―4―
ごめん。
ごめんね。
男の子が謝っていました。
腕の中に金色の髪の子を抱き締めていました。
男の子は傍らに落ちたナイフを掴みました。
返して。
返してよ。
男の子はそのナイフを腕の中の子の胸元で振り上げ……―
千里を返して!
「ふぇ………………」
しらないばしょにいました。
「はぅ……あう…………」
どこ?
クライ。
もりは?
クライ。
げきじょうは?
クライ。
「あうう……ううう」
かえりたい。
かえりたい。
かえりたいかえりたいかえりたい!
「起きた……のか?」
だれ?
「えっと…………琉雨」
“ルウ”
……………………まさかこのヒトは……。
「いやあああああ!!!!」
琉雨は叫ぶ。
小さな両腕を振り回し、彼女は体を丸くした。
何ともまぁ、初対面は最悪だった。
「ごーかな車ですね」
「本当に、お前には勿体ねぇな」
「あんたには勿体ない車だ」
「今すぐ降りろ」
「言われなくとも降りるし」
深く溜め息を吐いた洸祈はドアノブに手を掛けると、高速道路のパーキングエリアで降りようとした。
と、
「マジで行くなよ」
パーカーの帽子を掴まれ、洸祈は助手席に戻る。
「降りろって言ったじゃん」
「お前がいなくなると清々するが、あの女の子の扱いに困る」
「適当に。家の鍵渡して置いとけばいいよ」
「おいおい」
「それとも叔父さんが面倒見てくれるわけ?」
すると、叔父さんこと憲が、涙目で大きな欠伸をした洸祈の頭を殴った。
「った!」
「お前の護鳥だろ。それに、魔獣であっても女の子なんだから、独りにするな」
「………………」
憲の説教に洸祈は何も言わず、すっと車を出た。
萎れたかと思った甥が自然な動作でドアを開けたので、憲が止める暇がなかった。
「洸祈!!」
今さら叫んでも遅い。
窓の向こうで洸祈は背中を丸めて歩いて行った。
俺は琉雨と契約した。
契約と言っても、様々な種類がある。
支配契約。
つまり、厳格な主従関係を築く契約。
相互契約。
つまり、互いの力の共有を可能にする契約。
代償契約。
つまり、何かを代償に相手の力添えを求める契約。
支配契約は特に気を許した関係か、人間の売買……“売り”と雇い主の関係に使われる。
相互契約は仕事仲間同士でということが多い。
そして、代償契約は魔獣との契約に使われる。
例えば、崇弥の狼『蜜柑』や櫻の翼竜『吟竜』。
護衛魔獣との契約の殆どは代償契約だ。勿論、護衛魔獣の中でも希少な護鳥との契約も代償契約だ。
カミサマでも護鳥としてなら、この契約も代償契約であり……。
俺の脳内で天秤に架けられていたのは契約に必要な代償と崇弥家当主の座。
勿論、俺としては崇弥家約35代目当主は嫌だ。
何故かと言うと、分家が恐い。
先ずは叔父さんだ。
父の弟であり、和泉家当主である叔父さんは勝手に自分の娘を俺の婚約者にした挙げ句に、勝手に俺を次期当主と決め付け、山やら海やら……地獄の修行に連れ出そうとした。
『俺の娘の婿はマッチョじゃなきゃな!』
それにしても、現代の娘っ子は筋肉隆々より、ひょろひょろでもイケメンに靡くことを叔父さんは知らない。整形や化粧による3次元の発達に伴う若者の思想の変化に気付かないで……。
文句は受け付けないし。
そんな叔父さんより恐いのは古春家。
古春家は父も苦手としている。
礼を重んじ、崇弥家の分家であることを誇りに思い、崇弥家は本家らしくして当たり前と代々教育されているのだ。
『お前は本家跡取りとして、分家の主らしくしろ!』
会う度に怒ってくる。
正直、理解できないし、理解したくない人々だ。考えが固執し過ぎてる。頑固だし。
そんな古春家に対して梨野家は恐いと言うか、恐ろしい。
『ははは!キミは馬鹿かい?』
馬鹿呼ばわりされるし、目の前で食用カエルを解剖されるし……梨野家はこりごりだ。
崇弥のそこそこ有名な科学者、崇弥一抹の娘の家だが、梨野には変人奇人が集まる。恐ろしい……。
と言うわけで、俺は崇弥家当主は絶対に嫌だ。
そんなこんなの会議を脳内で約1分でし、俺は護鳥と契約することにした。
どうせ、俺には選べない。
だから、俺の過去を共有することも、餓鬼には分からないだろうと思い込むことにした。
「何してるわけ?トイレ行ったんだろ?」
「ひっ……」
うわ、また悲鳴だ。
栗毛と大きな瞳。少女サイズになってもらった琉雨に幸之原家の子供服はぴったりで、タートルネックとパーカーとチェックのスカートの琉雨は普通に人間の女の子だ。
その琉雨はトイレに車を止めただけでなく、売店の中を彷徨いていたのだ。
金もないのに、キーホルダーを手に取ってるし。
「それ何?お前、金ないだろ?」
「あ……あう…………はうあ……」
何言ってるのか分からない。キョロキョロ辺りを見回し、俺を見上げもせずにキーホルダーを見たりして、ジェスチャーも意味不明だ。
ただ、こいつが俺とは関わりたくないと思っていることだけ分かった。しかし、俺が嫌いならそこらの他人に助けを求めればいいのに、それはしない。
餓鬼以上、餓鬼以下の餓鬼。
てか、イライラしてくる。叔父さんも煩いし。叔父さんの意見は確かに正論だが、相手は“女の子”じゃない。護鳥だ。しかし、護鳥のくせに、俺を守る力はない。
役たたずで、中途半端すぎる。
俺も琉雨も互いを必要としてない。なのに、琉雨は俺の過去を共有している。
無理だ。
俺達は一緒にいれない。
「それ、貸せ」
「あ……う……」
日本語を話して欲しい。
護鳥なんだから、主人に言語を合わせるもんだろ。
めんどくさい。
俺はキーホルダーを握る琉雨からそれをひったくった。
「あうっ!!」
甲高い声。
俺を睨むかと思いきや、琉雨は両手をぶらぶらさせて俯き、壊れたロボットのように停止した。
何こいつ。
琉歌と大違いだ。
俺は琉雨を置いてキーホルダーをカウンターに持っていった。
早く買って、早く寝たい。
450円のキーホルダーは白鳥の模型が付いていた。
俺が買うと、琉雨はまだ停止したままだ。
と、叔父さんが彼女の横に立っていた。
叔父さんは俺を見付けると、俺に近寄り、何を言ってくるのかと思いきや……―
パシッ……―
「っ……」
右頬を打たれた。
何それ。何で俺が打たれるの?
「女の子を独りにすんなって、言っただろ!なのにお前は迷子の彼女を置いて買い物か!」
叔父さんの怒鳴り声に周囲の人間が俺達を見る。
誤解だし!
ああ!ムカつく!
「俺はこいつが店の商品持ってうろうろしてたから、こいつの代わりにこれ買ってたんだよ!」
キーホルダーの入った紙袋を俺は無理矢理琉雨の手に押し付けた。
しかし、琉雨はその紙袋を……足元に落とした。
「――――っ!!」
何なんだよ!こいつは!
「おい!言いたいことがあるなら言えよ!折角買ってやったのに邪険にすんな!」
びくっとした琉雨は分かりやすく怯え、目を強く瞑って首を左右に振った。
言いたいことはないって意味か?
なら何でキーホルダーを落とした?
「洸祈、今は車に戻るぞ」
叔父さんは誤解だと分かったようで、怒鳴りはせず、周囲に頭を下げてから琉雨の手を掴んで歩きだした。琉雨は大人しく叔父さんに並ぶ。
何だか理不尽だ。
俺だけ悪者じゃないか!
「くそっ」
俺は落ちていた紙袋をポケットにしまった。
「鍵だ」
俺は叔父さんから鍵を貰った。俺の願い虚しく、琉雨付きでだ。そして、琉雨は玄関前で停止している。
その時、真っ昼間の住宅街で、俺達の新居の向かい……一軒家から視線を感じた。
カーテンで相手は見えないが、殺意も感じないし、野次馬だろう。
「くれぐれも怒鳴るなよ。彼女はまだ幼いんだから」
魔獣に幼いとかあるんだ。
「分かってるって」
ご近所に素知らぬ理由で児童虐待等と訴えられたくないし。
ま、その児童は妙に冷めてて気持ち悪いけど。
「明後日、また見にくるからな。仲良くなれよ」
ムリだよ。
「カミサマって飯いるのか?」
「…………」
ノーワード、ノーリアクション。
――――――――ぐぅ。
誰でもない琉雨の腹からだった。
訂正、ワンアクションだ。
空かと思えば、一階には本棚が立ち並び、台所や暖炉、ソファー、テーブルと、生活感というかなんというか、まあ、色々あった。二階もあるが、そこは明日だ。
もとは一階がオフィス、二階が居住区のようにして誰かが何かの店をしてたらしい。しかし、お人好しの前住居者さんは知り合いの知り合い辺りの保証人となり、知り合いの知り合いドロンの、借金が舞い込んだわけだ。
そんなお人好しの知り合いの知り合いの知り合いの叔父さんがお人好しから割高でここを買い取ったのだ。
俺が思うに、叔父さんも相当のお人好しだ。
俺は台所の奥にあった扉の向こうの倉庫から揺り椅子を見付けて出した。
そして、琉雨に命令口調でレトロなソファーに座るよう言った。
命令口調なのは、琉雨が質問やフレンドリーになってみても、全く応答しないからだ。
あくまでもルールの下で行動する機械ロボットのようだ。
俺は鞄からお菓子を取り出す。多分、お菓子は晩御飯にはならないが、まだスーパーの場所もコンビニの場所も知らない。
だから、今晩は菓子だけだ。
「これ、食べていい。というより、今日はこれで我慢してくれ」
キャラメルやらグミやら……お、するめいかだ。
広げたティッシュペーパーにいくつか出す。
が、案の定、琉雨はお腹を鳴らしながら、お菓子を見るだけだ。
時折、視線逸らす。
これもお世話しないと駄目とか?
「夏蜜柑は菓子食べてた。だからお前も大丈夫だ。コアラのマー○は?甘いの嫌いか?」
コアラプリントのそれを琉雨の目の前で揺らす。
ふるふる。
頭を振る琉雨。
甘いの駄目か。
「プ○ッツいるか?甘くないぞ」
ふるふる。
…………お前は否定しかできないのか。
ややこしいどころじゃない。
またイライラしてきた……。
俺は額を押さえてどうにか正気を保つ。
「…………あう」
何か唸った。
琉雨が俺の横にいた。
ソファーから立って、揺り椅子に座る俺の横に。
全身を小刻みに震わせて、俺のパーカーの袖を掴んでいた。
「何?食べたいのあるのか?トイレか?」
違う。
琉雨は俺のパーカーのポケットから琉雨が捨てた紙袋を取り出した。そして、俺の胸に紙袋を押し付けて俯く顔を更に下げた。
何度も何度も、俺に頭を下げる。
『ごめんなさい』
頭に響く高音。
「声が…………まさか……」
琉雨?
『ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい』
「ううううう」
少女の声が頭に、少女の唸りが耳に届く。気を抜くと声が唸りに消されそうだ。
じゃあ、こいつはずっと俺に叫んでいた……?
「……琉雨…………謝るな」
謝るべきは俺?
「ごめんな、琉雨。お前の声を聞いてやれなくて」
琉雨は必死に俺に自分の気持ちを伝えようとしていた。
なのに俺はカッとしていて聞こえなかった。
やっぱり、一緒にいたら琉雨が苦しむ。
俺に誰かを愛する資格はない。
「ああ……俺、最低な奴だ……」
「あう……あ…………」
また唸る琉雨に俺は耳を澄ますが、今度はただの唸り声のようだ。
ただ、俺の指を握ってふるふると首を振る。
「……る…………るー……あなた……いや……じゃ……ない」
「え?」
「いや……じゃない……から」
真っ白な額をツンツンと俺に押し付け、心なしか頬っぺたも……。
「ふえ?」
「あ…………」
いつの間に俺は琉雨と頬擦りを……!!
いや、反射的にね。
ほら、小さい時とか父さんがしてきたり、頬すりすりは葵も千里も喜んでたし。
「る、琉雨……」
琉雨は変態オジサンの俺をぼーっと見あげる。
そして、5歩下がった。
………………ヤバくね?
「あうあ……うう……」
俺も俺で何してんの!?
俺は断然ぴちぴちむちむち派だろ!?
琉雨が俯いた。
「な……泣くのか?」
児童虐待容疑フラグ!?
「ううううううううう!!!!」
『ルーはあなたにありがとうといいたいだけ!』
そのまま床に尻餅を突いて泣き出した琉雨。
「……ヒト……こわい……でも……きらいじゃない……るー……すき……なりたい……―」
「琉雨!?」
片言の琉雨は首を竦めると、眩い光が部屋を埋め尽くす。淡い青い光が強く瞬くと、咄嗟に手を伸ばした俺の腕には小さな女の子がいた。
ご丁寧に衣服まで小さくなった琉雨は俺の手のひらの上で眠る。
「……消えるかと思った……」
変化は力を使うということだろうか。
何にせよ、俺は『きらいじゃない』らしい。
「今日はもう寝るか……」
俺は琉雨を脱いだパーカーの帽子に入れて抱き、ソファーに体を横たえた。
この時の俺は、これからもっと他人との繋がりが広くなるとは考えてなかった。
初めての見知らぬ者との同居に心地好さと期待感があった。そのことに驚いていたのだ。
そして、うとうとしながら、琉雨は昔の自分に似ていると思った。
守りたいとも思った。