きらめき
とうとう、とうとう来てしまった。この時間が。
みんなで食事して、海から上がったときにシャワーは浴びたけど、順番にお風呂に入りなおして。それぞれの部屋に戻ってきて。
珍しく外に出るのに持ってきた化粧品を使って、少しだけ肌と髪の毛の手入れした。
「あらまあーあ。おしゃれしちゃって。これから会うんだ?」
「う……うん。あと、十分後くらいだと思うけど」
「言っとくけど、連れ込まれたり連れ込もうとしたりしないでよー?そのためにこの部屋割りなんだから。あと外でも節度を守ってね。娘のはじめてがお外でなんてお母さん泣いちゃう」
「なっ!話すだけ!そんな変なことしないってば!」
赤くなった顔を誤魔化したくてぷくっと膨らませると、アリサはくすくすと笑いながら、起き上がってベッドに座った。
「冗談よ。そうね悪くないんじゃない。ちゃんと手入れしてるし、格好も気を使ってる。ま、百点満点じゃないけど、八十点で及第点ってところかな」
アリサは、パステルカラーの柔らかいワンピースに薄手のカーディガンを羽織ったあたしを、頭から順番に一つずつ指を指して確認しながら言った。
「……お昼もだけど、アリサって良くチェックするよね」
「そうよ。あんたは無頓着すぎるからね。あたしがプレゼントしないと、化粧すらしなかったじゃない」
胡坐をかいた足に肘をついて頬杖をつく。くしゃっとシワを寄せた笑みで、嬉しそうにこちらを見た。いつもの笑みとは違って、珍しい表情だ。
「アリサは本当、前からおせっかいさんだよね」
なんだか言われっぱなしが悔しくて冗談っぽく言い返したら、一瞬目を瞬かせた後、気まずそうに笑みを浮かべた。それが想像もしてなかった表情で、少し驚く。
「そうね。あたしが一番成長してないかも」
「あ、悪い意味じゃなくて!すごく助かってて!」
いつもは見ない表情に慌ててフォローすると、いつもの様子でぶっと吹き出す。その様子に、いつものようにからかわれたとわかる。
「わかってるわよ。カイリーと同じみたいに慌てなさんなって。ほらほら、部屋で女子トークなんて、夜中でもこれからいつでも出来るんだから、早めに行って待つ!冷蔵庫にミントティー冷やしてあるから持ってきなさい」
「あ、うん。ありがとう。なんかアリサ、やっぱりお母さんみたいだよね」
「はいはい。なんとでも。あ、どっちにしてもおせっかいなんだから、ママからもう一つ追加でアドバイスがあげる」
何?と首を傾げるあたしに、アリサはぱちんと指を鳴らして人差し指を立てた。
「さっきの人に興味がの件も不思議そうな顔をしてたけど、あんたが人のこと分かってるほど、人ってあんたのこと、わかってないからね」
それだけ言うと、早く出て行くようにぞんざいに手を振り、またも新聞に向き直るように寝転んだ。あたしはその寝姿を見て、部屋を後にした。
「ごめん!お待たせしました!」
アリサが作ってくれていたミントティーを一人用のタンブラー二つに移し、時間のほんの少し前に庭の出入り口のところに出ると、ウィルはすでにそこに待っていた。半そでのシャツとハーフパンツ姿の彼は、お風呂の順番が最後の方だったのか、頭は少しだけ濡れて落ち着いていて、心なしか少しだけ頬が上気しているように見える。
「少しだけ、出ましょうか」
なんだか緊張して声が出なくて、あたしは無言で俯いた。庭の門から出て、少しだけ歩いて岩場の影になっているところに腰を下ろす。
「これ、アリサが」
「あ、はい。ありがとうございます」
タンブラーの一方を渡すと、ウィルはすぐに開けて一口飲んだ。それに習ってあたしも口をつける。疲れた身体にすっとした清涼感が心地いい。
「さすがにこの時間だと静かだねぇ」
「波の音しかしませんね」
真っ暗な海は空に繋がってどこまでも伸びて、ただ見ていると飲み込まれてしまいそうだ。月明かりでうっすらとだけ分かる水平線の先が、そのまま別の世界に繋がっていそうだな、なんてふと思う。この海を進んで行ったら、前の世界に帰れたりしないかな。今は、別に前の世界に帰りたいわけではないけれど。
「何考えてます?」
前の世界の事を考えて、ぼーっとしていたのが分かったのか、ウィルが少しだけあたしの顔を覗き込んだ。
「あんまりに広くて大きくて、どこまでも続いてそうだなぁなんて。このまま飲み込まれて別世界に行けちゃいそう」
「もう先輩が別世界に行っちゃうのはこりごりです」
箱庭事件の事を指しているのだろう。本気でうな垂れるウィルを笑うと、地面に置いていた右手を取られた。ウィルの指が細くて綺麗で、でも大きな左手があたしの手を、上から握る。気温のせいもあるのだろうか。少しだけ汗ばんだウィルの手のひらを自分の甲に感じる。
「本気ですからね。行かないでくださいね」
「大丈夫だよ。何があっても死亡フラグなんてへし折るし」
死亡フラグ?と首を傾げるウィルにあたしはなんでもない、と首を振った。彼も特にそれ以上追求することはなかった。少しだけ言葉を交わさないで海を見た後、ウィルが「そうだ」と手を離す。
「これ、見せに来たんですもんね」
そう言うと、ウィルはプツプツとシャツの前を肌蹴させる。すべてはずすと彼は左側の袖を腕からはずし、あたしの方を向いて、胡坐をかいて座りなおした。あたしも向き合うように座りなおすと、少しだけ前に乗り出して顔を近づける。
「明るくして見てもいい?」
「どうぞ」
今まで繋いでいた右の手のひらにうっすらと発行する魔法をかける。左胸にかざすようにして、照らすと、そこにはいつか遠目から見た魔法陣が浮き出ていた。じっと顔を寄せて、その文字や文様を見る。
司令部でみんながいるところで、彼が自分自身にこの魔法をかけた時は遠目からだったのでわからなかったが、紫色に見えた魔方陣は刺青ではなく、皮膚が少し盛り上がった、いわば傷口のようなもので描かれていた。心臓を中心に脇まで細かくびっしりと、ミミズ腫れのようなもので大きく描かれている。確かに、痛々しくて、目を引いて、これはあまり人に見せられたものではないかもしれない。
「痛む?」
眉根に力が入るのを感じつつウィルを見上げる。至近距離で見上げた彼の瞳はとても穏やかだった。
「いえ、全然。あの針を司令部で差し込んだ時も痛くなかったですから。これがあるから安心してここにいさせて貰えるというのもありますし。……あと、これを作ってくれたと思うことで本物の方の親父をただただ嫌うだけじゃなくて、感謝をすることもできます」
そう言って笑う。相変わらずいい子だなぁと思いながら右手の魔法を解除すると、ウィルはきょとんとした顔をした後、残念そうにこっちを見た。
「もういいんですか?」
「なんか残念そうだね」
「そうですね。残念です。だって先輩がやっと興味を持ってくれたのに」
苦笑する彼が思った以上に近くて恥ずかしくて、距離を取ろうとすると、両手を腰に回された。薄手のワンピースごしに感じる手のひらの体温がやけに熱くて、強い力で抑えられてるわけじゃないのに動くことができない。
「そ、そんなに興味なさそうだった?」
さっきも言われたんだよね、と俯きながら言うとウィルは苦笑した。
「はい。俺が外に出たときの話も……結局ご存知だったんで、誰かに聞いたんでしょうけど、直接は聞いてこないし。やっぱりなんとも思われてないのかなぁ、って」
それはあんまり触れちゃいけないことかなとか、モブのあたしがいちいち聞きにいける身分でもないかなとか思ったからで。何より、小説で読んで知った気になってたし。
そんなこと言えるはずもなくて、黙っていると、ウィルは変わらず優しい声で続けた。
「でも最近、飲むお酒はなんでもいいとかとか、食べ物は何が好きとか。ちっちゃいことまで覚えててくれてて、すごく嬉しいです。あと、俺がちょっとヤキモチ焼きそうなことがあると、あ、まずい。みたいな顔してくれて。良くないと思うんですけど、それがまた嬉しくて」
腰に置かれていた手の片方が頭に動かされる。髪に差し入れるようにして後頭部を撫でられた。おでこもだけど、ウィルに頭を撫でられるのってどうしてこうも気持ちいいのだろう。思わず目をつぶると、少しだけウィルの吐息が近くなるのを感じる。でも、それがけして触れ合うことはない。
少しだけ目を開けると、紫色の瞳が困ったように揺れ動いていた。
「……いつになったら」
ウィルが俯いて、その拍子におでこがこつんとあたしのつむじの少し前に当たる。少し上にあるはずの瞳は、あたしとウィルの前髪に阻まれて見えなくなった。後頭部の髪の毛に差し込まれては、下に落ちる手が少しだけぎこちなくなったように感じる。
「いつになったら、先輩は釣り合えたって思えてくれますか。俺、何かできることありますか」
腰に置かれた手に少しだけ力が入ったのがわかる。
少しだけ緊張した、そのどんよりとした様子に少しあせる。ウィルに言われて考える。
(釣り合えたって思えるって……)
確かに、どういうことだろう、と自分でも思い浮かべる。超絶美形になるには、整形か生まれ変わるしかないし、強くなるにしても、相手はそもそも主人公チートだけじゃなく、学園にいる時から10年近く、そしてこれからも、あたし以上に鍛錬を積んでいるのだ。本当の意味で対等になるなんていつまでたっても出来そうにない。
いや、でもそもそも、釣り合う様になりたいって、釣り合えて一緒にいたいって意味だったんだけど……。
『カナは人に興味ないもんね』
すごいあるけど、小説で読んで、知ってたからわざわざ口に出して聞いたり、詮索しなかっただけで。
『あんたが分かってるほど、人ってあんたのこと、わかってないからね』
私がウィルとか、みんなのこと、なんとなく分かってるってなるのは、小説を読んでたっていう、ある意味チートな話で。
「俺は、今の……というか、昔から、先輩が好きなんです。だから、釣り合うようにとか言われると……」
その後は続かず、ウィルのおでこがあたしの左肩にあたった。
「や、あの……なんかごめん」
何も言わない彼に、あたしは地面においたままの手をあげて、彼の耳の少し後ろあたりを触った。お互い少しだけ汗ばんだ肌が吸いつくように触れる。
「ごめんね。あたしの、わがままで」
肩におでこを押し当てたまま、ウィルは何も言わない。
「あのね、あたしにとってウィルは本当に王子様っていうか、ヒーローで。物語の主人公……みたいで」
何も喋らないけれど、ぎゅっとより力が入った腕に、彼があたしの言葉に耳を傾けてくれてるのがわかる。
「ウィルが好きとか言ってくれるとか、夢だなんてって思って、ウィルの気持ちをないがしろにして、ごめんなさい」
頭を下げるように、あたしもウィルの肩におでこを預ける。数秒なのか数分間なのか、長く感じた沈黙の後、肩から重みがなくなって、ウィルが顔をあげたのがわかる。
「すごい、キザなことというか、こっぱずかしいこと言ってもいいですか」
左耳に囁くように、熱っぽく言われてくすぐったくて。あたしは逃げるように、身をよじって顔を俯いたままウィルの肩から外した。
「……な、に?」
辛うじて動かした顎に、ウィルの手がかかる。
「……夢から、覚めてくださいね」
やや強引に、ぐいっ顔を上げられた瞬間、目を閉じる間も無く、ウィルの唇があたしのそれに重なる。
「覚めました?」
余裕そうに、いたずらっぽく色っぽく笑うウィルに、言葉もなく大きく首を縦に振ると、彼は嬉しそうに大きく破顔した。
「おー、くっついたくっついた!」
「ちゅーした!ちゅー!」
「ちょっと!マックもカイリーも声が大きいですわよ!」
諌めるエレノアの声も随分大きいけど、なんて思いながら、あたしは二階の窓枠に頬杖をついてその光景をみていた。あたしの可愛くて不器用で、少女小説の主人公みたいな親友は、一応その少女小説にあるキスと言う恋物語の終わりを迎えてしまった。
「寂しい?」
ガルデンが、囲い込むように手をついて、盛り上がってる他には聞こえない呟く。
「少しね」
素直に認めて見上げていうと、いつも以上に眉を下げて笑った。
「大丈夫だよ。アリサはもう、アリサだけの、を探さなくていいし、俺もいるし。何より、ウィルも俺も、カナとアリサ、それぞれの親友にはなれないから」
いつもだったら見透かされるなんて悔しくて、反論したくなるだろう言葉も、彼に言われると、素直に頷ける。
「見ているだけで幸せになれるカップルっていいわよね」
小さく呟いたはずの言葉に、その場にいた全員が笑って頷いた。
「じゃ、帰ってきたら、思いーっきりからかいましょうか!」
おー!と掛け声をかけながら、マックが先陣切って階段を駆け降りて行く。
あたしはその様子を見送ってから、窓の外を振り返って見た。
そこには、顔を真っ赤にしてるであろうカナと、今までにない笑顔であろうウィルが今だ抱き合っていて、あたしは思わず笑顔になった。
fin.
くさすぎたでしょうか!甘いって難しい!
お付き合い頂いてありがとうございました。
番外編、夏だって、終わりでございます。




