を決め込んで趨勢を見守っている状態だ。そのためレーネットが握っている兵力は7000程度。スハロートは5000程度とみられている。レーネットがやや優勢だが確実に勝てるほどの差はない。ここで監察使の3000がレーネットに付けばスハロートを圧倒できるが、逆にスハロートに付けば兵力は逆転する。

 それだけではない。監察使が味方に付いたということは皇帝の支持を得たことを意味する。領地に引きこもって成り行きを見守っている領主たちに対する宣伝効果は絶大だ。純軍事的にも政治的にも、監察使の歓心を買っておく必要がある。

 そう、監察使の歓心を買っておく必要がある。それは分かっているのだが、媚びを売るのは抵抗がある。そこまで卑屈にならねばならぬのかと苦々しく思う。

 もうすぐやって来る監察使は爵位も持たない下級貴族だという。枢機侯の嫡子であり、儀礼称号とはいえロンセーク伯を称することを許されているレーネットとは身分が違い過ぎる。

 監察使という官職はというと、実は高官ではない。帝国法には規定のない、要は皇帝の私的な使用人に過ぎない。帝国の正式な官職であれば格式も定められており、それに応じた待遇もおのずと決まる。だが監察使の格式などないのだからどう遇すべきかという慣例も存在しない。とはいえ皇帝の代理人「のようなもの」なので権威と権限だけはやたらとあるのだから始末が悪い。

 そのようなわけで、レーネットはこうして監察使とやらを待ちながらどう遇すべきか、どのような態度で接すべきかを決めかねている。枢機侯の嫡子として下級貴族に親しく接してやるべきか、帝国諸侯として皇帝の代理人を恭しくお迎えすべきか。

 レーネット自身は身分というものを大して気にしない。領民とも気軽に接するし、監察使が下級貴族だからといって見下すつもりも全くない。だが監察使が皇帝の権威を盾にして尊大に振る舞ってきたらどうなるか。家臣の手前、最低限の威儀は保たねばならない。それは監察使との対立を生むかもしれない。


 レーネットが頭の中で仮想の監察使と友誼を結んだり殴り合ったりしていると、彼方から軍列が近づいてきた。

 先頭の、異様に豪華な馬具を付けた馬に乗っているが弱々しい、風采の上がらぬ男が監察使だろうか。レーネットと同年代であることも意外だった。ヘルル貴族だと聞いていたから老人だと思っていたのだ。

 いまひとつやる気が見えない顔の青年は、レーネットたちから10メルほどまで馬を近づけて止まった。すると、もたもたと馬から下りてレーネットに近づき、右手を左胸に当てて30度ほど腰を曲げて会釈した。下級貴族が上級貴族に対する完璧な儀礼である。

 レーネットも馬からひらりと下りると同じく右手を左胸に当てて軽くうなずく。上級貴族の答礼だ。

 「ロンセークレーネットとお見受け致します。皇帝陛下から遣わされましたヘルル・セレイス・ウィンと申します。お出迎え、かたじけなく存じます」

 「セレイス卿、遠路はるばるご足労をおかけした」

 「2日前にナルファスト領に入りましたが、どこも平穏なことで結構なことです。このまま穏便に解決したいものです」

 常に人ごとのような物言いをするウィンであったが、この言葉にはいつになく実感がこもっていた。話がこじれて面倒な事態に陥るのが心底嫌なのだ。面倒事は避けたいという思いがにじみ出ている。

 「長旅でお疲れであろう。ワルフォガルの居城で疲れを癒やしていただきたい」と、レーネットはウィン一行をワルフォガルにいざなった。まずは監察使を勢力圏内に取り込んで、スハロート派との接触を断たねばならない。

 だがウィンはというと、「あー、それですがね。ナルファストにはデルドンという風光明媚な地があるとか。せっかくナルファストに来たからにはぜひとも視察しておかねばと、帝都を発つ前からソワソワしていたのです。というわけでひとまずデルドンの近くのデルドリオンを拠点にする所存」と、今すぐにでもデルドンに向かいたげだ。

 横で聞いていたプテロイルは「遊びに来たのか!」という一喝を辛うじてのみ込み、「酒宴の用意もしております。監察使殿にはぜひともワルフォガルにおいでいただきたい」とウィンに翻意を促した。何としても監察使を取り込まねばならない。だがウィンはプテロイルらの焦りを知ってか知らでか、予定を変える気は全くない。

 「お気持ちはありがたいが旅装でワルフォガルを汚すのも気が引けます。旅塵を落とした後、改めて参上仕る。“デルドンの朝日”とやらも楽しみですし」

 それらしい理屈を付けたが「本音は後半だろう」と誰もが思ったが、当のウィンはレーネットどころかフォロブロンたちまで困惑するのを後目に、話は終わったとばかりにきびすを返して馬にとりついた。が、馬に乗るのにモタついた。本人も多少は恥ずかしかったのか、やや顔を赤らめつつ「ではまた後日」と言って馬を進めた。


 ここまで固辞されてはどうにもならない。レーネット一行はウィンらを見送るしかなかった。

 「何だあれは。物見遊山にでも来たつもりか」と憤るプテロイルをレーネットはあえて無視した。それどころではない。

 デルドリオンといえばワルフォガルとスハロートの領地のほぼ中間に位置し、どちらとの行き来も容易だ。ここに3000の兵が駐屯すれば、レーネットとスハロートの武力衝突を牽制できる。さらに、デルドリオンにはナルファスト公国内の主要路であるミロール街道が通っており、ワルフォガルやスハロート領を通らずに直接ナルファスト公国外に、ひいては帝都に抜けることができる。レーネットとスハロートのどちらにも付かないという意志を示しつつ両陣営ににらみを利かせ、いざというときの退路も確保するという意味で、デルドリオンは最適だ。

 ワルフォガルに迎え入れて交渉の主導権を握るという目論見も外れた。交渉は改めて仕切り直すしかなかった。今回の邂逅で、レーネットは何一つ得ることができなかったのだ。

 ウィンという監察使は、見た目とは裏腹に食えない男なのではないか。自陣営に取り込むのは容易ではないかもしれない。

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