第五十五話
ギィンッ!
硬い硬質な感触が私の刀を受け止めていた。
風が砂煙を押し流す。
「えっ?!」
右からお母さんが、左からは一ノ瀬教頭が、それぞれ自分の刀で振り下ろしたハクを鍔元で受け止めていた。爆雷震を喰らわない位置をしっかりと見極めて。
あの視界の悪い中を飛び込んで来て、正確に受けるのは凄い。だけど。
「お母さんも教頭先生もなんで邪魔するの? 立会人や第三者が剣闘に介入していいわけっ?!」
らみるちゃんを庇うように立ち塞がる二人を睨む。
「よく見なさい、美夜日ちゃん」
砂煙が完全に収まった。
目の前には焦点の定まらない、朦朧とした表情のらみるちゃんが膝を地に着けていた。彼女の刀は中ほどからポッキリと折れている。
「あ……」
「剣闘の終了を告げていたのに無視して飛び込むんだから」
全く何も聞こえなかった。お母さんはすでに闘いの終わりを宣告していたようだ。
私はゆっくりと刀を引いた。お母さんと一ノ瀬教頭も同時に刀を引き、そのまま納刀する。
「得物の折損を確認。勝者、朝岡美夜日。改めてハクロウは朝岡美夜日の所有とする。これにて剣裁、了!」
……あ。
終わった。勝った、の。
『みてーだな』
ホントに?
『ああ』
ウソじゃないよね。
『ウソついてどうすんだよ』
絶対?
『しつけーな』
……やった。
やったんだ、私。
「やった! 勝った。勝ったー!」
喜びが爆発した。ついに、ついにやったんだ。これで、これでやっと元の世界に……。
その場でジャンプしようと思ったら、スタミナ切れの足がもつれた。
いまだ呆然と跪いているらみるちゃんの前にしゃがみ込む形になる。
「……らみるちゃん」
揺れる瞳に私の姿が映り込み、ゆっくりと焦点を結ぶ。
「負けた……、私」
敗北を確かめるように言葉が吐き出された後、唇がぶるぶると震え出す。
「……うぅ、うぅぅうう」
らみるちゃんの瞳に大粒の涙が膨らんだ。
「らみる」
一ノ瀬教頭の声を合図に涙がこぼれ落ちた。
「うぅぅ、うわぁあああぁぁん!」
「らみる!」
辺りを憚ることのないらみるちゃんの泣き声に、一ノ瀬教頭がすぐさま自分の娘を両腕で抱き締めた。
「重荷を背負わせ過ぎだよ、康恵。うちの子くらいの自由なノリでちょうどいいと思わない?」
お母さんが横に来て、立ち上がるのに手を貸してくれた。
「思わねぇな。このアホはもうちょっと厳しくてもいいくれぇだ」
「私は康恵に言ってるの。ハッくんには言ってません」
ぴしゃりとお母さんが言うが、それくらいで黙るハクじゃない。
「親子して集英社のマンガやラノベばっか読んでっから言ってんだろうが」
「うるさいなぁ、『Seventeen』も読んでるよ」
「結局集英社ばっかじゃねーか」
「ハッくんがほんとは聖さまより、一番の推しが祐巳さんなの、知ってるんだよ」
お母さんの言葉に思わずぶっと吹き出した。
「あんたもめっちゃ『マリみて』読んでんじゃん」
「てめ、バラしてんじゃねぇぞ美菜萌!」
てことは祐巳さん推しなのほんとなんだ。思わず笑みがこぼれた。
「笑ってんじゃねぇ!」
ぎゃーぎゃーと喚くハクを私はお母さんに押しつけた。集英社よりまずは私を三度も助けてくれた恩人の所に行くのが先だ。
「遥乃っ」
仰向けに寝かされている遥乃の元へと飛んで行くと、隣に膝を着いた。
「遥乃、起きて。終わったよ」
私の声が届いたのか、遥乃がゆっくりと瞼を開いた。
「……ここは?」
上半身を起こして辺りを見回す。
「姉上様、ご機嫌麗しゅう。しかし拙身は何故このような場所に倒れていたのでありましょうか。少々前後の記憶が曖昧にて……」
「戻ってる戻ってる」
ぺしっと頭をはたくと、遥乃が私の胸に上半身を倒れ込ませて来た。
「わっ、ちょっと強かった。ごめん、大丈夫?」
「ふふ、お姉ちゃんマジてぇてぇ」
ったく、この子は。わざとじゃん。
傷に響かないよう、私は遥乃を抱き止め、頭を撫でた。
少しずつ昂ぶっていた気持ちが落ち着き、穏やかになってゆく。
そんな時だった。
遠くから激しい足音が近付いて来た。
「やっと見つけたぞ、朝岡!」
声のした方を見ると、髪を振り乱し、汗だくになった《小次郎》永久子が校舎裏に駆け込んで来たところだった。
「らみるの姿も見えんと思ってはいたが……。なんだ、これは」
乗り付けられた真っ赤なランエボ。穴ぼこだらけの地面。割れまくっている校舎の窓ガラス。倒れている遥乃にボロボロのらみるちゃん。
誰が見ても「なんだ、これは」って言いたくなる光景だ。
《小次郎》永久子の鋭い瞳が部外者のお母さんに、次に私に、最後に一ノ瀬教頭に向けられる。
「どういうことか説明願います、教頭」
「これは……」
さすがの一ノ瀬教頭も説明しあぐねている。
「姉上様……」
らみるちゃんが《小次郎》永久子をそう呼んで汗だくの顔を見上げた時、なんだか分かったような気がした。
私は遥乃を放り出すと《小次郎》永久子に向かって歩いた。後ろでぐえっと声が聞こえたが気にしない。
「あんたの代理だってさ」
「私の? どういう意味だ」
形のいい眉をひそめる《小次郎》永久子。
「警報のせいで屋上での剣闘が中断したでしょ。姉上様の代理だって言うらみるちゃんと、剣闘の続きをすることにになったの」
「らみるが?」
「そう」
「それで、貴様がらみるを倒したというわけか」
私はそれには答えず、らみるちゃんのもとへと歩いた。再びそばにしゃがみ込むと、小さな声で思っていたことを言った。
「ねぇ、らみるちゃん。永久子に本当の気持ちをぶつけてみたら?」
私の言葉に一ノ瀬親子は同時に驚いた表情を浮かべた。
「らみるちゃんは永久子を倒すために近付いて、慕ってる振りをしてたって言ってたけど、執行室で永久子を早く帰らせた時のこと憶えてる? アリバイ作りのためだって言ってたけど、どう考えてもあの気遣いは演技とは思えなかったよ」
らみるちゃんが視線を逸らす。私は構わずに続けた。
「水鴎理巌流もせつなさんの天空剣が使えるのもそう。剣武会内での私闘は禁止って、前に『おひさま』の陽奈が茶室で言ってたのを考えたら、十剣鬼同士で剣闘は出来ないはず。ならきちんとらみるちゃんに剣を教えるようなやり取りが会内であったんだろうなって分かる」
私はずいっとらみるちゃんに顔を近付けた。
「永久子のこと好きなんでしょ、らみるちゃん」
私の言葉にらみるちゃんの頬が一瞬で真っ赤になる。どうやら図星みたい。
「永久子ともっと仲良くなりたかったんでしょ。でもあいつ、いっつも周りに誰かいるから」
恐らくカトリアーデの世界線にも九堂院永久子はいるのだろう。そこでらみるちゃんはきっと願ったのだ。九堂院永久子ともっと親密になれる関係性を。だけど、母親の悲願も背負わされていたこともあって、らみるちゃんの改変はきっと中途半端なものになってしまった。それが十剣鬼第七席という席次と《小次郎》永久子との曖昧な関係性に反映されることとなった。
一番になることを期待されていたのに、なれなかった。
もっと親しくなりたいのに、いつも邪魔ばかりが入る。
愛憎って言葉がある。
どちらも手に入らないのなら壊してしまおう。そうして、また新しい世界を構築すればいい。そうだ。そうしよう。そうするべきだ。
「普通ならトップのせつなさんを狙うはずじゃない。なのにらみるちゃんは第二席の永久子にこだわっていた。何かあるなって思わない方がおかしいって」
そこまで言って私は立ち上がり、お母さんの方を振り返る。無言で差し出されたハクを受け取り、鞘に収めた。
わけが分からない様子で立ち尽くしていた《小次郎》永久子に告げる。
「剣闘は私の勝ち。辻斬り犯も見つけた。立会人は《剣帝》、教頭先生も証人だよ」
剣武会第二席の《小次郎》永久子が目を白黒させてお母さんを、次に一ノ瀬教頭を見る。
私はゆっくりとみんなのそばを離れる。
さぁ、そろそろ行こうか。ね、ハク。
「待て。どこへ行く朝岡!」
《小次郎》永久子なんて無視無視。
この世界へと回帰を図ったらみるちゃんを倒し、私は自分の強い想いを証明した。
名残は惜しい。
皆とのこんな関係はカトリアーデの世界線ではきっと築けない。戻ってもここみたいに仲良くなれるかなんて分かんない。
それでも、私は帰る。カトリアーデの世界線に。青春キラキラJKライフを謳歌するために。
『悪いが無理だ』
無機質なハクの言葉が吐き出された。ぴたりと歩みが止まる。
ほぇ?
意味が脳の奥に浸透するまで数秒がかかる。
……今、なんてったの。
『無理だ、って言ったな』
無理?
『ああ』
って、なにが。
『カトリアーデの世界線に戻ることが』
はあぁぁああああ?!
「なんで、なんでよっ。らみるちゃん倒したじゃんか!」
思わず叫ぶ。
『ああ、倒したな』
ならなんで!
『名推理に酔ってたとこ悪いがな、この世界を一番強く望んでるのは誰だよ』
「だ、だかららみるちゃんがお母さんに勝って、この世界を再構築して移行したんでしょ。そのらみるちゃんを私がハクで倒したんだから……」
『俺様は鍵だ。改変の場にただあることが重要で、俺様自身を持って戦い勝つことは世界の構築や移行には関係がない。現に俺様を持った美菜萌はらみるに負けたわけだが、士峰館学園への移行は行われてるだろ』
「えぇっと、つまり?」
『あの場にはらみるよりも強い想いを持ってこの世界への移行を望み、介入した第三者がいたってことだ。恐らく美菜萌とらみるのやり取りを物陰で聞いてたな』
「はぁ、何よ今さら。誰よ、それ!」
『順当に考えれば至ってシンプル。すぐに分かる話だ。俺様はこの世界で誰の手によって目を覚ましたよ?』
「勿体ぶらないでよ!」
私は叫びつつ記憶を辿る。ハクの声を初めて聞いたのは確かこの世界に来た日、入学式翌日。一年生の教室が並ぶ廊下でのことだ。
あの時ハクはなんて言っていた? 誰の手によって目覚めたって?
記憶が遡る。
見えたのは薬医門。そこに立つ優雅な所作の笑顔を湛えた女性。
一番強い想いを持つのは、単純に一番強い者。
『剣武会第一席の天空寺せつなだよ』
ハクの言葉に私は膝から崩れ落ちた。
ばたーんっと派手な音と共に大の字になる。全身に力が入らなかった。そういや、最後の闘いが始まる前、お母さんが何かを言いかけて一ノ瀬教頭が遮った。恐らく二人とも知ってたんだ。多分らみるちゃんも。本当に相手にすべきは私じゃない。だから、ハクを取り返すことにこだわった。
口々に私の名前を呼ぶ声が聞こえたが、どこか遠い。放っておいて欲しい。っていうかほっとけ。
土の地面が冷たかった。空はどこまでも高く、抜けるように青い。小鳥が鳴きながら春の風に乗って気持ちよさそうに飛んでゆく。ああ、私も一緒に連れてってよ。
「……ねぇ、ハクぅ」
『なんだ』
こんなのってあり?




