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深夜の高速道路を走るシルバーのプリウスの中で、一輝さんの左手が私の手を握りしめている。
ハンドルを握る反対の手は落ち着いているのに、絡められた指先からは、彼が抱える切実な不安と、私への執着が伝わってくる。
「……大丈夫だ。こうしておかないと、お前がどこかへ行ってしまうような気がしてな」
普段は誰をも寄せ付けない冷徹な瀬良一輝が、運転席でそんな不器用な言葉をこぼす。
彼の言葉の端々に滲むのは、幼い頃から大切なものを理不尽に奪われ続けてきた、癒えない孤独。その傷に触れた瞬間、胸が締め付けられるように熱くなった。
「どこにも行きませんよ。……一輝さんが、私を必要としてくれる限りずっと」
ぎゅっと握り返すと、彼はわざとらしく「当たり前だ、拒否権なんてない」なんて俺様口調で返した。でも、その横顔は驚くほど優しくて、見つめているだけで涙が出そうになる。
マンションの近くの路地に車が停まると、彼は深く息を吐いてシートに背を預けた。
「……あと四時間か。会議まで、あと四時間しかないと言ったんだ」
ぼやくようなその声に、彼がどれほど私と離れたくないと思っているのかが痛いほど分かる。事務的に「降りなさい」なんて言うけれど、私を見つめる瞳は名残惜しさに揺れていた。
思わず彼の方へ身を乗り出して、整った頬に手を添える。
「一輝さんも、少しは休んでくださいね。……おやすみなさい」
車を降りようとした瞬間、手首を掴まれて引き寄せられた。
喉の奥まで熱くなるような、深い口づけ。
「……忘れるなよ。明日の九時、会議室で最初に目を合わせるのは私だ。他の誰でもなくな」
強引で、独占欲の塊みたいな言葉。でも、それが彼なりの「愛してる」の証なのだと、今の私なら分かる。
翌朝、九時の第1会議室。
扉を開けて入ってきた一輝さんは、昨日よりもさらに鋭く、洗練された「歩く猛毒」のオーラを纏っていた。
会議室に緊張が走り、誰もが彼の一挙手一投足に息を潜める。
一輝さんの視線がテーブルを一周し、書記として座っている私の上で、一瞬だけ止まった。
誰にも気づかれないような、ほんの刹那のアイコンタクト。
昨夜、あの星空の下で交わした熱と、彼の指の温もりが、今もまだ肌に残っている気がした。
「では、会議を始める。……河野、昨日の修正案を出せ。すぐにだ」
彼が鋭い声を響かせる。
周囲は「また始まった」と思っているかもしれないけれど、私だけは知っている。
彼が資料をめくる左手の指先を、たまに愛おしそうに眺めていることを。その指が、昨夜私の髪を撫でていたことを。
会議中、何度も視線が合う。
会議が終わり、慌ただしく皆が部屋を出ていく。最後に二人きりになった瞬間、一輝さんが近づいてきて、周囲に聞こえないほどの低い声で囁いた。
「……はる。今日の昼食は、私の部屋で取るぞ」
「えっ……でも、みんなが見てますよ?」
「構わない。仕事の打ち合わせだと言えばいい。……お前の顔を、もっと近くで見ていたいんだ」
ふっと見せた、小さな微笑み。
「歩く猛毒」と呼ばれた彼が、ゆっくりと甘い蜜へと変わっていく。
その変化を一番近くで見届けられるのは、世界中で私だけ。
窓から差し込む朝日が、彼の横顔を明るく照らしている。
私は深呼吸をして、愛おしい人の背中を追いかけて歩き出した。




